ミセスの着物「留袖」について | 和文化案内『ゆかしき堂』のブログ

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結婚前の女性が着る和服といえば、振袖ですね。

成人式でもお馴染みですが。

では、大人になった女性が着る和服は何でしょうか。

それは「留袖」です。

今日は、そんな留袖についてご案内しましょう。


和服という形状の服の基になったのは、古代人が着ていた貫頭衣でした。

この貫頭衣は、身頃(身体部分)だけの、そでやエリのない、いわば前と後ろだけの着物です。

首のところに穴があって、そこに頭を通すから貫頭衣といいます。


のちになって、これでは不便だということから、前を縦裂きにして、前からも着れるように工夫されました。

前を切ると、当然ですが横の空きは不用になりますから、これも縫い合わせます。

そして、そでが付きますが、このときにわきの下に穴が残ります。

これを「身八つ口」といいます。


やがて、この身八つ口を閉じるか閉じないかで、子供と大人の区別をするようになりました。

現在でも、子供の着物、特に浴衣などは身八つ口が付いています。

これを留めたものを、「留めそで」といったのです。


留袖を着るということは、大人になるということであり、つまり結婚したことの印として未婚女性との区別を鮮明にします。

現在では、留袖は女性の式服になっていますが、もともとは少女、未婚の女性から成女になったことを、衣服によって証明するのが留袖だったのです。


留袖の特徴は、黒無地に、紋とすそ模様がついているところにあります。

すそ模様というかたちが完成するのは、江戸時代の終わり頃です。

これが礼服に転化したのは、明治になてから、役人の婦人がみな申し合せたように留袖を着たのが発祥とされています。


着物に模様がついたのは、着物自体に装飾性を求め始めた桃山の小袖が最初です。

小袖が豪華になると、外出用にもう一着小袖を重ねるようになりました。

それが打ち掛です。

それをひもで通して小袖幕という幕をつくり、野外宴会をするようになりました。

模様全体がひとつの絵ですから、人が動くと自然の風物が動いたような感じになり、一種の自然美の演出になります。

ですから模様には、大きな梅の木だとか、柳とか自然の物が好んで描かれました。


やがて家紋をつけることが、貴族階級から広く一般に行われるようになると、模様の上に家紋がついていたのでは目立たなくなりますし、家紋は結(ゆい)=血縁を象徴する大切なものだという考え方から、家紋を残して模様がだんだんと下にさがってきたのです。


こうして留袖のスタイルが完成されていきました。

すそ模様には部分模様、単位模様などがあります。

また男性の礼服は黒紋付に羽織、袴ですが、これが礼服として定着したのは明治時代です。

江戸時代は、大紋烏帽子に裃が武士の礼装ですが、だんだんと簡略化されて、今日みるようなスタイルへと移り変わっていったのです。


ちなみに羽織は、もともと軍陣の際の防寒などの必要から生まれたものですが、さらに礼装が簡略化されるようになると、羽織さえあれば、袴ははかなくとも礼にかなうようにさえなりました。


衣服ひとつをとっても、いろんな背景があります。

ちょっと気にしてみたら、なかなか楽しいと思いますよ。







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