「タモリの「友達なんかいらない」に橋田寿賀子が共感する理由」
と言う記事のタイトルにひかれて考えた。

その中で、友達が多い方が幸せであると言う研究者の言葉になんだかなあ・・・
私は普段ほとんど友人と言われる人との交流が無い。
人との関わりはお客さんと家族くらいだ。
それも両手両足で足りるほど。

友人らしい人はいるが、年に一度会うか合わないかで相手がどう思っているのかはよく分からない。
会えば普通に話もするし、茶化し合ったり、本音で意見を交わしたりもするから、ただの遊び仲間よりかは精神的な信頼関係は強いのだと信じてはいるが、相手はどうかわからない。
そんなだから、いつの間にか交流が無くなっていてもあまり気にしていないだろうと思う。

もともと人付き合いが苦手なので交流範囲は狭かったのだが、寂しがり屋でもある。
だからといってたくさん友達がいれば良いという訳ではない。
いつも同じ人が近くにいてくれればそれでほっとする。
まるで自閉症だと思ったが、私は発達障害のグレーゾーンなのでそれもそうかと自分で納得している。

そんな私も人生の折り返し点を過ぎて、お迎えの日のことを良く思う。
その時にたくさんの人に囲まれていたいのか?
ん~ちょっと面倒。
家族がいて欲しいのか?
それはそうかも知れない。

でも、もしかすると、一人でのたれ死ぬのかも知れない。
実はそれが昔からの死ぬ時のイメージ。
昔は寂しいなあと思った。
でも、今はあまりそう感じていない。

特に、自然に囲まれて温かいお日さまのしたなら最高。
なぜかな?
何かに包まれているような暖かさ。
自分はひとりぼっちじゃ無い
いつも世界とつながり、世界に包まれていることを感じているからだと思う。

そう考えていると、やっぱり表面的な人間関係はやっぱりいらないなあと思う。
別に葬式なんてどうでもいい。
死後に形だけ悔やんでくれる必要も無い。

できれば、お世話になった人には「ありがとう」と伝えて逝ければありがたいなあ。
そう言いたい人との関係だけはやっぱり残しておこう。