デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ジョー・モレロを聴いてドラマーになったニコ・マクブレイン

2024-04-07 08:34:31 | Weblog
 ロックは聴かないし、ドラムも叩かない。音楽ゲーム「DrumMania」で遊ぶでもないが、ロック界を代表する19人のドラマーのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー映画「COUNT ME IN 魂のリズム」を観た。恥ずかしながら名前と顔が一致するのはカルロス・サンタナの妻で「女トニー・ウィリアムス」と呼ばれるシンディ・ブラックマンだけだったが、それぞれドラム愛に満ちた話は興味深い。

 スティックを持つきっかけになった一曲は小生が10代の頃に流行ったものばかりで思わずニヤリだ。ゴールドディスクを受賞したザ・サファリーズの「ワイプ・アウト」。ロン・ウィルソンのソロにしびれた少年少女は数知れない。セッションドラマーで「Teen Beat」のヒット曲もあるサンディ・ネルソンに魅せられた人もいる。意外にもドラマーとして評価が高いリンゴ・スターに、涼しげな顔で熱いリズムを刻むチャリー・ワッツ、スティックを廻したり空中に放り投げてはキャッチするキース・ムーン等々憧れのビッグネームが並ぶ。勿論バディ・リッチにブレイキー、ローチ、エルヴィンの名も挙がる。

 そしてヘヴィメタルバンド「IRON MAIDEN」のニコ・マクブレインは、「デイヴ・ブルーベック・カルテットのジョー・モレロの様になりたい」と語った。日本のジャズファンの間ではあまり評価されないだけにこれは嬉しい。華麗さや派手さもない地味なドラマーながら端正でよく歌う。ライブやセッションで「Take Five」をリクエストするとドラムソロは漏れなくモレロのあれになる。ジャズドラマーを志した人なら必ず練習するソロだ。初期のリーダー作「It's About Time」を出してみた。フィル・ウッズを鼓舞するバスドラムの激しさと、まだ10代のゲイリー・バートンをフォローする優しいシンバルワークにため息が出る素晴らしい作品だ。

 ツー・バスにダブルペダル、リモートハイハット、シズルシンバル・・・限りなくヴァリエーションが広がるのがドラムという楽器だ。それだけにテクニックは勿論のこと個性が問われるが、登場した面々は揺るぎない音楽観を持っている。数十年ロックを聴いていないが、ギターの轟音に負けない熱いリズムに酔いたくなった。この夏、野外ライブに出かけてみようか。Count me in・・・小生も参加します。
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テルマ&ルイーズはサンダーバードで翔んだ

2024-03-17 08:30:02 | Weblog
 1992年のアカデミー賞で脚本賞を受賞した「テルマ&ルイーズ」を4Kレストア版で初めて観た。封切り当時、「90年代の女性版アメリカン・ニューシネマ」と高く評価された作品だが見逃している。公開から30年以上も経っているので多くのレヴューが紹介されており、結末も知ってはいたが、やはり自身の目で確かめたい。見事なストーリー展開に引き込まれた。

「サンダーバードを一番カッコよく乗る女たち」という映画評もあったが、1966年型フォード・サンダーバード・コンバーチブルを駆ったロードムービーだ。サンダーバードはアメリカ先住民族のスー族に伝わる神話に登場する空想上の鳥で、単語の響きが力強いせいか多くの商品名やアルバムタイトルに使われている。60年代後半にテレビ放送されていた人形劇が懐かしいし、鉄道ファンは特急列車、時計マニアならロレックス、バイクで風を切って走る方はトライアンフを、エレキベースを弾く人はギブソンを思い浮かべるだろう。

 さてジャズファンはどれを選ぶ。ビルボードのジャズ・アルバム・チャートで2位を記録したカサンドラ・ウィルソンか。コテコテがお好きな方は迷わずウィリス・ジャクソンのプレスティッジ盤。ここはオーソドックスにルイ・ベルソンのインパルス盤を取り出した。2つのバスドラムと片手に2本ずつスティックを持って叩くエンターテイメント性が高いドラマーだ。ハリー・エディソンやカール・フォンタナの名手をさりげなく盛り立て、ソロではここぞとばかりに本領を発揮する。正確なリズムと稲妻のような怒濤のドラミングを存分に楽しめるアルバムだ。

