総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

朗報!認知症。そして、ノーと言えない認知症予備軍

2016年12月26日 | エッセー
 あっぱれな人っているんだなぁ。
 先日お会いした女性もすごかった。世の中には、こんな人がいらっしゃるんだ。プロフェッショナルに出演していただきたいくらい。
 60代の女性。今は、ケアマネージャーをされているとのこと。
 40代のころは、認知症の病棟の看護師さん(看護師長さん)をされていたとのこと。
 話の中で、「認知症の方たちと接するのって大好き!すっごく楽しかった。介護度が5の方が3になったのよ。」とおっしゃって、思わず「ほんとですか?認知症の方って対応が難しそうで大変そうに思うのですが、楽しかったんですか?本当に楽しかったんですか?」と聞き直してしまった。
 例えば、夜中におじいちゃんが部屋から出ようとして暴れ出した時、おじいちゃん何をしたいのかなぁって想像してみる。もしかして、お風呂に入りたいのかなぁって思って、『おじいちゃん、お風呂に入りたいの?』ってきいたら、素直に『うん』って答えたから、夜中なんだけど、浴室に連れて行って、シャワーを浴びさせてあげたら、そのあとはぐっすり眠ってくださったとか・・・。
 介護する側からみれば、夜中に部屋の外に出ようとすることは問題行動だけれど、時間とか場所とかの感覚がわからない人にとって、その人が、今、お風呂に入りたいという欲求を持った場合、それを阻止されたら誰だって、怒るし暴れるかも。
また、ある時、毎晩、妻の名前をずっと呼び続けるので、妻にそばにいてほしいのかもと推測し、寝付くまで添い寝をしてトントンしていたら、おとなしく寝入ったので、その後は、夜勤の看護師にしばらく添い寝をしてもらったら、大声で叫んだりすることがなくなったこともあるそう。
 ちょっと、添い寝は無理そうかなぁと想像してみる。まぁ、その方がする分はその方が試みてみようとするのだから、良しとするにしても、スタッフは嫌がらないだろうか・・・。いくら、その人がその時したいと思ったことをしてあげると認知症がよくなるとはいえ、添い寝はねぇ~。抵抗感ある。「皆、よく従いましたね。」と聞くと
 「だって、そうした方が断然手がかからないと体験的にわかっているから。もし、阻止したり放っておくと、不穏状態が続いてずっと対応しなくてはいけなくなるから、夜勤の人も自分の仕事が終わらず大変なことになるから。その時、きついなって思っても、ちょっと頑張って、本人の欲求を見定めて、その欲求を満たしてあげるために時間を割くことは、しないで時間をとられるよりずっといいでしょ?」
 そういうことを続けていくと、介護度が軽くなっていくんです。

 その人が、その瞬間にその人にしたいと思ったことをすることを許す限り叶えてあげようとする姿勢こそ・・・。

 それが、認知症介護のキーワードだと思った。

 というか、認知症予防も同じかも・・・。

 というか、人が生きるとは、そういうことなのかもしれない。
 その人が、その時、その瞬間にしたいということをする。

 その傾向が強い人を、人はわがままというかもしれない。
 でも、その瞬間にしたいと思ったことを、世間体や周りの目や常識やいい子ちゃんでいたいがために、つまり、自分が傷つきたくないがゆえに、その瞬間の本当の自分をお粗末に扱うことを繰り返していると、認知症になりやすいのかもしれない。ひょとして、認知症に限らず、それが万病の元?

 私は、常に仕事を優先させてきてしまった。子どもが熱を出しても、少々なら、仕事を選んだ。べつに仕事か好きだったからではない。仕事が多すぎて鬱になる寸前だった時もあるくらいだった。後から思えば、その仕事もなんだか押し付けられたのではないかというような仕事だった。つまり、「それ以上はわたしはできない.。」と訴える勇気がなくて引き受けてしまったような仕事によって、自分の首を絞めていただけだった。私は本当は休みを取って子どもとゆっくり過ごしたかった。でも、仕事量が多すぎて休めなかった。人に頼めなかった。つまり、その瞬間の一番大事にしたいものの優先順位を、職場の同僚への気兼ねから、捻じ曲げ続けてきたかなぁ。


 やば。
 私も、認知症予備軍じゃん。
 もっと、わがままになろう。嫌なことは嫌だと言おう。その瞬間、自分が一番大切と思うことをできうる限り、最優先しよう。

朝井リョウの『何様』を読んだ。

 短編集で、最後からの二編が特に印象に残った。
 今まで、すぐに、もう一度読み直すということはなかったけれど、この二編は織りなす言葉が気になって、読み直してしまった。朝井リョウのファンになった。
 優等生になりたかったわけではないけれど、自分がこの家の調整役をしないと荒れる思春期の妹とそれに翻弄される親(特に母親)という家族が壊れてしまうという恐怖から、本当の自分の気持ちを封印せざるをえなかった35歳独身女性の心模様を何とも言えない切なさで表現している。この女性も認知症予備軍だと思った。でも、とある日、反逆に出る。優等生からの脱却をはかった。

