空気 | 三丁目の庶民

三丁目の庶民

岐阜から電波を発信しています。
言う事は熱帯低気圧くらい暑苦しいです。
ジョークは爆弾低気圧くらい寒いです。

この度の台風、豪雨災害に被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
こういう時はいつも、言葉だけでは無くもっと何かできないのか、自分自身もどかしく思います。
そう、言葉だけではなく、、

先日の記事にて、被災地を訪れることについて考え込んでいたら、ゲストの方より
「自分がどうしたいか」
という、的確な言葉を頂きました。

私としては、先の熊本地震の時に綴ったように、落ち着いた頃に現地に訪れ少しでも地域経済に貢献するしかないと考えています。

ですが、、、
東日本大震災から5年経ちますが、今回私が訪れた被災地は「時が止まっている」のです。

いや、少しづつ復興してはいるのです、現に帰還困難区域も車で通れるようになりましたし。
でも、それが私の考える「落ち着いた頃」と言えるのだろうか解らないのです。

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浪江町を越し南相馬市に入り少し走ると、
「ここから 東日本大震災 津波浸水区間」
という標識が出てきた。

南相馬市小高というところ。
ここで初めて津波被害の爪痕を目にする。

あたり一面、田畑だったのかもしくは家だったのか全く解らないけど、雑草が青々と茂る、ただただ平坦な土地が広がっていた。
しかし、、やっぱり家があったのか、基礎の跡もちらほらと見え、遠くにはまだ崩れたままの家屋も有る。
つい最近までは立ち入り制限がかけられて片付けられなかったためなのか、果たしてもう廃墟となったのか。。

そしてところどころには、がれきが入っている大きな袋が段々と積まれている。
震災当時は地獄の様であったのだろう、、、

失われた生活の気配を慰めるように、菜の花があちこちに咲き乱れてました。
黄色く明るいはずなのに、私にはそれらがなぜかとても悲しく見えたのです。

それを踏まえて、すみません続きます。