「知ったら変わった」人、もう一人~西郷どん | 目の付け所から広報まで一気通貫で考えるPRコンサルタント 堀 美和子のブログ

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そうそう、「知ると変わった」人がもう一人。(^_^)/
大河ドラマでやってる『西郷どん』こと、「西郷隆盛」。


(Wikipediaより)
 

 


玄孫(曽孫の子、孫の孫)にあたる西郷隆仁さんは
今あっちこっちでひっぱりだこ。

子孫だから言えるのかなぁ・・・ってことを知って、
やはりなんか印象変わったです。(^_-)-☆



今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!







それでなくても幕末って、登場人物てんこ盛りだし、
尊王討幕だの、攘夷だの、開国だのって、
もう何がなんだか分かりにくいっ!(>_<)

 



(幕末の面影が残る京・伏見桃山)
 

 


私の中では常に、
「日本史の嫌いな時代ワースト3」に入ってました。(^_^;)


そんなふうに嫌いな上に、地理感のなさが重なり、
「西郷隆盛」と言われても全然ピンとこなかった。

マジで、「上野に銅像のある人」くらいにしか
思ってなかった。(ゴメンナサイっ!(^0^;A)






でも、大河で話題になり、
苦労人だと知って、やっぱ印象変わったんですよねぇ。




学校の日本史で習う西郷さんって、

江戸城の無血開城に関わった後、
盟友の大久保利通と対立。

明治新政府から下野して「西南戦争」で自決・・・
とまあこれくらいなんですが、

この人の真骨頂、ってか、
なぜそういう態度を取ったか、そういう人生なのかは、
“それ以前”を見た方がよく分かる。





元々、年貢を管理する下級武士だったのを、
藩主(11代・島津斉彬)が抜擢。

でも斉彬の急死で失脚し
奄美大島に流罪。
     ↓
    復帰
     ↓
藩主の父と折り合わず再び沖永良部島へ流罪、
2年間の監獄暮らし。



 

 


その後、上に書いたように、
明治維新の立役者となるも、
あえなく「志半ば」って逝ってしまった。。。


(官軍と西郷軍の激突を描いた浮世絵。
 中央に西郷隆盛が描かれている。Wikipediaより)
 

 



こういう人生を垣間見ると、
「華々しい活躍をした人」というイメージが覆ります。





玄孫の隆仁さんは
講演でこんなふうなお話をされたそうです。


「沖永良部島での不自由な監獄生活の中で、
 自らの天命と受け止め、
 『敬天愛人』の境地に達した。

 民の政治、公の政治のためには、
 『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ』
 と述べ、公のために殉じた。

 西郷の考え方は私には教訓になる」。





今、日本の政官界って
この西郷どんの志とは真反対な状況にあるように見えます。

だからこそ余計に、
子孫の方の言葉が“刺さる”んだろうなぁ・・・。




ある風水師さんが、

「今年は改革と変化の年。
 仕組みを変え、常識破りの発想を大切に
 変化をチャンスに」

とおっしゃったそうですが、

西郷どん、きっと今頃、彼岸から日本を見て
「こらっ!」って怒ってはるかもしれませんねぇ。。。





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