「熊谷守一 生きるよろこび展」(フライヤー)
熊谷守一展





































第66回春季県展は、5月5日盛会のうちに終了しました。多くの
県展ファンの皆様が訪れてくださり、厚くお礼申し上げます。

県展期間中であったためご紹介するのが遅れたが、県内で2つの
素晴しい展覧会が開催されている。私にとって忘れられない先生
の展覧会なので、二展同時にご紹介する。

※没後40年「熊谷守一 生きるよろこび展」

愛媛県美術館の開館20周年を記念して、4月14日(土)~6月
17日(日)まで、同美術館新館にて開催されている。

同展は、東京会場(東京国立近代美術館で昨年12月~今年3月
まで開催)に続き、西日本では愛媛県でのみ開催される美術ファ
ン待望の展覧会である。

東京会場に展示された作品を中心に、愛媛県独自のものを加えた
180点を超える作品を一度に見ることができる貴重な機会で、初
日から多くのモリカズファンが訪れ、珠玉のような作品を心ゆく
まで堪能している。

明治から昭和を生きた画家、熊谷守一(1880~1977)は、徹底
して対象を見つめ、身近な動植物や季節の移ろいを生き生きと描
いた。

晩年の「モリカズ様式」と呼ばれる、あかるい色面とはっきりと
した輪郭線から成る独自の画風、唯一無二の世界は、多くの人々
の心をとらえて離さない。

 展示作品、上より「郡鶏」「はぜ紅葉」
30熊谷守一作品






























 生前の熊谷守一と奥様
30熊谷守一夫妻熊谷守一先生には忘れられ
ない思い出がある。

私が30歳を少し超えた頃、
木曾の御岳を描きに出かけ、
ふと立ち寄った先生の生家
記念美術館にて館長さんか
ら、幼い頃の話を聞いた。

熊谷先生は、幼少の頃、広
大な屋敷の2階、90畳敷き
の大広間で寝起きし、食事
は女中が運んで来て、たっ
た1人で食べていたとのこ
と。


先生は、後年赤貧洗うがごとき貧乏生活を強いられ、子供が病気を
しても医者に見せられず死なせてしまうといった壮絶な人生を送る。

それでも俗世を超越して創作の道一筋に歩み続け、晩年は自宅の庭
から一歩も出ることなく、自然を友として仙人然とした生活を全う
された。

その純粋で大らかな性格は、幼少の頃の体験により培われたように
思えてならない。

私のような俗人には到底まねのできない人生だが、せめて精神の有
り様だけは少しでも近づきたいと念じて生きてきた。

ぜひみなさん、会場にて熊谷芸術の真髄を堪能してください。

 私が若い頃訪れた熊谷守一の生家・記念美術館
30熊谷守一記念館






































 「中村研一展」 新居浜市美術館 (フライヤーより)
30中村研一展





































30中村研一展2

























 
※没後50年「中村研一展」 光と影を生きた画家

もう一つの展覧会は、中村研一展である。

新居浜市美術館(あかがねミュージアム)にて、4月28日(土)
~6月10日(日)まで開催されている。

本展は、新居浜市とゆかりの深い中村研一先生の没後50年の節目
を記念して開催された。幼少期の作品から滞欧作、貴重な戦争画、
初期官展で評価を得た陶芸作品まで、その画業を6章で構成して
展示されている。

中村先生は、福岡県宗像市の出身。父・啓二郎氏は住友の鉱山技
師で、四阪島精錬所の初代所長であったことから、幼少期の夏休
みは新居浜でも過ごしている。

弟の琢二先生は私の恩師であり、研一先生の思い出は、折に触れ
て色々とお聞きした。

昭和45年頃、兄弟そろって新居浜市を訪れ、住友の接待館「泉寿
亭」にて初めてお会いした。そのおり一流の芸術家とは風貌・品
格ともに、かくも卓越したものかと感動したのを思い出す。

この出会いが縁となって、琢二先生に師事することができ、今日
の私がある。

平成2年、既に両先生亡き後、福岡県宗像市の生家を訪れ、懐か
しい作品の数々を見ながら面影を偲んだ。

屋敷内には樹齢500年を超す大楠があった。兄弟画伯が故郷宗像
を心から愛し、帰郷するたびに見上げて心の安らぎを得たに違い
ないと推測し、しばし去りがたい思いであった。

今回の展覧会には、同記念美術館所蔵の作品も展示されていた。
研一先生没後50年、琢二先生没後19年、思い出は遠くなりにけり。

しかし、両先生がすぐそばに佇んで、慈愛に満ちた目で見守って
くれているような展覧会であった。

  中村研一・琢二生家美術館(福岡県宗像市)
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30中村兄弟美術館