第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

「優しさは大きな力になる」と信じたい

2014-07-01 10:41:55 | 精神障害・脳梗塞との共存

 

 

こんにちは。

今の社会に感じることは、
『正直者は馬鹿をみる』
『優しさは損をする』
『優勝劣敗』
『騙すより騙された方が悪い』
という風潮が、益々、右傾化と共に強まってきたように思えます。

 

 

つい最近のでも徘徊する高齢者が行方不明になったり、亡くなられたりと
家族での扶養能力は、確実に落ちているように見えます。

 

 

この様な、風潮の中で
《優しさ》は、どこにあるのだろうと思えてなりません。
実際、自分も社会に対して《優しい》だろううか?と問われれば、無いのかも知れません。
そんな自分が《優しさ》を語るとは!と怒られるかも知れないし、怒る人もいるでしょう。

 

 

 

自分を含めて
《優しさ》を見つめるときではないかと考え、記事を書いています。
自分には、家族がいて、妻や子らが自分にとっては、<生きている意味>そのものと言っても過言ではありません。
妻や子らがいなかったら、今の社会では生きてはいないだろうと思っているくらいです。
ですから、
妻や子らに対しては、子供の頃から
[好きなことは何か?]
[みんながしているから、やると言うのではダメ]
[失敗してもいいから、考えて行動してみなさい]
と言い続けてきましたし、妻や子らが、それに沿って、やりたいと言えば、自分なりにやってきたつもりです。
それだけではなく、社会規範に照らして、やっては行けないことについては、正面から真剣に怒りました。

 

 

妻や子らに、以前、聞いたことがあります。
こんな病気の俺は家族に必要なのか?と
妻や子らは、
必要だと言いました
そして、どうして必要なのかと聞きました。
だって、父さんだもん。と返ってきました。
自分は、泣きました。
このとき、《優しさ》を感じずにはいられませんでした。

 

この自分が受けた《優しさ》を妻や子らに返したい。との想いで生きてきました。
また
社会にも、何か出来ることはないだろうかと思いながら生きてます。
こんな、ちょっぽけな俺でも何か出来ることはないのか?と
考え行動する《優しさ》は、大きな力になると今でも信じているし、死ぬまで返る気はないです。

 

 

 

30年以上前の家族とは、
家父長制であり、男尊女卑の家族形態であり、自由に生きることさえも制約され、
家父長に逆らえば、生きていけなくなる、そんな家族であったと思います。
自分も、それに漏れず、子供時代は、家父長制の家族で育ち、
家父長制の家族形態が機能不全を起こした中で、高校まで過ごしました。
そんな家族は、嫌だ!と子供の頃から強く思っていて、
もし、自分が家族をもったら、そんな家族にはしたくない!と強い思いをもってました。
高校卒業まで大学に行けると思い込んでいた自分は、
機能不全家族になってる事もしらずに、進路を決めるとき、親から大学へは行かせられないと告げられたとき
ひどく、落ち込み、絶望しました。
好きではないけれども【生きる】ため、やむなく自衛隊に入隊しました。
2等兵から幹部まで、約30年間、在籍
その間、妻と結婚し、子も2人授かり、家族と呼べるものも出来ました。
その時、子供時代から強く思っていた
家父長制にはしない。
機能不全家族にはしない。
そう決意し、本日まで、何とか【生きて】これました。

 

 

 

社会の中での最小単位は、家族であるし、
社会の中の家族は国家であると思っています。
その国家が、今や家父長制になり、家父長の言う事を聞かなければ、生きていけないものになっていると感じていますし、
家父長が、集団的自衛権の行使容認を限定的とは言え、決めてしまう今日
国家という大きな家族の子らたちを、あえて危険に晒す行為を《優しさ》と言うと、
それは
《優しさ》ではなく、[勝手な押しつけ]であると考えています。
30数年前の、家父長、そのままである。

 

 

現代社会は、
家父長性の家族ではなく、多様な家族形態があり、一つでは収まらないのが現実であると思っています。
その中で苦しく辛くとも決して、忘れてならないのは、家族はもとより、他人に対して、ほんの少しだけ電車で座れない高齢者や障害を持った人がいれば、
譲ってあげると言った優しさをもってほしいと思っていいます。
それが小さなものでも大きな力になります。
家父長性の《集団的自衛権行使》のような[押しつけ]には、優しさの欠片も感じません。
もし、そこに優しさがあるのならば、憲法改正を、国家の家族である国民に聞くべきであるのが正当だと考えます。
メ・メントモリでは、機能不全家族になったも同様であり、戦場に行きたければ、決めた人間が市ヶ谷の地下の指揮所にこもって安全な位置にいるのはなく、
まっさきに戦場に行って現実をみるべき。

 

 

国家の家族である子の自分が、私見として書きました。





遂に今日、【集団的自衛権の行使】の閣議決定がされます。
国という家族の形態が
家父長性になり、優しさが失われた国(家族)に変貌を遂げる哀しい日です。
いくら、きれいな言葉を並べ立てても、変貌を遂げることに変わりはありません。

 

 




これからの日本を背負う若い方達が希望の持てる社会であるように願い、引き続き行動していきたいと思っています。
生きづらい世の中でも、希望を捨てずに生きていって欲しいと願っています!

ニコ動(子らへ贈る)

最後のピアノを弾いているのは、小学生の頃の、娘です。
そんな写真を、未だに持っているバカ親父です。

 

 


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