そもそも伝統は商業的に「創られる」ものである

戦略的コミュニケーションで

御社の業績を最大化する
社外No.2の今野です。
 

「恵方巻き」って、

今では当たり前ですが、

30年前には関東地方には

なかった風習ですよね。

 

というか、

関西でも1970年頃には

あまり知られていない

風習でした。

 

それを復活させたのは

セブンイレブンで、

「恵方巻き」という

呼び方もこちらの仕掛けです。(異説あり)

 

だから、「恵方巻き」は

伝統的な要素はほぼない

極めて商業的なムーブメント

ということができます。

 

が、こんなのは

別に珍しくもなんともない

話です。

 

どの風習(伝統的とされるものでも)も

商業ベースに乗ったから

広まったのです。

 

チェック柄は産業革命の産物

産業革命の商業主義が伝統を産んだ

スコットランドと言えば

チェック柄を連想する

人は多いと思いますが、

あれは産業革命の産物です。

 

要するに織物業社が

織物を売るために

各氏族にそれぞれ違う

チェック柄を売ったのが

始まりとされています。

※ホブズボーム『創られた伝統』

 

神前式が生まれたのは1900年

日本の結婚式といえば、

神社なんかでやっている

神前式が「伝統」だと

思い込んでいる人が

多いですが、、、

 

あれは1,900年に

皇室の結婚式が神前式で

行われたことに端を発して

今の東京大神宮が様式をまとめて

全国に広まったものです。

 

庶民は結婚式といっても

もっと簡素だったし、

やらないことも多かった

といわれています。

 

商業主義がなければ伝統は残らない

例を挙げればきりがないんですが、

お伊勢参りが盛んになるのも

戦乱で困窮した伊勢神宮が

式年遷宮を行う資金を集めるために

布教したことが発端す。

 

その後、天下統一にともなって

街道が整備され、観光の要素も

加わったことが要因になっています。

 

つまり、

お金や商業がレバレッジになって

今の形が出来上がっているわけです。

 

出雲大社でも、

御師と呼ばれる人びとが

全国を布教して回りますが、

参拝しに来たときに使える

クーポン券みたいなものを配って

います。

 

こうした商業的な土台があって

それが形を変えながら機能するから

伝統なるものは生き残って

いるのです。

 

商業的な要素ゼロの伝統行事や

風習など存在しません。

 

「古ければありがたい」という奇妙な感性

こういう話をしていると、

たいてい

 

「お伊勢参りとか、

 そういうのは

 古くからやってることだし

 いいんじゃない?」

 

みたいな話になって、

より時代の近い、

恵方巻きやら、バレンタインやら、

クリスマスやらは

金儲けの臭がしてけしからん

みたいなことを言う人がいて

毎度、驚かされます。

 

まず第一に、

古くからの風習ならなんでも

ありというのなら、

今すぐ、

竪穴式住居に引っ越せばいいのに

と思いますし、

 

チョンマゲして、

月鞘を剃ればいいのにとも思います。

 

既婚女性はお歯黒必須です。

 

 

でも、

それはしないわけでしょう?

 

要は古くても

時代に合わないことはしないし、

自分にとってより良いと

感じるものは受け入れるわけです。

 

となると、

古いかどうか?なんて、

結局、判断の役にたって

いないということになります。

 

良い物は良いし、ダメなものはダメ。

要するに、

ぐだぐだ理由を述べるまでもなく

「良いもの」は良いし

「ダメなもの」はダメ

基準は今の価値観や自分の価値観に

合っているかどうかだけです。

 

むしろ、

多くの人が良いと思っている=市場性がある

ということなので、

ビジネスチャンスとして

乗っかれるものには

どんどん乗っかればいいと

思うのです。

 

ニーズがある人に

商品やサービスを提供するのは

価値ある社会貢献でしょう。

 

むしろ、

求めてもいないことを

伝統だからと言って押し付けたり、

求めているものを

伝統だからと言って奪い取るのは

社会悪です。

 

伝統主義の方は巻紙に毛筆でご意見を

個人的には「伝統の価値」を

声高に語る人が、

インターネットで情報発信する

事自体が不可解です。

 

横長の和紙に、

毛筆で古文の書き方で手紙を書いて

郵便などといいう近代の産物を通さず、

飛脚かなんかで言いたい

ことを述べたらいいのにと思います。

 

だいたい伝統というのは、

何年前からの続いているものを

さすのか?

 

それすら、

あまり明確ではないように思います。

 

ちなみに古いものの方が

より価値があるのであれば、

お寿司は「なれ寿司」一択です。

 

商業主義を否定するなら、

茶の湯も全否定のはずです。

 

茶の湯は、

精神性はあるにしても、

商業主義と権力がないと

成立し得なかったはずです。

 

そうでなければ、

茶碗1つで城1つの価値

などというバカげたことが

まかり通るはずはないでしょう?

 

金儲けを卑下する人も

いますが、

合法的かつ倫理的に

商売をしている限り

お金は誰かからの感謝です。

 

そんなわけで、

恵方巻きが金儲けの手段で、

最近できたものでも、

喜んで買う人がいて、

 

それによって、

潤う生産者やお店があるなら

全然OKじゃん。

 

というのが、

本稿の結論です。

 

あなたはどう思いますか?

 

補足:

ちなみに、

恵方巻きの大量廃棄なのは

商業主義が問題なのではなく、

資源の最適利用ができていないこと、

供給量をコントロールできていない

ことが問題なのです。

 

廃棄を大量にだすことは

コストなので、最適量を供給できて

ロスが少ない状態が商業主義的に

生み出されるはずです。

 

ちなみに、

洋菓子などの生菓子を売っている店では

毎日大量に廃棄がでているわけだし、

コンビニやスーパーでも毎日、

大量に食料品が捨てられています。

 

たまたま目立つと言うだけで、

「恵方巻き」だけを叩くというのでは、

少々、短絡的すぎるのでは?と

思えます。

 

もし、

変革が必要ならご連絡ください。

お手伝いさせていただきます。


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