70年前の敗戦。 | フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

フィリピンは住めば住むほど人生気楽になるよ、まずは僕の話を聞いてから一度遊びにいらっしゃい。

日本が大東亜戦争でアジアの国々に多大の迷惑と被害をもたらしたと言うのがお隣の国々のご主張であり日本の左翼にかぶれた連中の主張である。チョンに至っては日本の占領のお蔭で筆舌に尽くせない苦痛を味わったと仰っている。是に迎合して日本を貶めるのに必死になってきたのが、チャンコロやチョンのメディアでないかと思うほどの、朝日新聞であった。


朝日は、戦前は戦争を煽りに煽って若者を戦地に駆り出した宣伝部隊の中心を担ったのに、日本が敗戦となるや手の平を返したかのごとくに軍国主義を罵倒し、大東亜戦争で戦った母国の英雄たちを貶めるのに狂奔してきたんだ。70年近くもよくぞ日本を貶める事に全力を注ぎ込んで呉れたものとほめたくなるほどの執念であったぜ。


朝日の日本を貶める宣伝と、ヤンキーが日本に押し付けた自虐史と、これを推進したお隣の愚連隊どもをこよなく愛する日教組のお蔭でどれだけの日本人が自虐史を真に受けて育ったことか。何を隠そう僕は正にその犠牲者の一人なんだ。何しろ終戦後の真っ只中で幼稚園、小学校と進んで来たからたまったもんじゃない。


あの頃のアメリカは自由を謳歌する民主主義の国と教え込まれ相当に憧れたもんだよ。実際アメリカはあの頃が絶頂期で‘日本国民は皆小学生並だ’なんて我々をバカにしてたんだからね。アメリカ国民はかって日本でもてはやされた家電を既に各家庭で持っていて、モータリゼーションの時代へと入っていたんだから日本人には夢のような生活を一般のアメちゃんが実現していたんだよな。


日本に自衛隊が創設されたのは確か僕が中学校の頃だ。朝鮮戦争でヤバくなって来たからアメちゃんは焦って日本の再軍備を促したんだろ。アメちゃんは日本を武装解除して武器の製造は一切禁止したし、航空産業も壊滅させたが、今度は日本を防壁に使おうってんで日本の再軍備に走ったんだぜ、正に勝手な振る舞いそのものだぜ。


これに猛烈に反対したのがお隣さん連中だよ、そして朝日も何としてもこれを潰そうとして猛烈なキャンペーンを張ったんだぜ。チンケナ社会党なんかはこの先頭に立っていたんじゃない。何もわからなかった坊やの僕なんか朝日や日教組に洗脳されて自衛隊が通り過ぎると‘税金泥棒!’なんて叫んでいたっけ、今考えるとなんであんなことが言えたんだろうって恥ずかしさで一杯だよな。後に防衛大出身の多くの若者と世界の僻地でお目に掛かったが彼らが派遣された国のお役に立とうとしている真剣な姿にいつも感激させられたもんだ。日本の若者ってこんなにも凄いのかと驚嘆するとともに日本人としての誇りを一層強くしたよ。


僕がなんかおかしいなって思いだしたの全共闘のようなのが出てきて喚きだした頃だ、僕はちょうど大学生だったが学生運動なんて見向きもしなくなっていたね、それよりも朝日に疑問を持ち始めたし、社会党、共産党を毛嫌いするようになったのもこの頃だよ。と言ってアメちゃんに憧れもしなくなっていたね。ちょうどその頃からじゃない日本経済が俄然上向き出したのは。朝鮮戦争で特需が起きて日本中の産業が息を吹き返し始めたのもこの頃だよ。僕は全くのノンポリで朝鮮戦争にもベトナム戦争にも全く無関心だったな。


1960年代の頃、僕は恵まれた学生生活を送っていて、外貨持ち出しが500ドル($=¥360)まで認められたその年に海外旅行のチャンスがあってね、親父が赴任していたマレーシアまで船で掛けたのが生まれて初めての海外旅行だったな。神戸を出港して那覇に寄港したがまだアメリカの統治下でドルでしか買い物が出来なかったのが何とも不思議だった。その後香港に寄港したが町で絡みつかれるような嫌な目には一切合わなかったよ、でも恐ろしく汚い町だったぜ。それからまだマレーシア領だったシンガポールまで船で行きそこで下船して首都のクワラルンプールまでゴム林の中を古いベンツで走り抜けたのを思い出すよ。


