「アートによるまちづくりを考える」 その1その2その3の続きである。

このシリーズを書き始めた時には、珠洲の奥能登芸術祭も見てくる気が満々だったので、
それで一項を立てて、
この「アートによるまちづくりを考える」の、中心議題とするつもりだった。

結局はまとまった時間が取れず、見てこれなかったので、

同じ北川フラムのディレクションで、実績のある

大地の芸術祭」を例にして、思うところを記しておきたい。

 

大地の芸術祭は、正式には2000年から3年ごとに行われてきた
「越後妻有アートトリエンナーレ」というイベントの愛称で、
次回は来年2018年、数えると、なんと7回目となる。

この稿をおこすために、北川フラムで検索したところ、

2009年と古いが、いいインタビューが見つかったので、リンクしておく。
国際交流基金 プレゼンター・インタビュー

このインタビューの最後には、翌年2010年に始まった
瀬戸内国際芸術祭についてもふれていて、
まさに「越後妻有」が、こういった動き(アートによる地域おこし)の原点だといえそうだ。

このブログでも、2年前、2015年の夏に家族で出かけてきて、
3回にわたって記事にしている。
 大地の芸術祭(その1)
 大地の芸術祭(その2)

 大地の芸術祭(その3)

 

沈黙の春

 

体育館

 

倉庫内部

 

 ◇ ◇ ◇

 

ここからが、私の意見だ。


越後妻有は、限界地域である。
何かやらねば、遅かれ早かれ、コミュニティが滅びてしまうという危機感があっただろう。

田舎であることを逆手に取り、
芸術家の意欲と技術を、「そこに生きる人々」とコラボレーションすることには、

大いに意味があったと思う。

 

現代芸術なるものにも、社会的・現実的な「評価」が与えられ、

それを見るために人が動くという「観光産業」への波及も確実にあった。

若者の移住、恒久的な地域おこしにもつながった。
 

しかし、そのムーブメントは、17年を経過したのだ。

ノウハウは人口に膾炙し、

美術雑誌だけではない、建築雑誌も、旅行雑誌も、経済誌にまで、

大地の芸術祭と越後妻有という地域の「成功例」は取り上げられた。

 

それは「アート」だろうか。

私は、一つ一つの作品は、作家名と作品名のついたアート作品として、

地に足がついていると見ている。
時代と常識に対する批判性も確かにある。
それが、地域の広範囲にわたって「実現」しているということの「価値」も、
よくわかっているつもりだ。

 

しかし、「芸術祭」は、「祭」である。「イベント」なのである。

 

越後妻有を真似て、

ある地域、たとえば珠洲が、同様に若者を集めたい、年寄を活性化したいというとき、
アートは、そのための、単なる「道具」になり果てるのではないか。

 

参加するアーティストには、その地を、
自分自身のキャリアの一部とする、覚悟があるか。


イベントは、せめて、いま生きている人が果てるまで、
50年ぐらいの地域経営と連動しているだろうか。


文末に、ウィキペディアのコピー&ペーストで、
日本の「トリエンナーレ」を集めてみた。
地域おこしとは連動しないものも含めて、19ある。

珠洲も、ここに割って入るつもりらしい。

やるなら今のうちだ、というのは分かるが、
一方では、勝算はあるのだろうか、と心配になる。
 

もし、これらすべてが「アートによるまちづくり」に成功するなら、

他の町が、まちづくりに「アート」を取り込むのに失敗した、と評価されるのか、
そちらの方も心配になる。

まちづくりとは関係のない、純粋なアートそのものの評価、というものもあるはずだ。
 

アートによるまちづくりというものが、
アートと、まちづくりとの「相乗効果」を持ち続けられるか、

そろそろ、曲がり角なのではないか、というのが、

私の意見、

というより不安、なのである。

 

 

(この項おわり)