電子タバコは禁煙グッズに非ず |   私的喫煙日記

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      私の日々の喫煙生活を記録しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      

「煙草をやめたくてもやめられない」人がアイコスなどに移行している。

街でアイコスを吸う人を本当によく見かけるようになった。人それぞれ見方はあるかも知れないが、私にはあの様子がコソコソしているように思えてならない。

何かまるで非合法なものでもやっているように吸う人がいる。私が目撃した中で最も驚いたのは、喫煙所に居るのに、コートのポケットから吸う度ごとにサッと口元に持っていき、本体を覆い隠すように持って手短に吸っては、またコートのポケットにサッと隠す人がいた。本当に非合法なモノを吸っているようなのである。

この人の心理は理解出来ないでもない。喫煙所であるから、煙草なら堂々と吸う事ができる。電子タバコは煙草であるから、堂々と吸えば良いのだが、まだあまり普及していないので、或いは疑われるかも知れないし、皆が普通のシガレットを吸っている中で、電子タバコを吸うというのは、多少の気恥ずかしさがあるのだ。

ここまでして吸いたいのだから、ニコチン依存症なのだろう。煙草をやめたいのである。

やめたいのなら、やめればいい。煙草なんて簡単にやめられる。私は過去何十回も禁煙に成功している。これを言うと皆冗談だと思うのだが、冗談ではない。私が煙草を吸っているのは煙草が好きだからであり、やめられないからではない。こう言うとまた負け惜しみだと思う人がいるが、事実、ニコチンに依存しないで生活する事は全く苦ではない。煙草に代わる物は世の中に沢山あるし、ストレス解消の回路を別に組んでやりさえすれば、煙草をやめることは実に簡単なのである。

例えば、人間が映画を見ないで生活する事は可能だろう。事実、映画を見ない人も居るし、そういう人が早死だとか、病気になったという話は聞いたことが無い。しかし、映画は人生を豊かにする。より文化的な生活を提供してくれる。本もそうだ。本を読まない人は本を読む人よりも人生を損していると私は思う。

私が煙草を吸う理由はそれと同じである。人類が生存する事には不可欠ではない。その点では哲学と同等である。

それに、煙草に代わる物は煙草と似て非なる物ではないと思う。似て非なる物はその物から最も遠い。アイコスやその類の電子タバコを吸っている人からは、煙草に対する未練のようなものを感じるのだ。そういった未練がましさが、アイコスを吸う人の挙動を、不思議なコソコソとした所作にしているのだ。

電子タバコを吸いたいのなら、堂々と吸おう。

あれはあれで面白いし、スマートでカッコイイ吸い方というのもこの文化の醸成と共に開発されて行くだろう。

ただし、電子タバコは煙草の代わりにはならない。また、煙草をやめられもしない。その事は断言しておく。