認知症の婆ちゃんや、あんぽんたんな息子や、老い先短い爺はんより
「私」がもっとも救いがたい。
そう感じることがままある。
立派そうな坊さんや、学校の先生もそうだろう。
貪瞋痴、それは誰のなかにもあってメラメラしている。
実は私は
夫との間に子どもはもうけるか否かという段階で
「私の子は、ものすごい馬鹿か天才かのどちらかで
障害があるかもしれない。
それでも私は産みたい。
あなた(夫)は、ついてこれなくなったら別れていいから。
私が一人で育てるから」
と予言じみたことを話していた。
たいへんな試練が待っている事を出家を諦めた段階で予想していた。
簡単にいえば「業」というものか。
人によっては、それは「悪」のようにみえるかな。
どちらにしろ、それ相当の覚悟はしていたはずなのに。落第生になりつつもあり。
最近凶悪な犯罪をおかした人たちは
中途半端なスピリチュアル(オカルト?)に染まっていた。
ストーカー殺人をした鬼は
今年は大殺界だなんていっていた。
この画像の鬼はイルミナティカードを持っていた。
迷い(悪魔)の証みたいに。どこで落第生になったのだろう。
お坊さんのように立派でなくていい。聖職者でなくていい。
誰しも迷いのある弱い人間、
「人間」として合格点を自分にあげれていたら。
自分にも周りにも
「人間」として合格点をあげたいと想った今日の出来損ない。