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続々・絨毯屋へようこそ トルコの絨毯屋のお仕事記

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May 25, 2016
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エフェに関しては、自分自身がエフェオヤのコレクションをするようになってから、その歴史的背景や、エフェオヤだけではなくエフェの戦闘服や小物などにも興味があったので自分なりに調べて、岡山や大阪の展示会で「エフェオヤ」をテーマにした講演で発表したことがある。
ある程度はその中でまとめているのだけど、昔の話だし、ローカルイベントだったので、聞いたことない人の方が断然多いわけですよね・・・。

まずはエフェの戦闘服。
過去に何点か手に入れて、全て手放してしまったので、現在は1着も持っていません。
写真としてはもっと適切でいいものがあるはずなんですが、写真を探すのがまず大変で、とりあえず、一番簡単なところから出てきたもので過去のコレクションからご紹介します。

実際にエフェが着用していたものです。

DSCN9647_Fotor.jpg


これに脛の部分に脛当てが付きます。
フォークロワーなどで見かけるエフェのチズメリ(ブーツ)はかなり後の時代のものらしいです。

青い服地はケチェ(羊毛フェルト)製。
そこにシルク糸または、シルクに金属が巻かれた糸で細かい刺繍が施されています。

DSCN9653_Fotor.jpg


背中、肩、太もも、脛部分などに特に集中してシルク糸での刺繍がある。
あまりにもの高密度に思ったわけです。
「まるで鎧みたいだな・・・・」。

短パンにベストなんて、一見戦闘に向いていないような服装なのに、第一印象が「鎧」。
でも実はほぼ正解。

エフェたちが潜んでいたのはアイドゥンやオデミシュの山間部。
彼らは山間部での戦闘を特に得意としていた。
だから甲冑などの防御服に身を包むのではなく、動きやすく身軽な服装である必要があった。
でも普通に拳銃が使用されている時代だったから、弾丸や刀から身を守らなければならない。
鎧の代わりに、このシルク刺繍で固められた服があり、さらに頭を護るために、やはりケチェ(フェルト)で作られたフェスと呼ばれる帽子にシルク糸で作られたオヤがグルグル巻きにされていた・・・・。

DSCN9665_Fotor.jpg


エフェから伝え聞いたという証言者の話ではこのケチェとシルクの組み合わせは刃を入れることができず、弾丸をも跳ね返すほど丈夫であったという。

さらに山間部でのカモフラージュも兼ねていた・・・・。

・・・・というのが、定説なんですが・・・・。


エフェ同等の存在はオスマン帝国創設のころから、アンカラ、キュタフュヤなどに異なる名称で各地にいました。
最初は地方の悪代官から自分たちを護るための自警団として。
19世紀後半から20世紀初期の共和国建国までは一転してギリシャ軍と戦うために政府軍の一員として。


DSCN2426_Fotor.jpg

ところで今ではエフェのシンボルとして捉えられているエフェオヤですが、実際にエフェのために作られた「エフェオヤ」の歴史はそれほど長くなく、残っているものや古い写真などで検証する限り、20世紀に入ってから20世紀半ばごろまでの話かと思われます。(ここで矛盾に気が付いた人もいるかな?)
逆にいうと150年モノ、200年モノのエフェオヤ・・・というのはあり得ないってことなんです。
(中途半端なまま、続きはそのうち・・・・)



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Last updated  May 26, 2016 06:09:02 PM
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