by Klimt

 

昨日は、小学校のバザーに行ってお手伝いをしてきました。

子供達が母の日のためにと商品を買っていく姿がいじらしくて、、、💗

普段、こんな機会はないのでとても楽しかったです。

 

バザーには新しい友人が誘ってくださったのですが、次のバザーにはあなたも出店したらいかがかしら、きっと喜ぶ人がいるはずよ、なんてお誘いもくださり。。お世辞やその場のノリで、というのではなく心から言ってくださって嬉しかったですね。

こんな天使みたいな人が、私の元へときてくださったことに感謝しました。

 

お金が絡むと人は優しくなるのは当然のことなので、その方がわかりやすくていいんですけどね。(良くないか 苦笑)

 

 

さて、スピリチュアルな人の中には善良な人を演じすぎて、怒りを溜め込んでいる人が結構いらっしゃいます。特に日本ではなぜか完璧な人を求められるからなんでしょうけど、大変だなーと思いながら遠くから見ています。

 

上の立場に立てば立つほど、人が望むような自分であり続けようとすると、いつか破びが来ます。

 

以前、アマテラスの化身だと崇められていた先生が、瞑想の合宿中に突然包丁を持って、ビジネスパートナーを切りつけようとしたことがありました。ビジネスパートナーの方への怒りや嫉妬が積もりに積もって、アマテラスではなくルシファーのような存在が乗り移ってしまったらしいですが。。。

 

私はその場にはいなかったのですが、これってあり得る話なんですよね。

 

物事は陰陽です。

生命の樹の反対側には死の樹(クリフォト)があります。

 

 

 

✳︎左下のグレーの部分がクリフォトです。

 

 

どんな立場になっても、内省することを忘れないようにしないと自分を見失うことになりますし、教わる側も自分の理想を相手にかぶせようとしないことが大事です。

 

 

魂の修行を積んで行くと、生命の樹の途中に、光への門、精神性が試される箇所があります。

そこを通過しないと光の世界へは入れないのですが、試験に落ちると一からやり直しならまだマシで、クリフォトへ堕ちてしまうこともあります。

自分ではなかなか気づきにくいので(認めたくないからか)気をつけましょう。

 

 

光の世界へ入るというのは一筋縄ではいかないものなのです。