学べば学ぶほど、つくづく自分がどれだけバカだったのかを思い知らされる。

知らないことの多さに眩暈がするほどに。

仕事が早めに終えられ、午前零時頃に帳簿を付け終えられた夜には、昼間にできなかった勉強や読書をすることにしている。

焼肉屋の親父。
こう見えても現役大学生なのだ。
別に威張ることはないけれど、通信学部の6年生だったか、7年生だったのか、もう忘れるくらい在籍年数を重ねてしまっている。

言うなれば留年、留年、また来年ってやつ。

これまた自慢ではないが、受験を控えた中学生時代から全日制の高校に通ってる頃には、教科書やノートは単なる落書き帳に過ぎず、ほとんど勉強なぞ、することはなかった。

そこから青春の流浪のさすらい人になって、学校やバイト先を転々としては散々と放蕩し、破滅への道を一気に転がり落ちた。

まるで社会から追放されるのを自ら望むかのように。

普通の十代を過ごしたとはとても思えない。

転機は丁度人生の折り返し点にやって来た。

リーマンショック後に店が暇になったのを良いことに、やり残した気になってた学問を志したのだが、店の大改装や自宅の新築、さらには突然のお袋の逝去、そしてその前から店が賑わいを取り戻したことなどを言い訳に、いつしかなかなか学びが進まなくなってしまった。

それでも、山から流れる小さな川のように、途切れることなく細々と続けて諦めることは決してなかった。

努力は裏切らない。

そう信じてやって来た。

しかし、現実はいつ卒業できるか定かではない。
スクーリングで受講したいくつかの科目のレポート提出締切期限も差し迫っている。

また同じことを繰り返したくはない。

奮起するしかない。

卒業が全てではないけれど、広がる青空を背景にした桜を眺めてみたい。

誰にも気づかれなくとも、運命の場所でひっそりと誇らしげに咲く花になりたい。

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なんのために学ぶのか?
誰かの何かの役に立ちたいから。
経済学の根底に流れる人間学を修得し、自分を少しでも向上させることによって、社会貢献の一助にでもなれれば本望だ。

何か大きなことができるなんてもちろん思っていない。
たかが焼肉屋、されど焼肉屋の精神で、来店してくれる夫婦や恋人同士、仲間同士、あるいはお一人様など、今夜誰かを笑顔にできたら最高だ。
それだけで空に近づけるだろう。

そして言おう。
そのためには、ただ単に美味しいものを出せばそれど良しではないと。
ばかりか、常に納得してもらえるクオリティーを維持するには、並大抵の努力では叶わない。

学びが仕事とは一見無関係なことに見えて、実はすべては繋がっている。
当然だが、学んで少しでも向上させた人間力は、食材の吟味から調理、料理を盛り付けた皿、またサービスやそれを提供しようとする心、全部にそのまま反映する。

まだまだな自分であることなど誰よりも熟知しているつもり。
それでも昨日よりも今日、食を通して誰かをちょっぴりと幸せにできたならと願う。