多くの仕事を残し

「後は任せたで」

と上司が帰って行く。

「お疲れ様でした」

私は大きな声で叫ぶも、心の中ではいつも舌を出している。上司の管理下では無いがゆえ、張り詰めた空気が無いここからは、惰性で仕事を出来るのであるが、定時で上がれるかはわからぬ程の仕事量をこなさねばならないと思うと毎回ゾッとするのであった。そして部下しかいないこの状況下では、有線のチャンネル権は私の物となる。すぐに「週間ベスト」から「邦楽バラードベスト」に変えるのがいつもの日課であった。バイトの女の子からは、

「何でですか~?」

と毎度のことながら揶揄されるが、

「別れた恋人を思い出すためやで」

と笑いながら返す。情景を思い浮かび上がらせるのは、その時かかっていたメロディというものが必ず存在し、時好に投じた甘い愛の歌が折々のシーンで流れているものなのである。それらを聴けば、淡い当時の想いが自然と浮かび上がらせ、その面影に耽ることが出来るのであった。男というものは女々しい存在で、いつまでも過去を引きずるものなのだ。更にそれが踊り子のステージで使用する曲であることも多いことから、

「これは誰々のベッド曲」

とクイズ王よろしく、即答出来る私には、会社では何ら意味を持ちえぬ特異能力を身に付けているのが少しの自慢であった。この場合、衣装やその色を思い出せないのは何故なのだろう。多く印象に残るのはベッド曲がゆえ、盆に入った踊り子の汗を帯びた裸身からは自信に満ち溢れ、足を天に上げているからだろうか。

 

小室哲哉引退を受け、最近の私は「90年代ベスト」に合わしている。いつから日本は聖人君子の国になってしまったのだろう。かつて日本の男は遊女の最高位である花魁や太夫と興じるのが最高のステイタスであった。それを許容する風土が根付いていたはずであった。それすら手の届かぬ庶民達は、彼らに尊敬の念を抱いていた。音楽家にとって楽曲提供が全てであり、受け手はそれ以上を求めるものではない。会見で語っていた引退時期の“引き際”を探っていたというのも、何となく理解は出来るが、彼の音楽を聴いて影響を受けた我々には惜しいものであった。

 

数年来の付き合いで、週末の晃生にしか来ない何故だか馬の合う方がいる。

「そんなに劇場に来て踊り子を観たい欲求があれば、ボケることはありませんよ」

とその都度笑いながら言っている。踊り子の若い感性と先端を走る曲が重なり、その上ステージを観られるとあっては、定年が過ぎた独居老人には刺激は多い。しきりに彼は

「週末が待ち遠しくて飽きない」

と言い放ち

「客は多い方が良い」

と付け加える。平日派の私にはあまり理解出来ぬものなのであるが、客が多いと盛り上がるというのもわからぬものではない。そんな彼が最近、好きな踊り子とロビーで擦れ違っても、挨拶すらしてくれないと悩んでいると言う。

「デビューした頃はそんなことは無かった」

と言うではないか(笑)。少しの綻びが嫌悪を抱く。劇場に来る客は多くの属性がいており、写真を買わない彼にとって、そのあたりも含めてストリップなのだ。

「そんな。ええ年したオッサンが何言うてますの。踊り子も忙しいんですよ。目が合って、足上げてオープンしてくれるぐらいの、距離感ぐらいが調度良いんですよ」

と言っておいた。

 

「東洋書いてから、今週の私のレポね」

角ばった楷書のような字の時とやけに丸っこい字の時がある、はるちゃんのポラであるが、上手く使い分けられ、私はその甘い字で毎回いいように弄ばれている。

「いやいや。東洋も書かないし、今週も書かないよ」

元来の遅筆に加え、毎度のように前記事で全てのボキャブラリーを曝け出し、もう何も出てこないぐらい腑抜けになっていた。ツイッターで「周年作良かった」と何の面白味の無い呟きぐらいでは許して貰えない。しかしどうして東洋に行ったことがバレているのかが不思議でならないのであるが、もう開き直って

