正座・初詣「思い込みに騙されるな!日本の伝統の正体」(1) ビーバップ!ハイヒール | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

正座・初詣「思い込みに騙されるな!日本の伝統の正体」(1) ビーバップ!ハイヒール

余計な話から始めます。

今週の「ビーバップ!ハイヒール」は
「がんばれニッポン!世界が愛した日本人SP」と題し、
平昌オリンピックに合わせ、
過去の放送から世界で活躍した日本人や日本と世界の絆を扱ったものを放送。
第二次世界大戦時の杉原千畝の行跡や
幕末のトルコ軍艦エルトゥールル号救難とイランイラク戦争のお話などが
紹介されました。

その中でアーレイ・バークの話もあり、彼は先の大戦時の米海軍大佐で
日本海軍の多数の軍艦や戦闘機を沈めています。
同時に攻に遭うなど、日本軍に苦しめられた経験もあります。
その経験から公共の場所で日本人を差別的に呼ぶなど、
彼は嫌日家となりましたが、日本人との関わり、
特に番組では日本のホテルの女性従業員との関わりにより
親日家へと変わったというものでした。

2011年、東日本大震災直後、
米軍は「トモダチ作戦」を展開、
空母ロナルド・レーガンが旗艦となりましたが
その艦長がトム・バーク大佐で、
彼はアーレイ・バークの孫だという話でした。

今、検索してみますと
この主旨で書かれたかなりの数のブログ記事などが見つかります。
ただ、この番組でこの話が扱われた2013年に
調べようとしてみたんですが
よくわかりませんでした。

今回の「再放送」をきっかけに調べ直してみますと

米海軍に関する都市伝説(その3):「トモダチ作戦に従事した空母ロナルド・レーガン艦長(当時)のトム・バーク大佐はアーレイ・バーク提督の孫」という話がテレビでも放映されていたようですが、これは事実ではありません。苗字が同じだけで血縁関係はありません。
https://twitter.com/CNFJ/status/712483161586999296

というtweetが。
在日米海軍司令部の公式アカウントですので
おそらく間違いないでしょう。
どこかのテレビ局でも放送されたのかも。
思い込みは禁物ですね。


さて、その前の週は「思い込みに騙されるな!日本の伝統の正体」で、
カシコブレーンは作家の藤井青銅さん。
脚本家で放送作家でもあり、
ラジオ番組を多数手がけられ
テレビでは「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」を担当。
私も「超日本史」を読んでいることに気付きました。

 

 

 

正座
新聞やネットの番組表には
「正座に隠された幕府の(秘)思惑!?」と記され
「時代劇のウソ」のような企画や書籍ではよく扱われる
これを放送するんだと思いました。

(Wikipediaより)    


彼女は常高院。
浅井初としたほうが通りがよく、京極高次室。
浅井長政と市の娘で、姉に茶々、妹に江がいます。
注目すべきはこの左脚で、立て膝になっています。
高台院(北の政所/ねね/おね)の座像でも
同様のものが残っていて
時代劇では例外なく正座をしているものの
当時は女性もこれが一般的な座り方で、
かしこまった席では胡座が正式な座り方だったようです。

ただ、現代人は正座を最も礼儀正しい座り方だと認識し、
礼儀を重んじる武道では正座が正式な作法。
その由来はどこにあるのでしょうか。
番組では徳川幕府の思惑がルーツだとしていて、
徳川時代までも正座をすることはあったものの
それは神仏の前の時だけ。
これを徳川将軍家は直臣や大名たちに求めたというのです。
以後、行儀良く座る時には正座が当たり前となったといいます。


初詣
私が子供の頃、大晦日の夜から年明け直後、
京阪電鉄の特別列車に乗るのが恒例でした。
この夜だけは特別ダイヤで
初詣のための編成を出していた鉄道会社が多かったと思います。
私の場合は、毎年の初詣は、なぜか石清水八幡宮と決まっていました。

初詣は日本人固有の習慣ですが
なぜ、私たちは決まった神社などにお参りするのでしょうか。
この習慣が定着したのは意外と新しく
明治の半ばぐらいだといいます。

元々、私たち日本人には正月に「恵方詣り」をする習慣がありました。
恵方詣りは歳徳神(としとくじん/歳神)がいらっしゃる方角の寺社に参拝し、
その年の無事と幸福を願うというものです。

余談としては、関西では節分の頃に恵方詣りが行われていて
太めの巻き寿司、太巻きを食べる習慣がありました。
これかコンビニなどの戦略により
「恵方巻」という名前で全国にて売られるようになりました。

明治32年、立川勇次郎は大師電気鉄道を立ち上げ
川崎駅から川崎大師駅の2kmの路線で営業を開始し
2年後には品川駅まで路線を延伸しています。
立川は恵方参りと鉄道を結びつけ集客に利用、
川崎大師の参拝客は激増したといいます。

しかし、歳徳神の在位は十干により決まるもので
毎年変わります。
安定的な収入を求める鉄道会社としては
好ましくない考え方です。
そこで立川は川崎大師への「初詣」なら
恵方にかかわらず御利益があると宣伝。
目論見通り川崎大師は、毎年、大勢の人で賑わうようになりました。
この成功により、ほかの鉄道会社も「初詣」として、
沿線の寺社を宣伝し、
現在に至るというわけなのでした。