 3月11日に2024年アカデミー賞の授賞式が開催された。作品賞を受賞した「オッペンハイマー」に、ノミネートされた「アメリカン・フィクション」、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」、「関心領域」。脚本賞を受賞した「落下の解剖学」と面白そうな作品が並ぶ。なかには30年後再公開され、「テルマ&ルイーズ」同様、アメリカ国立フィルム登録簿に追加される作品があるかもしれない。
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今宵はオスカー・ピーターソンに何をリクエストしよう

2024-03-03 08:35:21 | Weblog
 オスカー・ピーターソンのドキュメンタリー映画を観た。本人のインタビューを中心にビリー・ジョエルやクインシー・ジョーンズ、ハービー・ハンコックら華麗なテクニックに魅せられたミュージシャンの証言で構成されている。1971年に一度だけ聴いた生演奏と数十枚のレコードはどれも明朗快活で、私生活も煌めく鍵盤同様、順風満帆と思っていたが、そうではなかった。ジャズ誌に載らない陰は興味深い。

 やはり差別との闘いだ。JATPで廻っていた時、白人メンバーと一緒にレストランで食事ができなかったり、出演しているホテルなのに泊れない。タクシーに乗ろうとすると白人専用だと銃を突きつけられる。酷かったのは演奏する会場なのにトイレを使えない。ノーマン・グランツは、「このホールは俺が貸切っている、だからトイレも俺のものだから黒人も使える」と警官を追い払った。天晴。先々のトラブルを案じ、ついにはグリーンブックを頼りに黒人が安心して休める宿を探す。ピーターソンを育て、護ったジャズ界の大物プロデューサーを益々好きになった。

 そして三度の離婚は初耳だ。マイルスのようにジャケットに奥方が登場しないので知らなかった。長期のツアーで家を離れる。人気があるので自然と女性も寄ってくる。浮気もしたと正直に語っていた。1993年に脳梗塞で倒れ、そこからの闘病が「鍵盤の帝王」の強さをみせる。左手は不自由だったが諦めることなくピアノに向かう。それでも「三本の腕」があるのかという音を出す。感心したのは倒れる前、一緒に演奏していたレイ・ブラウンがピーターソンの僅かなミスに気付くことだ。素人耳では音数が多くて一音外しても判らぬが、そこは長年コンビを組んできた最強のザ・トリオのなせる技である。

 93年に惜しまれつつ閉店した神田神保町のジャズ喫茶「響」の店主大木俊之助氏は、ピーターソンの研究家として知られる。嬉しいことに当ブログの最初のフォロワーさんだ。氏のサイト「響庵通信」によるとピーターソンは、20歳(1945)から71歳(1996)までに297枚のアルバムを残しているという。小生が聴いたのはその半数にも満たないが、どれを聴いても楽しい。メロディーは作者の意図を尊重しより美しく、アドリブは変幻自在だ。さて今宵は何をリクエストしよう。
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ミシェル・サルダビーがジャズ喫茶でかかった時代

2024-02-11 08:29:14 | Weblog
 「JAZZ JAPAN」の後継誌「Jaz. in」最新号で忘れかけていた名前を見つけた。大抵訃報記事だが、今回もそれだ。ミシェル・サルダビーが昨年12月6日に88歳で亡くなったと報じている。1975年録音の「Gail」はエレキピアノを使っていて印象が薄かったことと、その後モンティ・アレキサンダーとのデュオ「Caribbean Duet」が出るまで10年程の間があったせいか、小生のなかでは88鍵から外れたピアニストになっていた。

