台風は「解散風」だったようで、月末には解散、10月下旬総選挙だそうである。
まあ、首相としてはこのタイミングしかないのだろう。
反アベ陣営としては、前原民進党が、ちゃんと共闘してくれるのかだけが気がかりだ。

 

さて。

 

今日は高岡で、映画「ニュースの真相」の上映会があった。

 

 

2004年の米大統領選挙前、

ブッシュ大統領の兵役履歴をめぐる報道が、

証拠とされる文書の真偽のために、謝罪に追い込まれた、という事実に基づく

ジャーナリストたちの活躍と挫折の物語である。

 

映画はよくできていた。

いわば、事実を淡々と、

しかし、確かにあったであろう、迫真の緊張感をもって、再現していた。

 

当時、マスコミを、何者かが「ハメようとしていた」というのも
たぶん事実だろう。

 

帰り道、なにやら自分に覆いかぶさったのは、

映画のもとになった事件そのものが、
「古い歴史上の出来事」であるかのような感覚である。

 

2015年の映画だが、2004年を忠実に再現しようとしたのであろう、

テレビは主に3:4のブラウン管で、

電話は長いカールコードがついているか、バッテリー部分の目だつ「コードレス」、

メールは1通がパソコンの画面いっぱいに広がっていた。

 

そして、テレビのニュース番組は、
放送局の良識を反映した、自社のエリートによる製作で、

内容の真偽は、経営を揺るがす大問題だったのだ。

 

 ◇ ◇ ◇

 

今や、テレビの政治ニュースは、
行政からの発表を繰り返すだけの、あたりさわりのないものとなり、

自分の意見を持つアンカーマンではなく、

読み上げるのが仕事のアナウンサーによって、伝えられるものになった。

 

天気や事故事件、そしてスポーツ芸能が、経済や政治のニュースを侵食し、

専門紙誌やネットの話題を、後追いすることを恥ずかしいとも思わない。

 

たぶん、今回の総選挙も、

テレビ報道は萎縮したままだろう。

 

テレビ報道はもうジャーナリズムではない、
テレビという単なる商売になったのである。

電波は、経営者と株主の守るべき利権にすぎないのである。

 

一般の視聴者にはピンとこないくらいの、小さなこの違い、
すでに後戻りできないところまでテレビ局を劣化させて、

 

愚かな視聴者に迎合することだけが、
一流大学を出た、テレビ局社員の仕事になったのではないかと、
私は怪しんでいるのである。