親子関係が社会的関係でもある以上、そこには「法」の入り込む余地があります。親子関係に関する法(以下、親子関係法という)は民法中のいわゆる親子法(民法第4編第3・4章)のみに限られるものではありません。昭和48年4月4日最高裁大法廷判決で違憲判決の出された尊属殺重罰規定である刑法旧200条(平成7年に削除)なども親子関係法といえるでしょう。その他にも、戸籍法や国籍法などの一部も親子関係法だといえます(戸籍法18条、国籍法2条など)。

民法の親子法にとって重要なのは、親子関係の成立をどのように認めるかです。別稿で既述したように、母親との親子関係は、母親の分娩によって形成されます(昭和37年4月27日最高裁判決)。対して、父親との親子関係は、妻が婚姻中に懐胎した子が出産された時(民法772条1項)、そうでない場合には、認知がなされた時(民法779条)や準正と呼ばれる方法があります(民法789条)が、複雑です(その意味で、母親というのは子を「産む」存在であるという事実に大きな意味があるというわけです。なお、拙稿「生殖医療と親子法」参照)。
なお、平成24年9月4日最高裁大法廷判決による民法900条4号ただし書き前段の違憲判決について、「法律婚関係の破壊になる」というようなことが言われましたが、これは適切ではありません。というのも、婚外子であれ、被相続人が男性である場合には彼がその子を認知をしなければ相続権はありませんし、認知したところで、これは法定相続分ですから、相続によって相続分を増減させることができるからです。そもそも遺産というのは、赤の他人にもあげることができます(遺贈といいます。民法964条)。したがって、非嫡出子の相続分は法律婚とは論理的には結びつかないというべきです(その意味で立法政策に過ぎません)。

以前は、「法は家庭に入らず」と言われていましたが、ここには若干の誤解もあります。それは、この法諺の趣旨というのは、「私的領域に権力や社会道徳はむやみに立ち入ってはならない」というものだったからです。したがって、当該の問題が純然に「私的領域」内の問題ではないというものであれば法は家庭に入ってきます。刑法旧200条は法ないしは処罰権という権力でもって「尊属(自らの父母や祖父母など)はより強く保護されねばならない」という倫理を「社会道徳」としていたといえます(しかし、前記昭和48年代法廷判決の法定意見はこの倫理を法によって強制すること自体は違憲ではないという立場に立っています)。親子関係でも、例えば児童虐待などは「社会的関心」として単なる刑法犯のみならず児童虐待防止法によって規制対象となっています。

親子関係というのは、生物学的関係でもあり、社会的関係でもあるのみならず、情誼的関係でもあるといわれます。親子関係に関する法律問題を考える上でも、このような様々な点を考慮して解決を図らないことには、妥当でない結論を導くことになりかねません。殊更に「倫理的」側面を強調することや、形式的な字面を強調することには意味がありません。「法は家庭に入らず」というのは私的領域が本当に多種多様なものであり得ることを指しています。同様に、親子関係というのも星の数ほど存在しているということも言えましょう。すると、同じ事件のように見えても、その解決方法は何通りもあるということでもあるのです。

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