 ベスト盤を挙げるなら「Night Cap」だ。70年録音で脇を固めるのはパーシー・ヒースとコニー・ケイという名手。スタンダードは「Satin Doll」、他はサルダビーのオリジナル。レーベルは「Debs」。フランス盤なので、当時のアメリカ盤や国内盤の新譜と比べるとかなり高かったが、帰りの電車賃が残ったので迷わず買った憶えがある。タイトル曲が凄い。真夜中を徘徊するようなベースのソロから静寂を切り裂くスネアの連打、そして間髪入れずブルースフィーリング溢れるピアノが攻撃してくる。昼間、一段ヴォリューを上げて鳴らしてよし。タイトルの如く寝酒を味わいながら低い音でじっくり聴くのもいい。

 今でこそヨーロッパのピアニストは数多く聴かれているが、70年前後のジャズ喫茶全盛時代は欧州盤を置いている店は少なかった。ベンクト・ハルベルクやマーシャル・ソラール、アンリ・ルノーは所有していてもリクエストがない限り積極的にかけない。70年代半ばにエンリコ・ピエラヌンツィ、続いて80年代初頭にミシェル・ペトルチアーニが現れてようやく注目されてきた。それは「クラシック」を基本としたジャズではなく、「ジャズ」から始まったジャズピアノだと誰でもが感じたからだろう。その先駆けとなったのがミシェル・サルダビーなのだ。改めて聴き直したが、ニューヨーク52番街の音と薫りがする。

 「Night Cap」の発売を知ったのはスイングジャーナル誌の輸入レコード店の広告だった。同じような値付けで数店が載っている。当時のジャズ誌の広告はレコード会社の新譜は勿論だが、輸入盤専門店の入荷情報が多数載っていた。これを頼りにレコードを選んだものだ。最近のジャズ誌の広告というと大手中古レコード店のオリジナル盤買取ばかりである。時代が変わったとはいえ寂しい。
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ジーン・クルーパとバディ・リッチの友情

2024-01-21 08:30:48 | Weblog
 今年初めから素晴らしい映画に出会った。舞台は西部開拓時代のオレゴン州。背景に合わせたかのようにゆっくりとした展開の静かな物語だ。冒頭、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの言葉「鳥には巣、クモには網、人間には友情」が引用される。そして、いきなりラストにつながるシーンが出てくる。ネタバレになるのでこれ以上は書けないが、厚い友情を描いた作品だ。

  ライオネル・ハンプトン楽団で同じ釜の飯を食ったベニー・ゴルソンは、不慮の事故で亡くなったクリフォード・ブラウンを偲んで曲を書いた。ジャズの深い絆で結ばれたモンクとニカ男爵夫人。男と女の情を超えた莫逆の友なのだろう。映画の題材にもなったバド・パウエルと、フランス人デザイナー、フランシス・ポウドラの交流。「オレがトレーンの代わりに雇ったのは、すっかりヤクと切れて刑務所から出てきたばかりの古い友達ジミー・ヒースだった」と語ったマイルス。そのマイルスにハンク・モブレーでは心配だからと呼び出され、「Someday My Prince Will Come」のレコーディングに駆けつけた僚友コルトレーン。

 ジャズ界には多くの友情物語がある。同時代のドラマーでライバル的にみられるジーン・クルーパとバディ・リッチだが、度々ライブやレコーディングで共演するほど仲がいい。「シング・シング・シング」のソロでドラムをリズム楽器から花形楽器に押し上げたクルーパ、片や映画「セッション」の主人公が目標にする速く正確に叩く超絶技巧の持ち主である。両雄並び立たずと言われるが、それだけに並んだ迫力は凄い。更にリッチの奥さんはクルーパの元恋人だという。ロック界ではジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンとパティ・ボイドの関係が有名だが、男同士の「情」は時に男と女のそれを遥に超える。

 映画館を出てジャズバーに向かう道すがら何人かの旧友の顔を思いだした。若いころ、マイルスの電化はどうのこうの、フリージャズの行方は、フュージョンはジャズを殺すと激論を交わした何十年も会っていない友。年賀状だけの付き合いになった飲み歩いた友人。麻雀卓を囲んだ遊び仲間。ビル・パーキンスの「Just Friends」をリクエストしようか。盟友リッチー・カミューカとの息の合ったアンサンブルが聴こえてきた。
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SWING 2024