初めての東南アジアだったが滞在2か月の間一度足りとも戦争時代の話はでてこなかったし、無論日本の軍隊の悪行なんて話はまるっきり出てこないんで構えていた僕自身が拍子抜けしっちゃったのを思い出すな。僕は一人旅だったんでいつ絡まれるかってびくびくしてんたんだけど周りの人はみんな親切だったし、僕の身におっかないことは一切起らなかったもんね。その頃から日本の兵隊が東アジアや東南アジアで悪行の限りを尽くしたってのはでっち上げじゃないかって思い始めたんだ。


軟派の僕は大学を卒業して商社マンとなったが、本当に鍛えられたぜ、坊や育ちの僕には目が回るように忙しかったけどそれこそ日の出のように昇っていく日本経済の波に乗っかって大きなビジネスを任され天下を取ったような気分だったね。


所でさ僕の若かりし頃のことを何でグタグタと書いているんだと思うだろう。それには理由があるのさ。


最近さ、僕のブログを読んでくださる方から色々とコメントを頂くんだ。大部分の方が僕がチャンコロやチョンを罵倒する事に賛成して下さるのだが、中にはチャンコロとかチョンと言う差別用語を使うのを止めろと怒っておられる方がいるし、旧日本軍を美化するのを止めろとお怒りの方もおられる。


お前は‘特攻しろって言われて、出撃できるのか’と詰問されたりもする。こういった質問に答える場合‘出撃する’と言ったら‘そんな場にいないから調子のよい事を言える’って言うし、‘拒否します’って言ったらそれ見た事かとなる、だから大体こんな質問は無意味だよね。でもさ敢えていわせて貰えば‘特攻で出撃しろ’って命令されたら僕のような弱虫でも即座に‘出撃します’って答えると思うよ。僕には日本人のDNAが入っているからね、弱虫の僕だって日本のお国の為ならこの命を差し出すね。


特攻隊の人は命令ではなく、みんな自分から志願して出撃して行ったって言うじゃない、恐怖心が無かったなんてことは無いだろうが僕が特攻した訳じゃないので軽々しい事は言えないね。でも特攻員が祖国日本に宿敵アメリカが攻め込むのは何としても止めようとの強い気持ちを持っておられたことは絶対に否定できないよ。


アメ公は‘特攻隊員は犬死だった’って散々宣伝していたが特攻隊員の戦果は大変大きなものだったことがアメちゃんの記録に残されているんだよ。特攻機の恐怖でアメちゃんの海軍兵で帰国後精神異常をきたしたものが多数出たことも記録されているって聞いたよ。その位特攻機の戦果は大きいしアメ公の精神に与えた打撃も大きかったんだ。この特攻機で散華された方達を祖国の英雄として祭るのがどうして悪いんだろうね。戦争を、特攻隊を‘美化するな’と仰るがよく恥ずかしくないね、祖国のために命をささげてくださったんだよ、それも10代の若者も含まれていたんだ。


僕は以前にも書いたが特攻隊の一番機はこのフィリピンから飛び立ったんだ、そして大戦果を挙げたんだ。特攻隊の記録をかき集めて英雄として祭ってくださったのがフィリピン人だったんだよ、それまで日本は知らん顔していた、なんと言う恥ずかしい事か、僕も含めて‘日本人よ恥を知れ’って叫びたかったぜ。僕はフィリピンで駐在中に特攻発祥の地と書かれた薄汚れた看板を何度か見ながら無視していたが、ある時フィリピンの方のご厚意と知って初めてお参りした。特攻隊員の銅像を見ながら涙がこぼれてとまらなかったね、そして申し訳ない気持ちで一杯になった。


