2018年になりました。明けてしばらく経ってしまいましたが、本年もピッコロ劇団をご愛顧のほど、なにとぞお願いいたします。

 

『マルーンの長いみち』稽古は今日も引き続き読み合わせ。

稽古終わりに小道具班(僕も小道具班のひとりです)が倉庫から仮の小道具を出してきました。来週から始まる立ち稽古で使用する予定です。

手前に見える酒樽は、今回のお芝居で非常に重要となるアイテム。

 

今回僕が演らせていただくのは松永安左エ門(やすざえもん)、かつて日本の電力事業のほぼ全てを掌中に納めた電力王であり、同時に政治家、美術コレクター、茶人としても知られている人物です。

 

この松永安左エ門氏、小林一三氏に負けず劣らず面白い人物です。

 

長崎県壱岐の裕福な商家の長男として産まれた安左エ門は福沢諭吉の「学問ノススメ」を読んで感動し、15歳にして父親の反対を押し切り上京、慶應義塾に入塾します。このあたりから、現在では考えられないようなスケールの大きさを感じさせます。ちなみに父を説得するために4日間絶食したそう。

入塾してからもコレラに罹ったり18歳の時に父を亡くしたりと紆余曲折がありましたが、中断を挟みつつの学生生活を通して、憧れの福澤先生や養子の福澤桃介らとの交流を深めます。福澤先生が毎朝の日課としていた散歩にお供をし、師から直々の教えを頂く一方、先生が家で飼っていた鶏を内緒で捕まえて鳥なべにして食べてしまったこともあったようです。無茶苦茶です。

結局慶応は卒業しないのですが、中退にあたり、「我が人生は闘争なり」と福澤先生の手帳(記念帳)に記しています。23歳の時です。

 

その後桃介の勧めで日本銀行に入行し、以降、株価の大暴落や自宅の全焼、収監などの困難を迎えながらも実業家として邁進。ついには「電力の鬼」と呼ばれるまでになります。晩年の肖像を拝見すると、まさに鬼のような威圧感がありますが、一方で大正10年、47歳のとき、文芸雑誌が行った読者投票で日本三大美男子のひとりに数えられたりしています。

大金持ちでイケメンの鬼。よほど福澤先生のニワトリにご利益があったのでしょうか。僕もあやかりたい…

 

演じるにあたっては、この破天荒で型破り、豪快で人を惹きつけてやまない、スケールの大きな人物像が少しでもお客様に伝わればと思います。