【奇跡講座と心理学】なぜ無罪の者が裁かれるのか? | ヨシジンの「心の仕組みと赦しのブログ」

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奇跡講座の実践ブログです。2022年より、再度赦しに取り組んでいます。よろしくお願い致します。

今回は、なぜ無罪の者が裁かれるのか?というマニアックなテーマに奇跡講座と心理学を使って踏み込んでみたいと思います。



この世界では、誤審判決なとで有罪を言い渡され無罪なのに刑を受けることがたまにあります。

戦争などの極限状態ともなると、国を守る為にとか、特定の宗教を守る為とか、家族や自分の生命を守る為にとか、様々な理由で個人的には無罪と分かっていても攻撃や極刑を下す場合もあります。


歴史上、全く罪は無かったのに有罪判決を言い渡され極刑を受けた最も有名な人は、やはり『イエス キリスト』ではないでしようか。


彼はキリスト教を知っていても知らなくても、大勢の人の前で十字架形に処せられ殺されたらことは多くの方がご存知でしょう…。


聖書や映画でも彼は、全く罪を犯していません。


ではなぜ無罪の彼が殺されなければならなかったのでしようか?


この事をご存知の方は意外と少ないのかも知れません。また、心理学をご存知の方はなんとなく理解ができるでしょう。


なぜ彼が殺されたのか?

それは、簡単で『彼が無罪だったから』です。

???????????


(・・?)

もう一度言います。


『彼は、無罪だったから、殺された』のです‼️


Σ(゚д゚lll)


一般的なキリスト教の教えなどでも、彼は罪深き存在である人間の罪を償う為、神の許しを得る為に処されたという見解も多いのです。



つまり罪深い我々はこの世界に生かされ、罪の無い人は生贄的に殺される(天国に遣わされる)のです。これは宗教的儀式(生贄)でもいまだによく見られますよね。



でも成熟した社会でこれはあり得ないと、現代人の思考レベルでは気づくことなのですが、良く良く見ると、いまだに無意識レベルでは行われているのです。




これは、自我の思考の力動によるものであり、奇跡講座では下記の記載かあります。



奇跡講座マニュアル編P56〜(出典元:中央アート出版 奇跡講座)

自我は、罪悪感のない状態に直面した時はいつでも、それを攻撃します。なぜなら、自我の思考体系に対する最大の罪は、罪悪感を持たないことだからです。


あなたに罪悪感かなければ、罪もないことになり、さらに、あなたに罪がなければ、自我は存在しないことになります。



※なんと、自我の思考が罪悪感そのものだったんですね!!

そしてテキストの中には、下記の記載があります。

テキスト(T-3.Ⅱ.4.2)

『自我にとっては、罪悪感のないものが有罪である。』


というのも、罪悪感を持たないということは、『汝 、有罪であるべし』という自我の戒律を破って罪を犯すことだからです。


あなたに罪悪感がないとしたら、あなたは『罪悪感がないという罪』を犯していることになります。


イエスは、私たちに罪はないと教えていました。
つまり自我はないと言っていたんですね。

イエスの逸話はたくさんありますが有名なものに下記のものがあります。



ある日、怒りを露わに村人が娼婦に向かって石を投げていたところ、イエスが通りがかり言いました。


「この中で、心の中ですら罪を犯していないものだけが石を投げても良い」と言い、村の人間は皆、ばつが悪くなってその場を散り、イエスは娼婦を助けたというものがあります。


イエスはいかなる者やストーリーにも罪を全く見ることが出来なかったのです。


だから自我は自らを守るために、罪の見ることが出来ない彼を殺さなければならなかったのです。彼は自我に対する冒涜行為をしていたことになるからです。


そして、自我の集団的な無意識レベルの罪悪感の投影が、彼を殺さなければならなかった理由ということになります。



文章にすると、いかに自我の思考体系は狂っているかが、お分かりになるでしょう。


集団的なイジメや暴力が根本的になくならない理由は、ここにあります。



ただ、この矛盾を自我が面と向かって私たちに言うことはありません。


恐ろしいことに自我は、投影という手法を使うことで、罪悪感から自由になれると教えるのです。



それは他人や社会の中に罪を見つけ出しては、それを攻撃すれば良いというものです。



怒りを使って嫌な相手を攻撃すれば、一時はスカッとするように感じるものです。


それは自分の中からその時は、消えたかのような錯覚を感じるからです。


でも本当は、全く消えていないどころか、強化しているに過ぎないのです。

同じ相手や、人を変えて怒りやイライラ感じ、攻撃を無意識に繰り返してしまうのは、こういう仕組みがあるからです。



自我の思考体系は、本当に狂っているんです。


自分の心の中の感情を抑圧し、否認し、無かったことにして、外に投影しているだけなので、原因である自分の心の中にあり続けるのです。




そして、相手や自分を攻撃する限り、また罪悪感を抱くという仕組みのループからは、逃れられません。



ここらは、赦しであれ、様々な心理療法であれ、根本原因である、自分自身の心と深く向き合うということが必須だと言えるでしよう。


また深く見ていくと、我々は深い部分で罪を持っていたい(天国には行きたくない)と、ほとんどの方が信じていることにも気づくでしょう。



そして根原には、分離があります。


奇跡講座と言うと、神がどうした、イエスがどうした、天国がどうしたという信じがたいものであるという固定概念があるかと思いますが、ほとんど自我の力動について語っているもので、それを看過していくことが最も大事な部分であり、癒しにも繋がります。

とても心理学とも深く関わっていますので、そういう見方で読まれてみるのもオススメです。




ありがとうございました。


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