アマゾンから母宛ての定期便が届いたので、解除するために母のPCを立ち上げ、ついでに此処を覗いたら、まだパスワードが記憶されていたので何か書こうと思います。

 

私は人間関係の不和に苛まれやすい半生を送ってきておりますが、今回の職場もやはり駄目になってきてしまいました。

 

そして、睡眠不足でも怠けているわけでもないのに、昔からどんなに集中していてもふっと意識が途切れて眠くなってしまう体質なのですが、これが「ナルコレプシー」かもしれないなと帰り道で考えていました。

 

もうなんでもいいから病名が欲しい。単に人間不信と疑心暗鬼が生まれつき強いからだとは思うがこれは如何ともしがたいので、とにかく許される理由が欲しい。そんな昨今です。病気でなく単に根性と頭が悪いだけだと即断される気がしないでもない。ちなみに昔から得意科目だけ成績が良かった。数学と体育はパアでした。

 

母に似たのか料理は毎日楽しいです。此処にも写真を載せたいのですが、いちいちアップロードするのも大変なので、宜しければひとつ前の記事に載せた私のツイッターから画像欄をご覧ください。鯖と春雨のスープやら煮込みハンバーグやら作っております。

 

趣味のドール製作や絵を描くこと、歌うこと、その他諸々がなければ私はとっくに後追い自殺でもしていたと思います。多趣味って生きる道だ。なんだかんだ休日は朝風呂してお料理して、ご近所さんにいただいた林檎でジャムを煮たり、趣味に没頭したりと穏やかに過ごしております。

 

ただ、今日は職場で色々と辛いことがあったのに、もう母は聞いてくれないんだな。慰めてくれないんだなと思うと涙が出てきました。

 

過去の記事で「神様に『もういいよ』といってほしい」と母が書いていますね。

もういいよ。ごめんね。もういいよ。だから帰ってきて。

 

 

 

 

 

 

まだログインされていてよかった。

パスワードが判らないので、もしパスワードの記憶がブラウザから消えていたらどうしようかと思いました。

 

あけましておめでとうございます。

母はたぶん「杏」か「杏胡」という名前でこのブログを書いていて、娘の私は「ネネ」と書かれていたと思います。ネネです。

 

まだショックなどで言葉がまとまらないので、うまく書けないかもしれませんが聞いてください。

 

元日の朝、母が自殺しました。

自宅の物置で、箪笥から出したのであろう、着物の帯で首を吊って亡くなりました。

 

最初に発見したのは祖母で、私は大晦日の夜に夜更かししたので11時くらいに起床して、まだ寝ていた祖母に「あけましておめでとう」と言って、母も起こそうと思ったら部屋にいなかったので、勝手に外の車もないと思い込んだ私は「初売りにでも行ってるのかな。お買い物か」と思って、そのまま階下に降りてリビングでスマートフォンをいじっていました。

 

祖母が新聞と年賀状を取りに行って、もう一度外に出た時、物置を覗いたのでしょう。リビングにいる私に「ママが死んじゃってる」「物置で首吊って死んでる」と大声で言いました。

 

私は信じたくなくて、ただリビングで座ったまま絶叫しました。何度も絶叫しました。そのとき玄関のドアは祖母が開けた姿勢のままそこにいたから、ご近所中に私の慟哭が響いて、様子を見に集まった近所の何方かが警察に通報してくださって、警察と消防が来ました。

 

私は警察の方々に証言をして、家宅捜索もあって、遺書はあるかと訊かれた時に、いまこのブログを書いている母の部屋のPCのキーボードの下にある、wordで打たれたA4用紙3枚の遺書と、その下にある母の保険か何かの紙に気がつきました。

 

遺書には、母が死んだあと私がすべきことが、詳細でないにしろ簡潔に書かれていました。頼れる人の名前も。あとは、冒頭が、私の名前を呼んでから「ひどいママでごめんなさい」でした。あとは抜粋して、ああ、そうだwordに残っていたのでちょっとそこから個人の名前などが出ていない部分をペーストしますね。ひとかたまりは鍵括弧で括ります。

 

↓ここから

 

「××へ

 

ひどいママでごめんなさい。

 

ママはこどもの頃から冷たくて意地悪でした。

いじめられたけど、いじめたこともあります。

欲しいものを我慢できない性格でした。

躁うつ病じゃなくても、浪費したと思います。」

 

「ママは今、献立を考えることができません。

お料理ができません。

頭が働かないのです。

14日に出て行ったのは、お料理ができないと思ったからです。

まな板の上にブロッコリーを乗せて、どうしよう、何もできないと思ったんです。

家事ができません。

車の運転もできません。

お掃除も長いことしてません。」

 