「多くを観た上であなたを誰よりも愛している。その方が説得力を持つのだ」

と叫ぶほか無いのであった。そのセリフも踊り子に何人そう言ったのか私自身わかっていない。

 

よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ

 

私は演目で動くから―。

それを今まで通り貫き通す。

 

初日とはいえ平日は知った客は少なかろうと、仕事帰りに6000円入場で3階へと走って行った。前列は観たことのある濃い面々のオッチャン達で埋まっていたのは、想定外であった。

 

「癒える良い香りがして、10日間は爛々とし、その翌日に枯れてくれるもの」

無茶な注文をしたわけであるが、階段に所狭しとあった全国の踊り子からの胡蝶蘭には劣るものの、喜んで貰えた。それを両手で抱え、無邪気に微笑むはるちゃんの写真をデスクトップの両脇に立てた。客は踊り子の命に背いてはならない。ベッド曲を聞きながら、私はタイプし続けるしかなかった。

 

 

 

20181中 晃生ショー

(香盤)

  1. 多岐川美帆 (道頓堀)

  2. 葵マコ (東寺)

  3. 左野しおん (道後)

  4. 春野いちじく (TS)

  5. 青山はるか (晃生)  周年♪

 

2演目:葵マコ/左野しおん/春野いちじく

1演目:多岐川美帆/青山はるか

 

 

青山はるか 【百花繚乱】

激しい三味音から、水色と紫の重なった着物姿。頭にも同柄の髪飾り。手には羽根の付いた扇子を持ち、大きな手の動きの中でゆっくりと回転しながら踊る。

 

散り際に燃えた美しさを忘れない 忘れない… 

夢の続きは君の託そう 太陽みたいな笑顔に

 

髪を下ろし、白い大きな帯を解いていくと、白い襦袢姿で一舞。強い光を一心に浴び回転盆へ入り、ポーズを決める。Lから手を使わないスワンへ。最後はブリッジから足を垂直に上げ、ラストを締めくくる。

 

ショートにして頬に膨らみがあった頃の幼さを感じたものの、長い休業から快癒し、久しく会っていなかったはるちゃんは、どこを切り取ってみたも「相変わらず良い女だな」と思わせるに十分であった。いつまで続けてくれるかわからないが、引退まで観て行くには変わらないとあらためて思った。

 

東洋と較べると、あまり進行が良いとは言えない晃生であるが、今週のカット連発には閉口した。私には

「写真を撮るな。梯子せよ」

と言われているのと等しい。そんな葛藤も虚しく、楽日3回目はわかりやすいダンスカット。さて困った。東洋はジム帰りに1巡観ていたので、私は完全に帰るタイミングを逸していた。悶々としながら観ていると、翌日にデビューを控えた北原杏里ちゃんが登場するのは望外の喜びであった。プレデビューとしてステージに立ったのである。

ベッドははるちゃんが教えたそうだ。

震えながら踊る杏里ちゃんに

「まぁ、初々しいね~」

と観る以外無いのであるが、そこが大きな魅力でもあったりする。誰にでもその時はあるのだから、心配はいらない。

 

能をつかんとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることな

 

芸事を身に着けるには、人に観られずに成長するものではない。馬鹿にされ、笑われ恥ずかしい思いをしても、舞台に立ち続ければ特別な才能が無くても成長していくものなのだ。

 

「今週は良いお姐さんが沢山いるから、いっぱい勉強して下さいね」

椅子に座りながら心の中で思っていた。その長蛇のポラ列を眺めていると、多くのタニマチ希望者が殺到しているようでもあり、今後も愛されるにちがいない。新人バブルが収まり、辛い思いをするかもしれない。その時はデビューした時の頃のような気持ちを、いつまでも忘れないでいて欲しい。

 

 

観劇日:1/11(木)ほか