そういえば、
ちょうど2年前の今頃だったっけ、

父が泣きながら
私に助けを求めてきたのは...


家を追い出されて
4年も絶縁状態だった私に
父が連絡をしてきた意味を理解するのは
ほんの一瞬で事足りた

甲状腺がんで肺転移の母に
何かあったことは明らかだったからだ


葛藤だった

会いに行くべきか

それとも、このまま会うことなく、
母の死を遣り過ごすか...


『母はどう思っているのだろう。
 私が会いに行くことを
 望んでいるのだろうか...』


“余命2ヶ月”の告知を受けてから
亡くなるまでの2ヶ月間、

つらく、切なく、

こんな想いは、
二度と感じたくはないな


ひとの死を待つ時間...って...

あまりに酷である


もう哀しいことは忘れたはずだったのに、
亡くなる1ヶ月前の、
元気そうにしている母の姿が、
なぜか突然浮かんだ

まもなく、
その命の灯が消えることを知らない母の姿

あの時の母の笑顔が、忘れられない

きっと、一生忘れることはない


嗚呼、こうして涙を流したのは、
いつ以来だろう――



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