金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。

 またまた長期間ブログを放置しておりました(2016.12.1追記)。放置前に継続的にお読みいただいていた方々,コメントしていただいた方々には,長期間のブログ放置についてお詫びします。
 
 このブログは,この日本の社会で,離婚問題に悩む女性が弁護士に依頼する際に知っておいていただけたらと思うこともお伝えしたいと思いました。
 そして,私は,一番お伝えしたかったことを大急ぎで書き上げました。
 それは,次の4つのテーマの記事群です。

①離婚を考え出した女性へのメッセージ
②離婚の道のり(女性の方へ)
③弁護士を選ぶ(女性の方へ)
④法テラス・経済問題はこれでクリア(女性)

 極論すれば,私がお伝えしたいことのエッセンスは,もうこの4つのテーマ記事ですでに語られており,その後,出がらしのような記事を書いておりました(笑)。

 過去のブログ記事にアメンバー限定記事がありますが,私は,今後,限定記事を書くつもりはありませんし,新たなアメンバー登録を受けつける考えはありません。当時アメンバーになっておらず,過去の限定記事を読めないという方々,ご了承下さい。

 コメントをいただいても,私が応答コメントをすることは,基本的にできません。時間的に対応できないからです。

 メッセージをいただいても,基本的に返信はできません。時間的に対応できませんし,私はこのブログで個別法律相談を行う考えはないからです。私は,法律相談はフェイス・トゥー・フェイスでないと,責任ある相談ができないという考えを持っております。

 というわけで,双方向性ということを排除したブログになります。ご了承下さい。


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1.このシリーズのこれまでの記事

 

(1) 「非監護親の『寄る辺のない孤立感』と監護親の面会交流義務の『感情労働』性」(渡辺義弘)

(2)面会交流~紛争の泥沼化,高葛藤事案の背景事情~渡辺義弘弁護士論文(2)

(3)面会交流高葛藤事案の「紛争の実質」~渡辺義弘弁護士論文(3)

(4)ネットでダウンロード可能な渡辺義弘弁護士論文のオリジナル論文~渡辺義弘弁護士論文(4)

(5)面会交流~監護親母・非監護親父・DV事案の整理図~渡辺弁護士論文(5)

(6)面会交流調停のあり方について私が願うこと~渡辺弁護士論文(6),木附千晶(1)-2

(7)面会交流~家庭裁判所の180度転換・・・比較基準説から原則的実施論へ~渡辺弁護士論文(7)

 

2.

 前回の「面会交流~家庭裁判所の180度転換・・・比較基準説から原則的実施論へ~渡辺弁護士論文(7)」の記事で,平成20年ころから面会交流の原則的実施論が登場し,あっという間に全国の家庭裁判所に広がったという話をしました。

 そして,それは,従前の運用(比較基準説,総合考慮説)が180度変わるものであったという説明をしました。

 なぜ,このような変化が生じたのか,原則的実施論による運用の問題点は,これから渡辺弁護士論文を読み進めていく中で紹介していきます。

 

3.

 原則的実施論の運用は,特に,母が監護者となっていて,しかも非監護親父にDVの問題性が強く,面会交流においても様々な問題が生じているようなケースにおいて,その問題点が現れます。

 上記のようなケースでは,DV被害者の母は,原則的実施論の運用によって,家庭裁判所に,おもいっきり痛めつけられる状況に落とし込まれているように私には思われます。

 そして,「子どもの福祉」を言いながら,家庭裁判所の原則的実施論の運用は,子どもを置き去りにし,子どもを傷つける面会交流の強行となっている場合も多々あるのではないかと思います。

 

4.

 この記事では,以上を踏まえつつ,木附千晶氏の連載記事2を紹介します。

 

「『別れたDV夫に子どもを会わせたくない…』親権を持つママの苦しみ」・・・木村千晶氏その2

 

さて,この記事では,最後に,DV被害者である木村百合さん(仮名)のコトバが紹介されています。

以下です。

 

「私にとって面会交流は、かたちを変えたDVの継続のようです。相変わらず元夫に振り回され、『子どもとの生活を奪われないか』といつも怯えています。

 面会交流の大切さは分かっています。でも、第三者機関などで支援する人たちには、子どもと会えない親の側だけでなく、同居親の気持ちも、もう少し理解して欲しいのです。同居親が安心して子どもを送り出せるようにすることこそ、面会交流実現の近道ではないでしょうか」(百合さん)

 

記事からは,離婚の調停で面会交流に関する取り決めがなされているようですが,その調停の経緯は記事からは不明です。

ですから,調停の最中,百合さん自身は面会交流に前向きであったのか,それとも面会交流に消極的であったのかは全く分かりません。

 

ですから,以下に述べることは,この記事の百合さんのケースにも当てはまるのか,当てはまらないのかは全く分かりません。

 

5.

