日曜日の更新を飛ばしてしまったので、埋めましょう。

最近、岩波書店から出た亀本洋編『岩波講座 現代法の動態〔6〕 法と科学の交錯』(2014)を読んでいます。本書は10本の論文を収めていますが、まだ全部読み切ったわけではありません…。が、少し印象に残った論文があるので、ここで若干の紹介をしようと思います。

法学とは一応社会科学(social science)の一分野です。しかし、いわゆる「科学」として皆さんが思い浮かべるであろう自然科学(nature science)とは様々な点で異なっています。よく言われるのは、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。(下線筆者)」(昭和50年10月24日最高裁判決)というものです。しかし、この「一点の疑義も許されない自然科学的証明」というところに既に誤解があると、自然科学者やその専門教育を受けた者から指摘されます。つまり、「自然科学を勉強したことがある人がこれを読めば、『一点の疑義も許されない自然科学的証明』とは、もしそれが数学における証明以外のものをさすとすれば、一体何のことをさしているのか疑問を抱くことであろう。」(亀本洋「裁判と科学の交錯」(本書4ページ))と。さらに、「法廷で科学的知識が争われる状況では、その主要争点について、理科の教科書にあるような『確実に正しい答え』を科学者証人が用意できることはまずないだろう。」と。そして、「それでも出廷する科学者の多くは、時に無自覚に、時に意図的に、その『不確実性』に自らの相場観で線引きし、専門家意見(expert opinion)として証言する。」(本堂毅「科学者からみた法と法廷」(本書63ページ))と。

自然科学であれ、前提条件が異なれば出てくる答えが異なるのは当然です。それを前掲本堂論文は実際にあった反対尋問の様子を示してその反対尋問の不当さを指摘し、さらに、これを学会等で紹介したところ会場が爆笑に包まれたということを紹介します(上記66ページ以下)。確かに、その様子は、尋問した弁護士が科学という手法について無知であることを露呈させるものであったように思います。
しかし、このような、一種の誤解は何も法律家のみが共有しているものではないのです。我々が普段目にする「科学的に言って…」との言論の多くもこれに当っているのではないかと疑われるのです。つまり、「安全性が争点となる場合、科学的に0、1で答えることは原理的に困難である。そのため、科学者による『線引き』が期待され、且つ行われがちである。しかし、そこで行われる線引きには客観的基準がないため、恣意性や価値的判断を避け得ない。そして、この線引きが『科学的に』決まると思いこんでいる科学者も現実には少なくない。」さらに、これは「特に、技術者(工学者)や医師などに、そのような『思い込み』を持つものが多い。」という痛烈な指摘まであるのです(同書73ページ、及び同注17)。本来は価値判断の部分なのに、「科学」の名の下にそれが誤解(ないし誤導)されているのです。しかも、それが(世間的に、信用度が高いと思われているであろう)技術者や医師にも多いとなれば、いわんや市井の素人をやです。

法律家も(科学者ですら誤解する)科学を(当然)誤解し、結果、一部の「まともな(真面目な)」科学者に「ねつ造」を促し(「ねつ造」表現については本書70ページ以下)、そのために、科学者に対する「ハラスメント的誘導尋問」(本書84ページ)が行われ、結果、第一線の科学者に「法律家が科学を理解していない」と嘆かせているわけですが、本堂論文はその原因が、日本の科学教育にもあると痛烈に批判します。いわく「正しい答えが出るのは、科学の対象となる現象の一部に過ぎないのだが、その真実は理科では教えられない。確立された知識としての科学は教えられていても、科学がどのような営みであり、どのような不定性を含んでいるかは、日本の理科教育では教えられていないのである。(中略)日本では、科学的知識の客観性を踏み越え、価値判断込みの意見を、あたかも科学自体で決まるもののように証言する科学者が後を絶たない。この事実は、PISAテスト(筆者注:本書79ページによれば、「これからの社会を担う市民が持つべきリテラシーとしての理科の学力を問うため、世界数十か国の義務教育終了段階の生徒に共通問題を出題し、その能力を調査する」テスト)で義務教育終了程度の科学リテラシーと考えられている科学の適用限界の理解が、当の科学者自体にも備わっていない場合がある現状を示している。」(本書79ページ以下)と。

このように見てくると、世間にどれだけ「科学」の名を借りたいい加減な言論が流布しているかも理解できますし、それと同時に、我々も十分な「(適用限界に関する)科学リテラシー」を身に着けることがいかに必要かが理解できるでしょう。「それらしく振舞っているものほど怪しい(胡散臭い)」というのは、胸を張って「こうだ!」と強弁している、ありとあらゆるものに妥当するのかもしれません。拙稿を含む、本ブログもその危険を内包しているのかもしれません。そう考えると、改めて襟を正す思いです。

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