熱量の限界が「日本刀」という技術の結晶を生んだ | 和文化案内『ゆかしき堂』のブログ

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「カタナ」といえば、日本を代表するものです。

これは日本独特の技術や知恵の結晶です。

日本刀という独特なものが生まれた背景には、実は日本で得られる熱量の限界があったからだったのです。

温度の限度があったからこそ、知恵や工夫で優れた鋼鉄を生み出せたのです。

今日は、そのことをご紹介しましょう。


日本が世界に誇る、美しさを兼ね備えた技術と言えば「日本刀」が挙げられます。

鎖国後に、世界を驚かせたものが、浮世絵と日本刀でありました。

西洋の近代絵画の幕開けに浮世絵は大きな影響をもたらしたことは有名ですが、刀の方はそうはいきませんでした。

なぜなら、西洋では日本刀を再現できなかったからです。


西洋科学は分析化学です。

当然、日本の刀を持ち帰って分析しました。

その結果、刀の鉄の成分などはわかったのですが、ついに同じものを作ることはできなかったのです。

わずかにドイツ人が、ゾーリンゲンに代表される剃刀に応用して、研いで使えるようにするという発想で応用したぐらいです。


日本の刀には、西洋科学では成しえないほどの技術が込められていて、それが結集されて生み出されているのです。


どうして日本刀のようなものが生まれたのか。

それは燃料の問題です。

鉄を自由に扱うには、高温の熱を出す燃料が必要です。

西洋には早くからコークスがあり、1800度ほどの熱を出せました。

日本では無煙燃料は木炭しかなく、それはいくら酸素を供給しても、1200度が限度だったのです。

ちなみに、普通の木炭は800度ぐらいです。

1200度の熱量の限度、しかも木炭は燃焼時間が短いという弱点もあります。

ところが、この低熱量しか得られない条件下で鉄を使用しなければならないことに、日本人が挑戦したことで、世界に誇る利器としての「カタナ」が生まれたのです。


鉄の熔解点は1800度です。

いくらフイゴで風を送っても、木炭ではこの高熱を得ることはできず、鉄は半熔解、つまりアメ状の鉄が得られるだけです。


鋼鉄は、砂鉄を原料にして精錬します。

砂鉄粉と石英粉と木炭粉を交互に重ねて、タタラを使う熔鉱炉の中に入れます。

熔鉱炉の下に火口があり、そこに火をつけて、三昼夜のあいだ熱すると、どろどろのアメのようなものになります。

もし、1800度の熱が出せれば、ここで純度の高い鋼鉄が出来ますから、あとは鋳型に流し込めば終わりです。

しかし日本では1200度が限界なので、アメ状の鉄には不純物がいっぱい入っています。

そこでアメ状になった塊の上のカスを取って、あとはどっと流して固めると、銑鉄(せんてつ)が出来ます。

それを叩いて細かくして、もう一度、石英粉と木炭粉を重ねこんでタタラで熔かしこむと、今度は炭素が多く含まれた鋼鉄の原型ができます。

これを玉鋼(たまはがね)といいます。


玉鋼には炭素分が多いので固いのですが、反面もろくなっています。

これに柔軟性を与える必要があります。

そこで、もう一度、木炭の中で半熔解に熱してから「鍛える」……叩くのです。

叩くことで、火花という形で玉鋼の中の炭素を放出するのですね。


この叩くという工程は非常に大事で、叩き方が初めに打った人と、後で打った人で力が違うと、均質になりません。

いつも同じ力で叩く必要があります。

そこに熟練を要するのです。

師匠は弟子に叩かせて、その力のかかり方を絶えず見ながら、全体を均質になるように動かしていくわけです。

熟練という名の「勘所」があるのですが、これがあって均質な鋼鉄を生み出したのですから、そこには科学を超えた技術があります。


今日ご紹介したのは、日本刀がもつ優れた技術の、ほんの一部分です。

熱量の限界が、優れた鋼鉄を生み出すことにつながったというのも、面白いものですね。

こうした知恵や技術というものは、日本人の基礎にある大切な部分だと感じています。




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『柔らかさと固さを同居させたことが「日本刀」の切れ味になる』

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