Consecration | Thousand Days

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さうざん-でいず【千日手】
1. 同一局面の繰り返し4回。先後入れ換えてやり直し。
2. 今時珍しく将棋に凝っている大学生の将棋系ブログ。
主に居飛車党過激派向けの序盤作戦を網羅している他、
雑学医学数学物理自転車チェス等とりとめのない話題も…


It's oldies now that jazz is the most central and important thing in my life, yet, I never knew that.

"Excerpts of a Conversation Between Bill and Harry Evans"



最後にもう一度ビル・エヴァンスについて語ろう。
エヴァンスは1929年にニュージャージー州の小さな町に生まれ、そこに育った。
いじめられっ子だったエヴァンスは幾度となく兄ハリーに助けられた。

兄がピアノを習っているのをいつも部屋の隅にうずくまって聴き、
レッスンが終わるとピアノの前に座ってそれを自分一人で弾いた。
そうして、六歳半のエヴァンスもピアノのレッスンを受け始める。

…それから「八十八鍵盤」の二つ名を冠されるまでに、あまり時間は掛からなかった。

木登りをして手首を折り、ピアノを演奏できない悲しみに初めて気付いたエヴァンス。
以来その一風変わった啓示に従い、死ぬまでただひたすらにピアノと向き合い続けた。


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一方、兵役を終える頃には既に麻薬との長い長い付き合いも始まっていたようである。

かのマイルス・デーヴィスに見出され、"Kind of Blue"でもピアニストとして演奏したが…
人種の違いや麻薬の問題もあり色々大変だったのか、ある時を境に二人は袂を別っている。

その後スコット・ラファロとポール・モチアンとトリオを組んだ時に何か悟ったらしく、
人智を遠く離れたアルバムを何枚か残すものの間もなくベースのラファロが事故で死ぬ。
(※死の十一日前に録音されたのが"Sunday at the Village Vanguard""Waltz for debby")

ここまでがエヴァンスの絶頂期だった、と冷酷に話を打ち切っても良いのかもしれない。
ただ、私はそこから始まる後半の方が好きなのだ。


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エヴァンスは大いに悲しんだが、働かないことには食べてゆかれないし薬代も払えない。
そこで今度はチャック・イスラエルズとラリー・バンカーを迎えて第二のトリオを組む。

この当時の動いている姿が"JAZZ 625"なる番組に残されているのだが…
鍵盤よりもなお深く頭を垂れ、虚空を見つめるフォームに底知れぬ狂気の一端を感じる。

次なる相棒であるエディ・ゴメスおよびマーティー・モレルと組んだ頃には既に、
世界的有名人となっていたエヴァンス。(ただしアメリカではなくヨーロッパや日本で)
この時期にはもう肝臓も相当悪くしていたようで…
低アルブミン血症による顔の浮腫みを隠すためか、髪を伸ばし、髭を蓄え始めている。

このトリオは十年近く続いたものの、スタジオでの演奏はあまり行われていないようだ。
そのうちにドラマーのモレルがトロントに隠居して、エリオット・ジグムンドに代わる。

しかし最後の最後に録音された"I Will Say Goodbye""You Must Believe in Spring"では、
積み上げてきた人生が生来持つ優雅さに更なる磨きをかけ、異次元の境地に達していた。


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それらの収録を終えた1977年、二人は申し合わせたようにエヴァンスのもとを去る。
体調は悪くなる一方。指の浮腫みは既に隠しようもなく、ミスタッチは増えていった。

だがエヴァンスはジョー・ラバーバラとマーク・ジョンソンという二人の若者を得て、
短い期間ながらもファースト・トリオに匹敵する最高の演奏を続けながら壊れていった。
その様子は"Homecoming""Turn Out the Stars"
そして死の四日前まで続く最終演奏"Consecration"、"Last Waltz"などに記録されている。

本人がどう思っていたかは判らないが、聴いていて実に楽しそうにピアノを弾いている。
…幸せな最期だと思う。私も斯くありたいと思う。




私の最も好きなアルバムである"You Must Believe in Spring"は、
エヴァンスの死後、1981年にやっと発売された。(もちろん当時まだ私は生まれていない)

一曲目の"B Minor Waltz"は、
地下鉄に飛び込み自殺した内縁の妻エレーンに捧げられ"B Minor Waltz (For Ellaine)"に。
収録時に題名がなかった四曲目のオリジナル曲は、
拳銃自殺した兄ハリーに捧げられ"We Will Meet Again (For Harry)"と命名された。

ラストの"Theme From M*A*S*H"は朝鮮戦争中の米軍病院を舞台とした映画の主題歌で、
一般には"Suicide Is Painless"とも呼ばれる。

…いずれも、どうしようもなく美しい演奏だ。



[私に音楽を語る資格などないがこれで締めるのは1000日前からの決まりなので仕方ない]