2024-01-07 08:25:27 | Weblog
 明けましておめでとうございます。昨年は16本の更新でしたが、毎日多くの方にご覧いただきました。感謝申し上げます。訃報記事が中心でしたので、長くジャズを聴き、ジャズマンを愛している方は寂しさを感じたことでしょう。また、忘れかけていたミュージシャンも話題にしました。これを機に聴き直された方もいるかも知れません。そこからジャズの世界が一段と広がるならブログ冥利に尽きます。

 正月ですのでジャケットで遊びましょう。僭越ながら私が一番上におります。赤いマフラーが似合うのはバンドリーダーでドラマーの佐々木慶一さんです。天に抜けるシンバルの一音、空を切るスネアの一打、地に響くバスドラムの一撃、絶妙です。ベーシストはこの福笑いジャケットを作った鈴木由一さんです。太く低く唸るベースラインにゾクゾクします。そして店の管理は勿論のこと黒岩静枝さんのスケジュールまでこなすギタリストの志藤奨さんです。シンガーを盛り立てるさり気ないフレーズは見事です。私が隠れ家にしているジャズスポット「DAY BY DAY」の素敵なメンバーです。

 元のジャケットはジェリー・マリガン・カルテットのストーリーヴィル・ライブ盤です。ビル・エヴァンスとデュオ・アルバムを作るほどのピアノの名手でもあるバルブ・トロンボーンのボブ・ブルックマイヤー、ベースは「さよならバードランド」の著作もあるビル・クロウ、ドラムは飛行機のエンジニアとしても知られるデイヴ・ベイリー。低音楽器の組み合せで、しかもピアノレス。重量感のある変則編成ながら編曲の妙もあり、分厚いハーモニーから飛び出す迫力あるアドリブに酔いしれます。バリトン・サックスの音色の深さと流れるようなソロを存分に楽しめるアルバムです。

 ジャズは50年代にピークを迎え、モダンジャズで完成されたと言われますが、70年経った今も進化しているのは間違いないでしょう。才能ある若手も次から次へとデビューしています。そこから新しい形の音楽が生まれるかも知れません。今年は伝統を重んじるのは勿論ですが、新しいジャズに目を向けようと思っています。不定期の更新になりますが、時折アクセスしていただければ幸いです。
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スタンダードを演奏するなら歌詞を覚えろとロイ・ハーグローヴは言った

2023-12-10 08:27:23 | Weblog
 2018年11月にロイ・ハーグローブが亡くなった時、地元のジャズ仲間に訃報記事を書かないのかと聞かれた。何と答えたのか忘れたがショックが大きくて文章にならなかったのを覚えている。67年の「Sorcerer」からリアルタイムで聴いているマイルスや、二度生で観たハバードの死とは違う悲しみだ。デビュー時から全作品聴いているし、生にも接している。もしジャズ史上最高傑作「Kind of Blue」を超えるものを作るならロイしかいないとも思った。

 あれから5年になる。ロイ本人と仲間たちのインタビューで構成された映画「ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅」が公開された。小学生の時から注目された稀代のトランペッターを聴いたのは1989年にリリースされた初リーダー作「Diamond In The Rough」だ。この時20歳。天才と騒がれながらも二十過ぎれば只の人と言われるがロイは本物だ。ガレスピーのメリハリ、マイルスの独創性、ブラウニーの歌心、モーガンの閃き、ハバードの艶、更にサッチモのユーモア、ドン・チェリーのアヴァンギャルドさまでをも兼ね備えている。自身のアルバム「Furthermore」でロイと共演したラルフ・ムーアは、17歳の時に45歳の音を出していたと語った。

 印象に残ったシーンを記しておこう。マネージャーと口論の場面はプレスリーとパーカー大佐の関係を思わせる。芸術とビジネス、常に付いて回る問題だ。大好きなアイスクリームを頬張り、ステージにも履くエアジョーダンを選ぶ目の輝き、そんなオフの姿に引き込まれる。病を押してステージに立つ姿の凛々しいこと。思わず拍手だ。若手の指導にも熱心だったロイは、スタンダードを演奏するときは歌詞を覚えろと教える。そう、これだ。テクニックを磨いて上手にメロディーを弾いただけでは音楽にならない。歌詞を吹いてこそ歌心あふれる名演が生まれる。この話だけでロイのスタンダードを聴きたくなるだろう。

