英語に対する苦手意識を克服する! ~ ”英語習得に不向きな考え方” | ニュージーランド留学と海外生活ブログ ~ 一度は日本から出てみよう

3つのヒント。

『英語を話したい』と思う前に「まずは聞けるようになりたい」と発想転換

『英語ぐらいできないと困る』とは限らない、日本人なら日本語がヘタな方が困る

『英語力は日常会話程度』だとしたらネイティブ並み!そんなわけないので一度基本からやり直そう

 

情報が溢れかえるようになって、むしろ何が自分に必要かわからなくなりました。


社会全体にも強い個人の意思や決断力が失われつつあるような雰囲気です。流されやすいというか。


英語や外国語に関しても同様で、考え違いや思いこみ、いろんな刷り込みのせいでよけいに混乱し、上達の妨げになっている面が否めないと思います。


いくら単語を覚えてもどれだけ文法に明るくなっても使いこなせない。たぶん、求めるものが最初から間違っているからではないかと思うのです。


なぜネイティブのように発音できないといけないのでしょうか?それが本当なら、世界の大半は英語非ネイティブですが、ちゃんと渡り合っていることを説明できません。発音ごときさほど深刻ではないない些細なことに違いないのです。


きっと日本人以外のほぼすべての人々はアメリカ人のように発音できないといけないとは思ってないでしょうし、イギリス人のように英語が書けないといけないとは思ってないでしょう。


日本人だって国語である日本語に苦戦しています、イギリス人だって国語である英語を完璧に使うことができるのはごく僅かに違いないのです。


なのになぜ我々は卑屈なほど英語コンプレックスを抱いたり、できないと恥じたり、間違いを恐れなくてはいけないのでしょう?


相手のため?違うでしょうね。たぶん自分の心の問題。誰も気にしてないのに一方的に抱く自意識や特別意識、そこで発揮する必要はないよ・・・と指摘されそうな場違いな自尊心などです。



何度も言いますが、英語をはじめ第二外国語をやる際には、うまいヘタよりも、それを使いこなすためにはどうしたらいいかを最優先すべきです。


そう考えれば、見栄のためにアメリカ人のような巻き舌で話す必要も意味もないと気楽になれるはずです。なぜなら米語を話すのはアメリカ人だけだし、あんな巻き舌も彼ら特有のモノでしかありません。世界では圧倒的に少数派なのです。間違っても世界の標準語とはいえないからです。

違う言語の者同士、異なる人種同士が共通語として便宜的に使う道具である英語ですから、大事なのは見栄でも聞こえ方でもないんだと肩の荷を下ろすことが大切です。


まずは肩の力を抜いて、最初に書いた3つのように考え方から変えてみましょう。それだけで英語に対して築いてきた独り善がりな心の壁は低くなります。


これらは「英語恐怖症」か、逆に、学校で英語の成績は良かったというだけで甘く見て過信してる人にありがちなことです。残念ながら『英語を使いこなす』という観点では、よほどの水準に達した人を除けば学校英語ができた人ほどプラスどころかマイナスの可能性さえあります。


   


『日常会話』と、甘く見ないためには、自分の日本語力を再検証する必要が。


我々が母国語でどれほど巧みに日常会話を操りそれに伴う人間関係を構築できてるか、との観点です。自信満々に100%以上使いこなせてると胸を張る人がいたら相当の鈍感かアホですね汗

 

著者は『日常会話としての英語』はとうの昔に諦めました。でも話題の選び方や知識量など話の質では決して見下されたくないとは思います。だから、器が小さいこともありますが、せめて知識や教養では頑張って追い付きたい追い越したいと思うわけです。


相手がユーゴスラビア系の移民の出自ならそれにまつわる多少の知識は欲しいし、そこまで細かくなくても日本のことをちゃんと説明し語れないと日本人ですと胸を張れないからです。

 

それが、地図を見せても中国と日本の区別がつかないようなアホな田舎者アメリカ人と話した時に、英語ができるできないだけで見下されたくはない。トランプがアメリカを取り戻すと信じてる田舎者や、クリントンならアメリカは大丈夫と思うスノッブな連中のどちらに対してもです。



 

旅先や留学先では、日本語力からくる知性とか教養なんかの方が、むしろ英語力以上に要求されるし、それが欠如してるとかんたんに露呈して英語力以上に判断材料にされる。その部分こそが相手が着目する人間力そのものだからなんですね。


胸を張って、堂々とジャパニーズイングリッシュ力の向上に取り組みましょう!

 

 


終り。


 

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