※12月の14日に母は一度失踪していて、14日の夜に私が行方不明届を出して、16日の朝に名古屋で保護されたんです。なんと家の鍵ひとつだけ持ち出して、名古屋まで徒歩で辿り着いていたんです。ここから10駅くらいかかるところです。なぜ名古屋に辿り着けたのかは母も「気がついたら」と云っていました。マリオットアソシアホテルのロビーに辿り着いて、自分で手をあげて支配人さんに声かけてもらって、中村警察署に保護されて、そこから私に連絡が来ました。そのときに「もう死なない」「懲りた」って言っていたから、まさか死んでしまうなんて思いませんでした。

 

「ママがいなくなったら、障害年金が打ち切られます。

この先、どうなるのか。

【私の本名】のことがとても心配だけど、ママはもう生きていけないのです。

お母さんのことも心配だけど、ママはもう生きていけないのです。

 

自殺したら、永遠に苦しむと云いますね。

それも怖いです。

病気で死ぬのも怖いです。

でも、生きていくのも怖いです。」

 

「お金がないって、つらいですね。

原因は全部ママです。

本当にごめんなさい。

不自由させてごめんなさい。

 

ママは生まれてくるときに、「あきらめてください」と云われた子でした。

本当なら、生きていないはずなんです。

せっかく神さまが生かしてくれたのに。

 

でも、神さまっているのでしょうか?

「耐えられないような試練は与えない」と云いますが、じゃあなぜ年間3万人も自殺者がいるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

幸せな家庭に産んであげられなくてごめんなさい。

 

お巡りさんにも云われたけど、本当に自分勝手だと思います。

マリオットホテルのマネージャーさんには「死んだらつまらんよ」と云われたけれど、生きていくのが怖いんです。

 

躁うつ病、今まで何度か乗り越えてきましたが、今度はダメだと思います。

一生、お金の心配をしながら笑うこともできずに過ごすのかと思うと耐えきれません。

 

 

 

裏切ってごめんなさい。

 

可愛い可愛い【私の本名】、本当にごめんなさい。」

 

↑ここまで

 

 

他には色々な手続きのことなどが書いてありました。

私は母が一緒に生きてさえいてくれれば他には何も贅沢なんて要らなかったのですが、きっと、母自身がとても辛くて苦しくて、それで自殺してしまったんです。近所の人にもずっと、特にクリーニング屋のおばちゃんにはそれこそ数日前まで相談しに行ったり、昨日聞いた話ですが、祖母と一緒にほんの数日前に訪れていて、そのときは元気に喋っていたそうで。でも躁鬱は躁になってきた時が一番危ないと云いますし、「死ぬ元気」がでてしまうと知っています。

 

ここ数ヶ月、半年以上かな、ずっと母は落ち込んでいたので、元気な頃の母の記憶がもう朧気なのですが、母を殺したのはきっと病気なのです。近所の人に昨日挨拶してまわったときも、そう云われました。母に病気が憑りついて、殺してしまった。今はそう考えておきます。

 

失踪したのは12/14の夜なのですが、その日の昼に、馴染みの電気屋さん(私の祖母の代からの付き合いで、母が信頼していろいろ相談している電気屋の社長さん)と私と母と三人で家のお金のことについて話していて、母は思い詰めていたのですが、私と電気屋さんは「やっていけない金額じゃない」とわかっていたんです。実際そうだったんです。でも母は思い詰めてしまっていたんです。

 

ちょっと節約していけば、お菓子も買わずに外食もせずに、慎ましくなら充分幸福にやっていける程度の貧しさだったんですよ。

でも、母は、私がまだ23なのに我慢させるなんて、と何度も云いました。

私は別にジュースなんて普段飲まないし、紅茶だってなくなったら家にある普通の安売りのパックのお茶だけでいいし、あれおいしいから。何なら水でもいい。Wi-fiさえあればネットの趣味友達や大学時代からの友人ともツイッターで話せるし、もうネット環境と生命維持できるだけのご飯があれば、あとこのお家に住んでいられれば他には何もいらないよって、3べんくらい母に言ったんです。大丈夫だよって。稼ぎ手は私しかいないけどなんとかするからって。

 

でも逝ってしまいました。

 

話を戻します。それで、警察の方は事件性がないから、自殺だから引き上げると云って、検察さんかな?も遺体を綺麗にして座敷に寝かせて下さって、私は警察の方が呼んだお医者さまから「死体検案書」を書くから病院に撮りに来てといわれました。

 