『なんでこんなことをしてしまったのだろう。』
 『むしゃくしゃしてたからだと思う。むしゃくしゃしていたから、私たち普段ならしないことをしてしまうんだと思う。』
 『きっと、私たち、今まで上手にむしゃくしゃできなかったんだよ。』

 自分のことは棚に上げて、わがまま(自己主張)ばっかりのわが子に辟易している。
 彼は、むしゃくしゃばっかりしているんだろう。上手にむしゃくしゃしているんだろうか?
 思春期までに、十分むしゃくしゃできた子は幸いである・・・と思うことにせねば。毎日のように、彼の八つ当たりにどうにかなりそうだけれど、上手にむしゃくしゃできなかった人は、大人になって、むしゃくしゃの大やけどをしちゃうかもしれない。

 私も上手にむしゃくしゃできなかったなぁ。

 今まで、むしゃくしゃして普段ならしないことをしたことあるかなぁ。できたらいいなぁ。

 思春期までに、上手にむしゃくしゃできなかった人は、実は、一度も心が解放されたことがないのかもしれない。

 朝井リョウさんは、こんな表現をしていて、さすがだと感心した。
 妹は、思春期に荒れていて母は妹に対しては、怒って哀しんでばかり。でも、成人したら、なんだか、母は妹といると楽しそうで、どうして?私は暗い家を明るくしようとわがままも言わず母を助けていたつもりなのに・・・・。

 妹は、母の『喜』『怒』『哀』『楽』の全ての感情を引き出した。でも、私は、母の『喜』と『楽』しか引き出せなかった。

 人間関係って、そういうことなんだろうか。

 子どもって、親には依存しかできなくて育ててもらうという存在かと思いきや、母の中に眠っていた『喜』『怒』『哀』『楽』を引き出して、母が本当の自分に出逢えるための貴重な存在なのかも。
 そんな風に考えると、親にとって『いい子』って損だよねぇ。20歳まで親に尽くしてきたのに、20歳過ぎたら、さんざん親に迷惑をかけてきた妹に親の心を奪われるなんて。そして、なぜだか、自分の心に隙間風が吹く。
 尽くすって何だろう?
 どうして、思春期にむしゃくしゃという感情が湧き出てこなかったのだろう。
 むしゃくしゃという感情に蓋をするほどの何かが生まれてからの(否、お腹に宿った時からの)僅かな時間に形成された?それとも、持って生まれた性格?第一子という運命?

 子どもが、思春期に、親に向かって『うざい』『べつに・・』『クソババァ』と言えたら、子育ては成功って、誰かが言っていた。
 つまり、思春期にむしゃくしゃという感情が湧き出てくるということが、自然な発達なのだ。
 逆に言えば、『うざい』『べつに…』『クソババァ』って言わなかった子どもは、自然な発達をしていないと言えるのかも。つまり、私のこと。
 昔、あるカウンセラーに、私には『怒』の感情が育っていない・・と言われたことがある。
 母の『怒』の感情を引き出せなかったから、私も『怒』の感情が未分化だったのか、母が『怒』の感情を出さなかった、あるいは、母も未分化だったから、私の『怒』の感情が発達しなかったのか・・・。
 
 思春期のむしゃくしゃって、大事なんだなぁ。

 再度、どうして、私は、思春期にむしゃくしゃという感情が沸き上がってこなかったのだろう?

 むしゃくしゃの芽はいつ摘み取られたのだろう?ていうか、芽はでたのだろうか。もしかしたら、芽すら出ていなかった?
 
 4人の子どものうち長男のみ、『うざい』『べつに・・・。』『クソババァ』って一言も言わなかったなぁ。その代り、彼は自分の心とカラダを傷つけた。今、思えば、ぞっとするくらい。

 私が、夫に『怒』をぶつけることができなかったからかなぁ?

 認知症予防の話からとんでもない方向に行ってしまった。

 その瞬間、したいっと思ったこと、一番優先順位の高いことをなるべく優先するようなスタンスで生きるということが、認知症予防になるのではないだろうかという話は、あくまでも仮説。でも、その前に、その瞬間瞬間の本当の自分の気持ちがなんであるかは、思春期までに喜怒哀楽のすべての感情を引き出されていないと、本当の優先順位をつけられないという大前提があるのではないだろうか。『怒』の感情が未分化な私は、その瞬間の本当の気持ちがわからないのだから、優先順位がつけられうるわけがない。本当の認知症予防は、育つプロセスの中ですでに始まっている?子ども時代に喜怒哀楽と喜怒哀楽のぶつかり合いをしてこそ・・・。これは、認知症病棟大好きって言った看護師さんの体験談から、私が推測したことであってそれ以上でもそれ以下でもないけれど。

 
 

 

 




 



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« とあるあっぱれな人。 | トップ | サンポールに追伸 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセー」カテゴリの最新記事