夕方。
時間があったので・・・
いつもは避けていて、片付けない引き出しの整理をすることに。
なぜ、いつも避けているのか、忘れていたんだけども。
引き出しの奥に、隠すようにして落としてあったノートを発見。
見ると・・・
母の、最期の入院記録、だった。
そっか、無意識でもなんでも・・・
つらいから、避けていたし隠してたんだ。
平成19年2月16日(金)
母は、糖尿病でかかっている内分泌科受診日の朝に。
「息苦しい」と言いだして。
院内で車いすを押して欲しいと言うので・・・
ワタシが付き添うことになったんだ。
(いつも、付き添っていたし車いすを押してたんだけど・・・^^;)
で。
大学病院の総合受付で母が話しをしたら。
内分泌内科に行くように言われて。
すぐに、処置室のベッド上で鼻に酸素の管を・・・。
レントゲンを撮ったり、色々して。
ずいぶん待たされた後に、《肺炎。肺に水が溜まっていて・・・》と
筆談してくれて。
母は緊急入院することに。
肺に水、って。
なんとなく、糖尿からの慢性腎不全から来ているような気がした。
母は人工透析用のシャントの手術を4~5回、すっぽかしていて。
「もう、引き延ばせない。3月には、必ずシャント作ってください」
・・・そう、言われていた・・・
それに。
食事の時には、決まって咳をしていて。
誤嚥性肺炎に気をつけなければならなかったってこともあって。
で・・・
薬が効かない、と言われて。
尿量が、入院時は150/日だったのに。
日を追うごとにジワジワ少なくなっていき・・・
3日で、ほとんど出なくなり・・・
シャントを作っていないけど。
緊急で人工透析をしなければならなくなり・・・
首だったか、内腿だったか忘れたけど。
とにかく、人工透析が始まって。
そうこうしている間にも。
人工呼吸器が鼻に管からプラスチックのマスクみたいのになり・・・
ついには、機械みたいのを持ってきて・・・
多分、気管切開して、管を入れたと思う・・・
(この頃になると、もう、記憶がグチャグチャで覚えてない)
母は・・・
陸にいながらにして、溺れているような状態だと言われた。
もう、機械がなくては息さえできず・・・
そして。
人工透析4回目くらいの時に告げられた言葉は・・・。
「透析を始めると、血圧が40下がり、命がキケン・・・・
透析を中止するしかない・・・」
慢性腎不全で。
尿が出ない人にとって、透析を止めるということは・・・。
命の終わりを意味するって知ってたので・・・
トイレに駆け込んで、泣いたのを覚えている。
・・・透析を止めたら、2~3日の命・・・
そして。
人工透析を止めると同時くらいに。
本人とワタシら家族に「全身麻酔をかける」と告げられた。
何人も病院で見送っている母は、察したようで。
震える手で、力を振り絞り・・・
自分しかわからない通帳の在りかなど、書き記して・・・
眠りについた。
緊急入院から、2週間・・・
こんなことが書かれていた。
母が亡くなる数日前にうちに来た、ワンコ・・・
いまは、こんなふうになった。
(その時の写真がパソコンに取り込めないけど・・・)
その、ワンコの写真を手に、亡くなったんだな、って。
思い出したら、涙が止まらなくなった。
・・・今年の3月で、亡くなって11年になる・・・
2月1日(木)は、午後から陶芸の日なので・・・
気を取り直して、行ってこようと思う。
母は菊が好きだったな、と。