 映画は2018年夏のヨーロッパツアーに密着したもので、取材陣はこれが最期とは思わなかっただろうが、ロイ本人は死を予感していたのかも知れない。音楽は勿論、家族、病気、人生、その全てを語った。ラストでホテルの窓際に寄りかかり、「It Could Happen to You」を歌詞をかみしめるように歌う。そして「Say It」を吹く。49歳の音はあまりに美しい。エンドロールが終わっても涙が止まらなかった。 
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ジョー・パスは敬老パスを持っているか

2023-11-26 08:30:40 | Weblog
 ここ札幌市では70歳以上の市民を対象に市営地下鉄やバスで利用できる敬老パスを発行している。年間、最大1万7千円の自己負担で7万円分の優遇が受けられる仕組みだ。ジャズを聴きに頻繁に出かける小生にはとてもありがたい。それを市の負担増からいきなり2万円に引き下げるという。高齢化に伴い事業費が増加したことはわからぬでもないが、大方の利用者はこの発表に怒っているだろう。

 怒りを抑えるには静かで上質な演奏は勿論のこと笑顔のジャケットがいい。ジョー・パスの「Virtuoso 2」を見るだけでこちらも笑みがこぼれる。今回もいい演奏が出来たと満足そうだ。風貌からは敬老パスを持って市電に乗っても違和感がないが、1976年録音時、47歳である。同じギタリストのジム・ホールが62年に2歳年上のアート・ファーマーとグループを組んでハーフノートに出演した時、ファーマーはホールに敬語を使ったという。「頭見て 敬語使うな 年下だ」(毛髪川柳より)と思ったに違いないが、頭髪だけで年齢を判断してはいけない。因みにホールはこの時32歳であった。

 「Virtuoso」シリーズはどれを取り出してもギター一本でここまで表現できるのかと驚嘆する。「2」のオープニングはコルトレーンの「Giant Steps」だ。難曲を軽々弾くのだが、これ見よがしではない。「Misty」は作者のガーナーが見たであろう景色を思わせる。「Joy Spring」は音色の美しさが際立つ。ブラウニーの歌心を更にふくらました印象だ。そしてラストはギタリストなら必ず取り上げる「Limehouse Blues」で、ジャンゴ・ラインハルトへの敬愛が込められている。オーケストラかと思わせるほど音が膨らみ、絃が弾けてスケールの大きなブルースに仕上がっている。

 2018年の拙稿「札幌ドームが廃墟になる日」で、日本ハムファイターズが出たあとたちまち赤字になり、その付けは札幌市民に回ってくると記したが早速だ。それも高齢者にである。「多年にわたり社会の発展に寄与してきた高齢者を敬愛するとともに、外出を支援し、明るく豊かな老後の生活の充実を図るため、高齢者に対し、敬老優待乗車証を交付する」という『札幌市敬老優待乗車証交付規則』はどうした。
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ジャズ界の魔女、カーラ・ブレイ、風に乗って丘の彼方に

2023-10-29 08:31:28 | Weblog
 1950年代半ば、戦場カメラマンのユージン・スミスが住むアパートで、気鋭のミュージシャンが連夜セッションしていた。その様子を捉えたドキュメンタリー映画「ジャズ・ロフト」に、10月17日に亡くなったカーラ・ブレイが出てくる。グレイト・アメリカン・ミュージック・ホールのライブ盤のジャケット写真と同じ派手な衣装にマントヒヒの髪型だ。デビュー当時から小生はその出で立ちと楽曲から魔女と呼んでいるのだが、話し方といい、仕種といいイメージ通りだった。