騒動の間に私は親戚やさっき言った電気屋さんに電話していたので、で、本当は母にお金を無心した叔父さんなんかに連絡したくなかったけれど、一応身内だから、母が我が家の財政が厳しいと気づく原因にもなった叔父さん、つまり母の弟に連絡して家に呼びました。検案書を取りに行くために車を出してもらいました。検案書は44000円で、カードが使えなかったので現金を出そうとした持ち合わせが足りなくて、叔父さんに40000円を出してもらいました。車に戻る時「今は返せないけど」と言ったら「いつでもいいよ」といわれたのですが、母にあれだけお金を無心したのだから、そこは「こんなんじゃ借りは返せない」って全額負担するところでしょうと思いました。母が苦しんだ原因は貴方にもあるんですよ!?私は叔父さんが前から嫌いでしたが、もう火葬も終わったので、今後絶対連絡も受け付けないし、家にもあげません。生前、母もそれでいい(無視していい)と云っていました。昨日来てくれた母の従妹にもそれでいい(あいつが浮浪者になろうが無視でええよと言っていた)と云われたし、ばあちゃん、いや祖母も「私あの子のこと好きじゃない」と言っていたのでもういいです叔父なんか。私のこと心配しているような態度だったけれど、火葬場にも遅れてきたからお線香もあのひと母にあげてないし母の顔も最後にみてないし、そう、死亡当日の夜、葬儀屋さんが来るまでに母の顔を見たの私だけなんですよ。もう向こうに安置するから葬儀屋さんが来るまでが火葬の日を除いて最後の対面なのに!!私が「どうする」って訊いても無言で泣きそうな眼をして子供みたいに首振るだけで!!なにあの人!!焼けてしまったあとのお骨だけ拾ってさ、火葬場で私は大きい骨壺もって(喪主ですからね私)移動したんですが、小さい方のお骨入れを叔父さんがちょっとの間持って移動した瞬間があって、私あれも嫌だった。触らないでよ!!あんたなんかに母に触れる資格なんてないのよ!!結局何もしてくれなかったんですから!!……ごめんなさい、取り乱しました。警察署にも寄って、警察署で保管する用のコピーを取ってもらいました。帰ってから8部くらい私の複合機でコピーをとりました。

 

家に帰ってから葬儀屋さんに連絡しました。一時間くらいで来ると云ったんで待ちました。母が、去年まとめていたエンディングノートのファイルに綴じて私にも話してくれていた、「小さなお別れ葬」という、最安値のプランです。通夜と告別式がなく、遺体の安置と役所手続き代行と花束と火葬だけの簡素なものですが、母はこれがいいと云っていました。私が死ぬ時もこれくらい簡素でいいです。充分温かいものだったので。

 

葬儀屋さんがいらっしゃるまでに母の顔をみました。眠っているように見えました。寄り添ったり頬にキスしたり、手を触ったり、足に触ったりしました。寝息がなくて、蝋みたいに冷たくて、でも頬はまだ柔らかくて、まだ唇に思い出せます。

 

葬儀屋さんがいらっしゃると、まず母の遺体を車に乗せて、その車の人は火葬場の方にいきました。私は外まで見送りました。

 

打ち合わせも滞りなく進み、130900円+火葬代5000円となりました。

私の口座結構なマイナスなので、この安価はありがたいと思いました。こんなときに考えることじゃないけれど。きっと母は私が困窮しても大丈夫なプランにしてくれていたのかなって。

 

叔父さんは帰って、入れ違いくらいで電気屋やさんがきました。例の電気屋さんです。電気屋さんの方がずっと身内みたいで、泣いてくれたし、母の遺書を読んでもらったり、色々祖母と三人で話しました。「明日、一週間分のお買い物付き合いますよ」って、2日の朝に車で迎えに来てくれると云いました。ありがたいです。たくさん感謝しました。

 

翌日は祖母のご友人が訪ねてきたりして色々ありました。朝に電気屋さんと一緒に近くのスーパーで、相場とか色々訊きながら買い物をしました。そのときのお買い物の費用を全部出してくださって、お菓子もなんでも好きなもの言ってくださいと云われたので、私の好きなプリンと、祖母の好きな桃のゼリーを買いました。とてもありがたいです。役所の手続きに関して有用な本を前日にツイッターのフォロワさんが教えてくれていたので、それを昨日頼んだので二日の夕刻に届きました。これすごく有用です。

 

