生きることも死ぬこともイヤな人 | きららの心理

きららの心理

アダルトチルドレン専門カウンセラー
心の在り方について綴っています

以前に買った本
中島義道 著
「生きることも死ぬこともイヤな人のための本」

生きるのもイヤ、死ぬのもイヤだという思いを持っている20代の若者に聞いている
その思いを読んでいるうちに、ものすご~くイヤな気持ちに襲われた
だから、数ページを読んですぐにやめた

それは、私も20代の前半このように思っていたからだ
その若者は言う
「自分が死んでしまう限り、何をしても虚しい」
私もまさにそう思っていた

生きる意味を見つけられない
だからといって、死ぬことも出来ない
この思いを持ち続けると心の中が虚しさと無気力でいっぱいになる

ネバーエンディングストーリーという有名なお話しがある
映画にもなった
これは、世界が虚無に侵されてしまうというお話し

「虚無」 とは
なにものも無く、虚しいこと
この世の存在するすべてのものに価値が意味を認めないこと
はかりがたく無であること

人は虚無に侵されると生きることも死ぬこともイヤになってしまうに違いない
無ということは 「生きる意味がない」 と思うこと
意味がないということの気持ちには、どうせ死んでしまうから
生きることは死に向かっているということでもあるから

人は死ぬことを誰も免れることは出来ない
どれほど楽しく生きようと
どれほど成功をしようと
どれほど辛くて苦しくても
どれほど愛があろうと

これが事実であっても
生きている限り、どこにフォーカスしているのかで楽しくも辛くもなる
死ぬことにフォーカスするのか
生きることにフォーカスするのか
この違いだけ


死に向かっていることを嘆くのか
死ぬから生きる意味がないと思うのか
生きる意味がないから虚しいのか
いつ死ぬかわからないのにその不安と恐怖だけに捉われて過ごすのか
いつか死ぬとしてもそれまでに生きることを楽しむのか

「生きることも死ぬこともイヤ」
本当は生きたいと思っている
生まれて来たからには、生きたいと思う

生きたいから意味を探す
生きたいから死が待っている方向へ行かなければならないことがイヤだと思う

自分が無になることの不安や恐怖よりも
生きることの不安や恐怖の方が大きい
だから、生きることも死ぬことも出来ない
選ぶことが出来ない
勇気がない


生きると死ぬとは表裏一体
生きることは死ぬこと
皆、同じ場所に行く

輪廻転生を私は信じていない
魂が生まれかわることを実感した人はいない
それは、そうだったらいいなという死に対しての恐怖心を取り除くために安心したいだけ
それでもいいかも知れない

死後の世界を私は信じない
死後の世界を誰が見て来たのか
そこから見たことを伝える人は誰もいない
臨死体験で聞くのが日本人は三途の川があって、向こう岸に手招きしている人がいるなどである
これは日本人が三途の川という概念を持っていて、死ぬ時に渡るということを聞かされている為に、潜在意識にそのイメージとしてあるからだと言える
例えば、アメリカ人はキリスト教が多いのでイエスキリストを見るのが多いと言う

ここから考えても私には信じることが出来ない
それで、私が不安になることもない
それで、私が安心することもない

無になることは怖くはない
だって、私はその時、何も感じない
何も意識することもない
何も思うこともない

何かを思うということは生きているということだから
無は何も感じないということ
それが死だから

死ぬから生きることが無駄のような気持ちというのは
どこかで永遠を望んでいるからかのかも知れない
すべてにおいて、永遠を望む気持ちがそうさせるのかも知れない
そして、人は永遠に生きれるように本当は造られたのかも知れない