 カーラを知ったのはピアニストではなく、1965年のアート・ファーマー「Sing Me Softly Of The Blues」の作曲者としてだ。ファーマーがイメージをふくらましながら吹く叙情的なテーマが美しい。そして68年のゲーリー・バートン「A Genuine Tong Funeral」、70年のチャーリー・ヘイデン「Liberation Music Orchestra」に提供した楽曲は一風変わっていたもののジャズのエッセンスが弾けるほど詰まっている。映画で「ようやくジャズが聴ける仕事に就いたのはバードランドのタバコ売りだった」とインタビューに答えていたが、ここで聴いた数多くのライブから学び、新しいジャズのスタイルを模索し、作曲法を磨いたのだろう。

 強烈だったのは71年のJCOA「Escalator Over The Hill」だ。詩人のポール・ヘインズをはじめ夫のマイケル・マントラー、 ドン・チェリー、ガトー・バルビエリ、ラズウェル・ラッド、ジョン・マクラフリン、チャーリー・ヘイデン、ジャック・ブルース、ポール・モチアン、シーラ・ジョーダン等々、当時の精鋭が並んでいる。集団即興演奏の頂点は69年のバーデンバーデン・フリー・ジャズ・オーケストラによる「Gittin’ to Know Y’All」と思っていたが、それとは違う形のフリージャズの極みをみたような気がした。数多くの素晴らしいアルバムをリリースしたカーラだが、多くの物議を醸し影響力が強いのはこの作品といえる。

 カーラの熱心なファンから魔女呼ばわりして無礼者と叱られそうだが、1964年の東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表チーム「東洋の魔女」、少女の成長を描いた「魔女の宅急便」、映画「西の魔女が死んだ」で初主演ながら名演技で魅了したシャーリー・マクレーンの娘サチ・パーカー等、「魔女」は最上級の形容詞である。ジャズ界の魔女、カーラ・ブレイ、享年87歳。合掌。
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リチャード・デイヴィスと目が合った。彼はニヤリと笑った。そして絃が大きく揺れた。

2023-10-08 08:27:34 | Weblog
 9月6日に亡くなったリチャード・デイヴィスを1992年に僅か1メートル前で聴いている。あの強靭なベーシストが目の前にいるのだ。中村達也のバンドでマービン・ピーターソンとジョン・ヒックスが加わっていた。椅子に座ったままのプレイだったがフロントを揺さぶるリズムと、歌心溢れるソロは、体型と表情こそ変わったものの「Heavy Sounds」のままだ。

 「Kind of Blue」や「Cool Struttin'」、「Groovy」等の名盤で、最初に覚えたベース奏者はポール・チェンバースだった。そしてジャズの深いところに一歩聴き進む。そこでエリック・ドルフィーにブッカー・アーヴィン、ボビー・ハッチャーソン、アンドリュー・ヒル・・・個性際立ったミュージシャンと渡り合った稀代のジャズマンに出会う。チェンバースも魅力あるラインを刻むが、「Out to Lunch」や「The Song Book」、「Dialogue」、「Point of Departure」はデイヴィスの存在がなければ後世まで聴き継がれるアルバムではなかったかも知れない。

 3,000作以上の録音がある多忙な音楽家の初レコーディングは、映画「グリーンブック」で話題になったドン・シャーリーとのデュオ「Tonal Expressions」で、「The Man I Love」や「Love Is Here To Stay」のスタンダードを弾いている。そしてサラ・ヴォーンのバンドで5年間修業を積む。一癖も二癖もある;ジャズシンガーである。バックで坦々とリズムを刻んでいるだけでは「Swingin’ Easy」や「After Hours At The London House」、「No Count Sarah」というマーキュリー時代の名作にクレジットされない。この時代に卓越した技術を身に付けたのだろう。

 件のライブはスタンダード中心の選曲だった。聴き慣れたご機嫌なフレーズに思わず唸る。目が合った。彼はニヤリと笑い、絃が大きく揺れた。拍手のなか小生の「YEAH!」が大きく響く。米ジャズ誌「Downbeat」国際批評家投票のベース部門で、1967年から74年まで8年連続トップに選ばれた記録はこの先も破られない。享年93歳。合掌。
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