昨日、3日の朝。昨日連絡した母の従妹のMさんが来て下さいました。とっても快活で、大阪のおばちゃんみたいな、母の9つ下のおねえさんです。朝ごはんを作ってくださいました。火葬は10時からなので、それまで祖母と3人でテレビを観たりしていました。祖母は認知症で、ちょっと記憶の維持に難があったりしますが、それと足腰が弱かったりする以外は結構元気です。ちょっとなら歩けますし、家の中の移動もお風呂も大丈夫です。昨晩も一緒にお風呂に入りました。

 

火葬場には祖母の一番上のお兄さん、私から見て大伯父さんと、たぶんその奥さまか祖母のお姉さまか妹さんがいらっしゃって、あともう一人親戚のおじさん、それに私とMさん。叔父さんは先ほど言いましたが遅刻です。時間になっても来ないので無視してすすめました。火葬場の方は喪主の私に「すすめてもいいですか?」と訊かれるんですよ。頷きましたそれはもうはっきりと。火葬場の方ってやはり慣れていらして、作法と礼節がどうだったかと以前観たテレビの芸能人格付けチェックお葬式編を思い出そうとしている私が「澄ました顔であたかも知っている」という風に堂々と見えるくらいのスムーズな進行で導いてくださいました。姿勢の良さだけは気を付けたので、しっかり務められたと思います。喪主。帰りの車で泣きましたけれど。

 

泣けるときに泣かないとね。

 

お骨、主な骨だけ拾うんですね。大きな陶器ひとつ、小さな陶器ひとつ、あとは喉仏の骨だけを木でできた祠みたいな箱に。その3つと、……そう、プランには白木の位牌と仏具一式は含まれていないはずなんですが、御厚意なのか、簡易の紙製の仏壇と一緒になったキットをいただきました。いま母の遺骨と一緒に座敷に。そうだあとでご飯とお水、あと、お経……昔は般若心経と消災呪くらいソラで唱えられたけど、ちょっと今忘れちゃってるからなあ。昨日も唱えていたら途中で忘れちゃって「ごめんわかんなくなった!」って母に云いました。母にと云うか仏前ですが、母にですね。夜にも色々あったことを報告したり愚痴ったりしたんですよ。相槌はないけれど反応を予想して「でしょ?」とか云ったりして。

 

昨日、帰ってきてから夜までMさんは一緒にいてくれて、お弁当勝って来てくれたり、これからの手続きだとか二人で考えたり、火葬場から帰ってきてすぐは大伯父さんと大伯母さん?らしきひとと叔父さんもいたので、ソファで放心してるだけの叔父さんは放っておいて5人でいろいろ話したりもしましたが、昼過ぎにMさん以外は帰られました。叔父さんはもういいです来なくていい。何回も云うけど叔父さんはほんと嫌。

 

で、昼過ぎに祖母のケアマネージャーさんがいらしたので、とりあえず私は6日から仕事なので週5でデイケア入れて、お金けっこうかかるけれどやっていけるかどうか様子見てみるということにしました。

 

Mさんが帰る時に玄関でLINEを交換しました。「これからは娘と思って接してくで、迷惑かけてもいい関係作ってこう」「ただママとはレスポンス違うかもしれんから、違ったら『ちゃう!』っておもってくれていいで」とのことで。ありがたいです。

 

Mさん小さいお子さん3人もいて、隣の県に住んでいるけどいざとなったら駆けつけてくれるって。ありがたいです。

 

書けるのはこれくらいです。そろそろ祖母もお腹が空いたでしょうし、朝ごはんの準備をします。今日は祖母の同級生さんが3名もおみえになるので、いつ来られてもいいように、化粧は外出じゃないからしないまでも恰好を整えなくては。

 

このブログ、私はもう覗かないかもしれないので(ここのパスワード自動記憶が外れたらどのみちもうログインできません)、コメントの反映も返信もたぶんできません。なので、私の普段のツイッターアカウントを貼ります。あったことなんでも呟いているので、決して口外しないことを約束してフォローお願いいたします。フォローの際に一言「お母さんのブログから来ました」と仰ってください。元気を出ためにいつものようにゲームの推しや日常の楽しいことも呟いていますが、それは薄情なのではなく、母の残してくれたものを私の命ごと抱えて生きていくために必要な現実逃避や息抜きだということをどうか御理解ください。あと、俗に腐女子と呼ばれる者なので、息をするようにそういう話が出ますが御容赦下さい。

 

私のツイッターです。@Onyx_BB

 

では、朝ごはん用意してきます。

 

 

 

 

症状が酷くてしばらくブログはお休みしようと思います。

でも、マイページは見ようと思いますので、どうかメッセージをください。

励みになります。

甘えてごめんなさい。

 

毎日つらいです。

死んじゃいたいです。