昨日、やっと『君の名は』を見に行きました。

 

日本に来る前からずっと見たかったのですが、

こっちに来てからずっと目の調子が悪くて、

眼科に行ったり、整体で頭蓋骨と首の調整をしてもらっていました。

 

完全にいい状態とは言えないけれど、

少しはマシになったので、映画鑑賞して来ました。

 

さすがに、時間帯も遅かったのと

ピークは過ぎたようで映画館は空いていて

良い席でゆったりと見られました。

 

映画は背景が綺麗に描写されていて、美しくてときめきました。

アメリカの映画はCGを使い過ぎて

全部同じように見えるので興味ありません。

(ドキュメンタリー映画はいいのがありますけれど)

日本人の繊細さが生かされた美しい絵は

どんなに機械化が進んでも、

いつまでもなくして欲しくないと思います。

 

この映画の鍵となるのが、彗星なのですが、

私は彗星に乗って地球にやって来た記憶があり

言語化や映像化していないはっきりと自覚していない領域で

確かに覚えている

それだけは断言できるのですが、

 

彗星が地球に接近している

ただそれだけのシーンで

涙がこみ上げて来て

私はあんなふうに宙からやって来たのだなぁと感じていました。

 

宙からやって来た人というと、

アシュタールとかバシャールとか色々いますけれど、

私はそういう偉い人たちなぞではなく、

 

人どころか何の形もなしていない

波の一片でしかなかったという事実しかなく

(誰であっても、原初はそうなのですけれどね)

 

不可視の領域である波というもののため

感情や意思というものすら持たず

そんな無に限りなく近い存在から

人として形を成し得たこと自体が

奇跡なのだなぁと

改めて思いました。

 

そんな自分の過去生を見た時から

 

しょっぱい人生にありがちな

気負いみたいなのが取れ

 

能天気になって

子供みたいにはしゃいだり

時に自分のバカさ加減に笑ったり

反省して落ち込んだり

 

こういう誰でも普通にやっている

何でもない時間が

とても大事に思えてきました

 

人として肉体を持つまでの

永遠と思えるような長い時間と比べると

地上から見る彗星のように

あっという間に終わるのだから

 

この世にただ一人しかいない

私という人間を楽しまなくては

もったいないと思います

 

今の肉体を脱いだ後は

この地球に戻ってくることはもうないので

心ときめく場所を

素敵なアートを

心美しい人たちだけを

見ていきたいなぁと思います

 

 

ではでは。