イスラエルのティベリア観光を2回に分けて紹介させていただきます。
今回はガラリア湖畔、山上の垂訓教会、パンと魚の奇跡の教会の紹介です。
ティベリアはガリラヤ湖の北西岸に位置し、紀元20年頃、ヘロデ大王の子ヘロデ・アンティパスにより、破壊された村の跡地に建設され、ガリラヤ地方の首都となりました。
アンティパスの後見人であったローマ皇帝「ティベリウス」に因んで「ティベリア」と名付けられました。
福音書によると、イエスの布教活動はほとんどガリラヤ湖周辺で行われ、漁師だったペトロと兄弟アンデレ、ヨハネとヤコブの兄弟がイエスの弟子になったところです。
また、湖の上を歩く、嵐を鎮めるなど、イエスの奇跡はガリラヤ湖畔で行われたと推定されています。
エルサレムからティベリアに向かう道中の景色です。
太陽光パネルです。日本と違うのはポールにつけられているところ。
日本では土地に架台をつくりますが、こちらの方が少ない土地でたくさんの太陽電池が載せられますが、耐震性が心配です。
風力発電も多数設置されていました。再エネはどの国でも重要ですね!
ガリラヤ湖が見えてきました
ティベリア市内の風景です。
山上の垂訓教会です。
山上の垂訓教会は祝福の山(標高125m、ガリラヤ湖の北西)にあり、1938年に建てられた美しい八角堂のフランシスコ会の教会です。
ルカ6:12~16によると、祝福の山でイエスは12弟子を選んだといわれています。
イエス・キリストが紀元後1世紀前半に「山上の垂訓」を行いました。その場所ははっきりしていませんが、フランシスコ会がこの地と推定し教会を建築しました。
「山上の垂訓」はイエスのとても重要な説教であり、山上の説教とも言われています。
以下が2つの聖書からの抜粋です。
①マタイ 5:1 ~ マタイ 5:20
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
②ルカ 6:20 ~ ルカ 6:38
そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。
あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。
しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。
あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。
人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。
しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。
教会内部です。
教会の天井には8つの祝福の言葉がそれぞれの面でラテン語に書かれています。
教会からみた景色です。とても綺麗ですね
次はパンと魚の奇跡の教会です。
下の写真のように、イエス・キリストが2匹の魚と5つのパンを分け与えてイエスの説教を聞きに集まってきた群衆5000人を満腹にさせた、という奇跡に由来し、パンの奇跡の教会ともよばれています。
イエスの言動を今に伝える福音書は、その成立年代順にマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つがあり、いずれも1世紀後半に書かれたものですが、イエスが起こした多くの奇跡のなかでも、この「パンと魚の奇跡」だけが4つの福音書すべてに書かれています。
そういうことで、とても有名な話なんですが、恵まれない人のための奇跡ではなく、信者にいいことがあるというような宣伝っぽいところが残念ですね。
この教会はタプハにあり、タプハという地名は、ギリシア語のヘプタゴン(7つの泉)から変化したものだと言われています。
祭壇の下にはイエス誕生・東方三博士の像とモザイクがあります。
2匹の魚と5つのパンのモザイクです。パンは5つないような・・・
ここは床にある大きなモザイクがあり、イスラエルでとても有名です。
モザイクには作成当時にいた動物がいきいきと描かれています。
次回はティベリアのペテロ首位権の教会、カペナウムの紹介をさせていただきます。
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