 家庭裁判所が採用する原則的実施論においては,一応,面会交流を禁止・制限すべき事由として,子どもへの虐待,DVが上げられています。

 しかし,実際の運用面では,DVを理由として面会交流が禁止・制限されるというのは少ないように思います。むしろ,DVがあっても,それでもなお,面会交流をなんとか実施させようというのが家庭裁判所のスタンスではないかと私には感じられます。

 

 そのような家庭裁判所のスタンスは,面会交流を求める非監護親(多くは父)の訴えに傾斜し過ぎているように私には思われます。

 問題のある非監護親父への対処で監護親母がストレス一杯になり,ボロボロになり,それが日常の子への監護を動揺させ,子の福祉に反する結果を将来しかねないということについて,家庭裁判所は具体的に考えてくれず,そのストレスがどれだけ甚大であろうが,「苦役」のレベルに達していようが,監護親に,それを引き受けろと言っているように思われます。

 

私は, 「監護親の監護の責務」として監護親が面会交流への協力を引き受けなければならないことは否定しません。しかし,それも程度問題で,非監護親父の問題性が極めて大きく,非監護親父への対応が「苦役」レベルに達してしまうような場合は,そういう非監護親父の問題性が解消されるまで面会交流を禁止・制限すべきと考えます。

そして,家庭裁判所は,第3者機関に丸投げするよりも,まず,調停手続で,そういう非監護親が面会交流について多少なりともまともになるような様々な働きかけをして,その成果もきちんと検証し,そういう非監護親への面会交流協力を監護親に義務づけていいかを具体的に考えてほしいと思います。

1.このシリーズのこれまでの記事

 

(1) 「非監護親の『寄る辺のない孤立感』と監護親の面会交流義務の『感情労働』性」(渡辺義弘)

(2)面会交流~紛争の泥沼化,高葛藤事案の背景事情~渡辺義弘弁護士論文(2)

(3)面会交流高葛藤事案の「紛争の実質」~渡辺義弘弁護士論文(3)

(4)ネットでダウンロード可能な渡辺義弘弁護士論文のオリジナル論文~渡辺義弘弁護士論文(4)

(5)面会交流~監護親母・非監護親父・DV事案の整理図~渡辺弁護士論文(5)

(6)面会交流調停のあり方について私が願うこと~渡辺弁護士論文(6),木附千晶(1)-2

 

2.

 さて,これから渡辺弁護士論文に入って行く前に,前提として,家庭裁判所の大きな変化について解説します。

 

(1) 先の面会交流~監護親母・非監護親父・DV事案の整理図~渡辺弁護士論文(5)の記事で,以下の整理図を紹介しておりました。

 

(2)

 非監護親が,監護親を相手方として,子どもとの面会交流を求め,監護親がこれを拒絶したり,また面会交流の頻度や方法などについて非監護親と監護親との見解が鋭く対立していたりするケースがあります。

 監護親と非監護親の話し合いで面会交流を円滑に実施していくことが困難なケースについて,高葛藤事案ということとしましょう。

 このシリーズでは,そういう高葛藤のケースを念頭に置いて話をしております。

 監護親と非監護親の話し合いで円滑に実施できるのであれば,家庭裁判所の出る幕ではないからです。

 

(3)

 家庭裁判所は,このような高葛藤事案について,平成20年始めころまでは,

 

 比較基準説(総合考慮説)

 

と呼ばれる判断方法で,監護親に面会交流の実施を命じるかどうかを判断していました。

 

 この比較基準説(総合考慮説)は,先の整理図の左上の四角でポイントを整理しています。

 

(4)

 ところが,平成20年ころから,東京家庭裁判所を中心に,

 

 原則的実施論(明白基準説)

 

と呼ばれる判断方法が言われだし,あっという間に,全国の家庭裁判所がこの判断方法を採用するようになりました。

 

 この原則的実施論(明白基準説)は,アズ記の整理図の右上の四角でポイントを整理しています。

 

 そして,この原則的実施論(明白基準説)の採用が,それまでの面会交流の調停や審判のあり方を,ガラリと変えてしまいました。それは,本当に劇的な変化でした。

 

3.

 では,

 比較基準説(総合考慮説)

 原則的実施論(明白基準説)

どのように違うのでしょうか?

 

以下は,ちょっと分かりにくいかもしれませんが・・・。

 

4.

まず,家庭裁判所に持ち込まれる面会交流紛争は,高葛藤事案ですと,

 

①非監護親が

②監護親に対して

③非監護親と子どもとの面会交流の実施に協力するように請求する権利を認めるか?

