英語に必要な力 | 勉強で困らないために

勉強で困らないために

成績が上がらない。そもそも勉強しない。「どうすれば?」よりも「どうあるべきか?」
教育の王道を突き進む『学習塾LOGOS』(福岡県春日市・太宰府市・大野城市)の代表が考える勉強の本質とは。

このブログで何度も書いてきたが、
英語は学問ではない。

外国人とコミュニケーションがとれる。
という1つのスキルである。

しかし、勘違いして欲しくないのは、
コミュニケーション=会話
ではないということ。

特にビジネスシーンにおいては、
むしろメールのやり取りや諸々の連絡ごとなど、
文面のやり取りの方が多いのではないか。

文部科学省は、英語を習得するために、
聴く、読む、書く、話すの4技能を
バランスよく鍛えることが必要としている。

しかし、英語が苦手な生徒は、
その4技能以前のところで四苦八苦する。

そもそも英語は外国語なのだ。
入口の段階で、
外国語を理解しようと思えなければ、
身につけられるワケがない。


英語が分からない・・。
たとえばテストに出るような例文や単語は
教科書に書いてあるものばかり。
それがそのまま出ているのに、
「分からない」というのは
いったいどういうことか。

リスニング1つとってみても、
「何言ってるかさっぱり分からん。」
という発言は多い。

これらの土台にあるものは、
謙虚さと思いやりである。

繰り返すが英語は外国のコトバである。
コトバである以上、
「誰かが何かを伝えようとしている」
伝えたい内容がそこにはある。
それを理解しようとする思いやりが
根底に必要なのだ。

コミュニケーションが
コトバを介した気持ちのキャッチボールだ、
とするなら、不満を漏らす人の共通項は、
自分の胸の前にグラブを固定し、
ホンのちょっと逸れたようなボールを
一切捕ろうとしないことだ。

顔面にボールが当たりながら、
「おいおい、どこに投げてんだよ〜〜」
と言っているようなものだ。

聞こうとすること、
読もうとすること、
つまり、理解しようと努力すること。
これらは、すべて思いやりである。

そして、これが勉強であり、
自分がそれをできなければならないのなら、
それは勉強に対する謙虚さでもある。

英語は学問ではない。
しかし、学問に必要な要素が
英語にも必要なのだ。