僕がまだビジネスの現場にいた頃フィリピンの各地をビジネスで歩き回っていた、ある日のことセブの海岸にある旧日本軍の砲台跡をぼんやり見つめていたんだ、ふと気が付いたら4-5人の男達に囲まれていた、人気の無い海岸だぜ、きっと戦争時代のことで袋叩きに合うんじゃないかとびくびくしながら身構えたんだ。彼らが話したのは「日本軍が駐留中は町から犯罪が消えうせた」って事だった。男達の一人が‘日本の兵隊はおっかなかったけどやさしかったなあ’ってぼそっとつぶやいたよ。僕はぶんなぐられないと心底安心したし、その時に確信したね‘日本軍がフィリピンで悪行の限りを尽くしたなんて嘘パちだって事を。


ミンダナオにダバオと言うフィリピン第3の大都市があるがこの町は日本人が作った街なんだ。この町も戦争で滅茶苦茶になった。日本人とその現地の家族、兵隊の妻となった現地の女性たちは皆酷い目にあって逃げ回ったそうだ。マラリアにかかって死にそうな日本兵を肩に担いで逃げ回ったのは現地人の妻と子供たちだったと何度も聞かされたよ。


僕が‘日本人は東南アジアで尊敬されているよ’って書いたら‘お前のような極楽トンボは現地の人と付き合いもしないで妄想に浸っているんだろう’ってな事を書かれたが僕がここに書いていることは皆真実だぜ。70年前の日本兵をカルト野郎呼ばわりするのは是非ともやめて頂戴よ。戦火の中にあっても常に礼節を極めた行動をとり現地で作った家族にも男として恥ずかしくない責任を取ってきたからこそ日本兵は現地の家族からも宝物のように大切にされきたんじゃない。


日本の男を貶めるような自虐史から目を覚ましてほしいね、それに大東亜戦争を戦った若い日本兵は、今の若者たちにとってはひいおじいさん、おじいさんたちに当たるんだぜ、その祖国を愛する気持ちが自分にもあるんだって事を是非とも胸に刻んでほしいもんだ。


僕の叔父貴は陸軍大尉で南方で戦った一人だった、僕が‘日本の戦争は大いなる間違いだった’って口角泡を飛ばして喚いていた頃、叔父貴が静かに‘俺達は本気でアジアを解放するつもりで戦っていたんだが、そう思われているんだな・・・・・・’って言ってたのを、申し訳ない事を言ったと後悔しながら、思い出すよ。餓鬼の頃自虐史を教え込まれた僕は日本の兵隊さん達に本当に申し訳無い事をしたと後悔するばかりだ。


ミヤンマーでは日本兵は規律が取れていて一切乱暴狼藉を働いていなかったと言ったら、何を言いやがるとばかりにある記事を僕に教えてくれた人がいる、これに対して僕のブログを読んでいる方がこの記事は全くのうそっぱちだと撃退して下さった。ミヤンマーでも日本軍は統制が取れて現地では尊敬されていたんだ。


インドの高官が日本が戦ってくれたおかげでインドは100年早く独立できた、日本が犯した罪があるとすれば日本が敗戦した事だと語ってくださった。


どうだろう戦後70年近くたっても日本を貶めるのに必死なのはチャンコロとチョンだけだよな。チャンコロの外務大臣は国連で日本は3500万人ものチャンコロを殺害したって言っているが、正にくるっているね。世界の笑もんだよな、3500万人もの人間が虫けらの如く殺されたんだってさ。チャンコロは人間なのかしら、もし戦う勇気があれば日本軍を粉砕すればいいじゃやん。それが出来ずにやられましたって嘘八百を並べて世界の笑もんだぜ。常識から考えても3500万人なんか無理だよ。ただし毛沢東は文革で5000万人から8000万人餓死させたってんだからすごいよな。


チョンは‘日本に併合されなければ今頃は……’なんて言っているが今頃はチャンコロかロシアの奴隷だよな。あいつらどこまでバカなんだろうね。しかももうすぐご主人様のチャンコロの奴隷国に成り下がるぜ。


日本の左翼の皆さんも自分がチャンコロやチョンにバカにされているのにそろそろ気が付いたらどうなんだろうね。もう無理かしら、本当にそうならお気の毒さまだね、正に短い人生の無駄遣いだよな。


若い人たちには自虐史の間違いに気が付いて、日本とは本当に偉大な国であり、日本国民は偉大な国民であるとの誇りと自信を持ってもらいたいし、俺たちが世界をよくするとの責任を持って欲しいね。