 

が問題になります。

 

この点は,しっかり頭に入れておいて下さい。

親は子どもに会う権利がある・・・とか,子どもは親に会う権利がある・・・とか言うような,やや曖昧で抽象的な話をしているのではないのです。

 

そして,①非監護親が②監護親に対して③面会交流実施の協力を請求する権利が認められた場合,それにも関わらず,監護親が,面会交流実施に協力しなかったとしましょう。

 

そうすると,そのような監護親の行為は,義務違反になるのです。

 

そして,そのような監護親の義務違反行為に対し,非監護親は,自身の権利(監護親が非監護親に対し面会交流実施協力を請求できる権利)を実現するために,国家権力の助力を求めることができます。

 強制執行

です。

 強制執行の具体的な流れですが,

債権者である非監護親が

地方裁判所に対し,

義務違反行為をしている監護親を債務者として

決められた面会交流の実施に協力しなければ,1回の違反行為につき 違約金を債権者である非監護親に支払えという命令(間接強制)

 

を出すよう求め,

地方裁判所は,間接強制の命令を出します。

このように,違約金の制裁を課すことで,監護親に圧力をかけ,義務違反行為を止めさせて面会交流の実施に協力させ,非監護親の権利を国家権力が実現していくわけです。

 

家庭裁判所に持ち込まれる面会交流紛争では,このような,


 

非監護親の

監護親に対する

面会交流実施協力請求権

 

 

創設するかどうか?

 

が問題になっているということをしっかり押さえて下さい。

 

監護親の側から言いますと,

 

裁判所という国家権力が

監護親に対し

非監護親と子どもとの面会交流実施に協力しろという義務

 

 

新たに課すかどうか?

 

という問題になっているわけです。

 

5.

 上記のような国家権力による強制を背後に控えた権利・義務関係を,裁判所という国家権力が,非監護親・監護親間に設定することが認められるのかどうか?

 

 ここで,比較基準説(総合考慮説)原則的実施論(明白基準説)の違いを端的に表現しましょう。

 

 

 

比較基準説(総合考慮説)では,

 

当該事案について,面会交流を実施することが,子の福祉に適うと積極的に認められる場合であれば,面会交流実施について,非監護親に権利を与え,監護親に義務を課す。

 

原則的実施論(明白基準説)では,

 

面会交流は原則実施が子の福祉に適うのであり,当該事案について,例外的に,面会交流を禁止・制限することが必要となる特段の事情が認められ,面会交流の実施が子の福祉に反すると認められる場合であれば,面会交流を禁止・制限する。そういう特段の事情を認めるに足りないときは,原則どおり,面会交流実施について,非監護親に権利を与え,監護親に義務を課す。

 

6.

 上記の違いを,より分かりやすく解説しましょう。

 法律的には,家事事件においては,立証責任(証明責任)という問題はないのですが,実際は,裁判官が事実を認定し,評価を行って決定を出すということから,立証責任(証明責任)という問題の問題が入り込んできます。

 

比較基準説(総合考慮説)では,当該事案において面会交流を実施することが子の福祉に適うかどうかよく分からない(グレー)という場合は,監護親に権利を与え非監護親に義務を課すこと(国家権力強制有り)は,否定されます。

 

原則的実施論(明白基準説)では,当該事案において面会交流を実施することが子の福祉に反しているかどうかよく分からない(グレー)という場合は,原則どおり,監護親に権利を与え,非監護親に義務を課すこと(国家権力強制有り)が肯定されます。そして,どういう権利・義務を定めるか(面会交流の実施枠組)に焦点が移っていきます。

 

 

 比較基準説(総合考慮説)

 

から

 

 原則的実施論(明白基準説)

 

への転換は,180度の大転換でした。

 

1.

私の大のお気に入りのブログ。

 

「小さな町の小さなお寺のお坊」さんのブログ

 

昔の記事を読み進めてます。


 

2.

この記事の,メッセージ,

 

耐えるのではなく

  

忍びましょう!!



より大きな人生を生きていくために・・・

 

3.

私は,

 

「意味のある我慢」と「意味のない我慢」

 

というコトバで,やや似たようなことを書いておりました。

このブログを開いて,一番最初に書いた記事群(全部の11本)です。

まあ,11本もよく書いたものです(笑)。

 

テーマ,離婚を考え出した女性へのメッセージ」

 

「意味のある我慢」・1&2~竹下小夜子先生の文章から
「意味のある我慢」・3~DVについて
「意味のある我慢」・4~彼と一緒にいてのびのびできていますか?
「意味のある我慢」・5~「ひとり分の人生」を生きること
「意味のある我慢」・6-1~彼との関係が無意味化する恐怖①
「意味のある我慢」・6-2~彼との関係が無意味化する恐怖②
「意味のある我慢」・7-1~あなたはDVを「否認」してもいいのです。
「意味のある我慢」・7-2~あなたの怒りはあなたの健康な反応です。
「意味のある我慢」・7-3~抑うつもあなたの自然な心の反応です。
「意味のある我慢」・8~離婚を決める前の法律相談も有用です。

「意味のある我慢」・9(最終)~かっこいい自分を選び取っていく道のりと「意味」

 

ときおり,昔の記事を発掘して紹介していくのもいいかな・・・。