静岡県藤枝市横内(よこうち)の横内陣屋跡(よこうちじんやあと)は、江戸時代に美濃国岩村藩(岐阜県恵那市)の飛領地を支配した代官所跡です。
江戸時代中期の享保20年(1735年)、幕府の老中となった美濃国岩村藩主 松平能登守乗賢(まつだいら のとのかみ のりたか)が1万石を加増されました。
新しい所領の5276石が駿河国の15ヶ村(現在の藤枝市、島田市、焼津市、静岡市)であったため、駿河国志太郡横内村に横内陣屋を設置しました。
横内陣屋跡
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横内陣屋跡の地図
アクセス
・東名高速道路 焼津ICの北西
横内歴史案内板
横内町内会館の横(朝比奈川の架かる横内橋のたもと)にある案内地図です。
あげん台
竹ぼうきの様な物は、朝比奈川の河川敷で盆供養に使用される「あげん台」。
あげん台
横内橋
朝比奈川の旧東海道に架かる橋。
旧東海道(県道81号線)
現在の東海道 国道1号線の西側。
御陣屋小路
せまい小路の突き当たりの横内陣屋跡に、稲荷神社が鎮座。
横内陣屋跡(稲荷神社)
曹洞宗 西了山 慈眼寺(藤枝市横内179)
安土桃山時代の慶長4年(1599年)、開基の龍谷秀泉(りゅうこくしゅうせん)和尚が横内村の人々の協力を得て伽藍を建立。
江戸時代中期の宝暦11年(1761年)、死去した初代代官 田中清太夫を供養するため、境内に代官地蔵が建立されました。
代官地蔵、岩村藩士の墓
代官地蔵
岩村藩士の墓
この地で亡くなった、9人の陣屋役人の墓。
参考文献
・『焼津・藤枝・島田・志太・榛原 歴史散歩』杉山元衛 1993年4月1日
・『静岡県文化財地図Ⅱ ―焼津市以西―』静岡県教育委員会 1989年3月1日
・『静岡県文化財地名表Ⅱ ―焼津市以西―』静岡県教育委員会 1989年3月1日
・『静岡県文化財調査報告書 第23集 静岡県の中世城館』静岡県教育委員会文化課 1981年3月