さて、つづきです。
「特別待合室」の話から。
ここは、「軟臥(一等寝台)」の切符を持っている人だけが入れる待合室です。
入口に、女性の「服務員」さんがいまして、切符を改めるのですが、
ここの服務員さんは、これまでいろいろなところで見てきた服務員とは全く違って、
丁寧な対応をしました。
切符を見せると (というか、外国人だとわかっていることもあるのでしょうが・・)、
「ささ、こちらへどうぞ(^O^)/」という感じで、案内してくれました。
一般待合室が、前に書いたようにひどい状況の中、特別待合室は、ソファーでゆったりとできるのです。
「軟臥(一等寝台)」の切符を買える人は限られていると、前にも書きましたが、
その中でも「共産党幹部」とかは、おそらくもっと別の待合室があるのでしょう。
北京駅の特別待合室には、当時、外国人しかいませんでした。しかも、戒厳令下だったこともあってか、わたしのほかには、数人しかいませんでした。(日本人は私だけだった)
特別待合室の「服務員さん」は、わたしをソファーに案内し、
「列車が着きましたらお知らせしますから、どうぞごゆっくり。(⌒∇⌒)」って感じで、
社会主義国って、ほんとうに「階級社会」なんだなあーーーと、思ったものです。
共産主義は「平等」という、宣伝のウソについては、その当時から伝え聞いていましたが、それを実体験したわけです。
さて、いよいよ列車が到着したらしく、先の「服務員さん」がお知らせに来てくれました。
「ささ、こちらからホームに入ってくださいね。」と、
改札も、一般乗客とは別になっていました。
「軟臥(一等寝台)」の車両は列車の前方にありました。
後ろのほうの車両は、「硬座」という「寝台が無くて硬い座席」なのですが、一般待合室にいた人らはそこに乗るのです。押し合いへし合いしながら。(座席指定もないし)
そんな人たちを横目に見ながら
私は駅員さんに出迎えられつつ、列車に乗り込みました。
乗り込みますと、4寝台のコンパートメントで、
私のほかの3人は「パキスタン人」の商社マンでした。その人たちは
パキスタンの衣装を着ていました。
3対1の相部屋w
でも、そのパキスタンの3人はとてもフレンドリーで、
さらに、わたしが「日本人」だとわかると、とても喜んでくれました。
(日本人は人気があるんだなあと思いました。ありがたいことです。)
パキスタンの人たちは、とても親しく「英語」で話しかけてくれたんだけど
わたしは、支那語でせいいっぱいなところに英語でお話しするのは、大変でしたよw
でも、ブロークンでも、意思疎通はできました(^O^)/
その時から、今に至るまで、わたしは「パキスタン人」と話したことはありませんから、これはすごくいい経験ができたのだと思っています。
私は下の寝台の切符を持っていたんですが、
パキスタン人の一人(おじさん)が、「上と代わってくれない?」って言ってきたので、
私は若かったし、寝るときだけのことだから、代わってあげました。
列車が動き出してしばらくしますと車掌さんが来ました。
検札?っておもったのですが、それだけではありませんでした。
「切符を預かってくれるという」のです。
そして、着駅が近づいたら知らせてくれるのだそうです。
さすがは「軟臥(一等寝台)」!! というか、徹底した階級主義wwww
「共産思想って、「階級の破壊」から始まったんじゃなかったでしたっけwww」
と、思いつつ、おおいに、上流階級気分を楽しみましたよwww
(大変気持ちよかったですw)
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つづく・・・
「特別待合室」の話から。
ここは、「軟臥(一等寝台)」の切符を持っている人だけが入れる待合室です。
入口に、女性の「服務員」さんがいまして、切符を改めるのですが、
ここの服務員さんは、これまでいろいろなところで見てきた服務員とは全く違って、
丁寧な対応をしました。
切符を見せると (というか、外国人だとわかっていることもあるのでしょうが・・)、
「ささ、こちらへどうぞ(^O^)/」という感じで、案内してくれました。
一般待合室が、前に書いたようにひどい状況の中、特別待合室は、ソファーでゆったりとできるのです。
「軟臥(一等寝台)」の切符を買える人は限られていると、前にも書きましたが、
その中でも「共産党幹部」とかは、おそらくもっと別の待合室があるのでしょう。
北京駅の特別待合室には、当時、外国人しかいませんでした。しかも、戒厳令下だったこともあってか、わたしのほかには、数人しかいませんでした。(日本人は私だけだった)
特別待合室の「服務員さん」は、わたしをソファーに案内し、
「列車が着きましたらお知らせしますから、どうぞごゆっくり。(⌒∇⌒)」って感じで、
社会主義国って、ほんとうに「階級社会」なんだなあーーーと、思ったものです。
共産主義は「平等」という、宣伝のウソについては、その当時から伝え聞いていましたが、それを実体験したわけです。
さて、いよいよ列車が到着したらしく、先の「服務員さん」がお知らせに来てくれました。
「ささ、こちらからホームに入ってくださいね。」と、
改札も、一般乗客とは別になっていました。
「軟臥(一等寝台)」の車両は列車の前方にありました。
後ろのほうの車両は、「硬座」という「寝台が無くて硬い座席」なのですが、一般待合室にいた人らはそこに乗るのです。押し合いへし合いしながら。(座席指定もないし)
そんな人たちを横目に見ながら
私は駅員さんに出迎えられつつ、列車に乗り込みました。
乗り込みますと、4寝台のコンパートメントで、
私のほかの3人は「パキスタン人」の商社マンでした。その人たちは
パキスタンの衣装を着ていました。
3対1の相部屋w
でも、そのパキスタンの3人はとてもフレンドリーで、
さらに、わたしが「日本人」だとわかると、とても喜んでくれました。
(日本人は人気があるんだなあと思いました。ありがたいことです。)
パキスタンの人たちは、とても親しく「英語」で話しかけてくれたんだけど
わたしは、支那語でせいいっぱいなところに英語でお話しするのは、大変でしたよw
でも、ブロークンでも、意思疎通はできました(^O^)/
その時から、今に至るまで、わたしは「パキスタン人」と話したことはありませんから、これはすごくいい経験ができたのだと思っています。
私は下の寝台の切符を持っていたんですが、
パキスタン人の一人(おじさん)が、「上と代わってくれない?」って言ってきたので、
私は若かったし、寝るときだけのことだから、代わってあげました。
列車が動き出してしばらくしますと車掌さんが来ました。
検札?っておもったのですが、それだけではありませんでした。
「切符を預かってくれるという」のです。
そして、着駅が近づいたら知らせてくれるのだそうです。
さすがは「軟臥(一等寝台)」!! というか、徹底した階級主義wwww
「共産思想って、「階級の破壊」から始まったんじゃなかったでしたっけwww」
と、思いつつ、おおいに、上流階級気分を楽しみましたよwww
(大変気持ちよかったですw)
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つづく・・・