箴言13章・口を見張るなら命を守り唇を大きく開くなら滅びに遭う | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

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 聖書は私たちの唇の用い方が、私たちの命の長さを左右することを述べています。箴言13章3節は、自分の唇を大きく開く者は滅びに遭うと述べています。一方、口を見張る者は自分の命を守る結果になります。


自分の唇を大きく開いて滅びに遭った人の例が聖書にあるでしょうか。また、自分の口を見張って生き永らえた人の例がありますか。あります。



 例えば、シムイはダビデがアブサロムから逃げていたダビデを大声でのろいました。シムイは、「出て行け,出て行け。この血の罪のある男,どうしようもないやつめ! エホバは,お前が代わりに王として支配してきたそのサウルの家のすべての血の罪をお前の上に戻されたのだ。」と言ってダビデを呪いました。(サムエル第二16:7,8)


ダビデは、サウルの家に対して血の罪を犯していませんでした。それで、シムイの言葉は正しくありませんでした。しかし、ダビデに起こったことは、もとはと言えば、ダビデがバテシバの夫ウリヤを殺害したことから来ていたので、ダビデはその場では自制してシムイをそのままにしておきました。


 シムイは、ダビデが苦難に遭っている時、これ幸いとダビデを非難するべきではありませんでした。ダビデがエホバの油注がれた者で、シムイをすぐに処刑することのできる権威ある王であることを思いに留めて、唇を抑えるのが賢明でした。


 ダビデは自分が生きている間は、シムイに手を下しませんでしたが、息子のソロモンにシムイを知恵をもって処刑するように言い送りました。シムイは、唇を大きく開いた結果、滅びに遭うことになりました。(列王第一2:8,9;44-46)




Shimei casting stones at David (shimei1)
シムイはダビデに対して唇を大きく開いて後に処刑されてしまいました


 また、神に立派な信仰を抱いていたバプテストのヨハネやクリスチャンのステファノの例があります。


 彼らの言ったことは決して間違いではありませんでした。それどころか、彼らは真実を語っていました。しかし、彼らは、あまりにも率直に真実を語ったために、早死にしました。


 バプテストのヨハネは、ヘロデ王が自分の兄弟の妻であった女性を奪って妻にしたので、そのことを非難しました。確かに、そのことは道義に反しており、ヨハネの言ったことは、間違ってはいませんでした。しかし、そのためにヘロデは、兵士を遣わしてヨハネを捕えて投獄しました。そして、ヨハネはヘロデ王の誕生日に打ち首になりました。(マルコ6:17,18。マタイ14:6-11)




ヨハネはヘロデ王の個人的な悪行を非難して投獄され滅ぼされてしまいました



ひょっとするとヘロデ王の悪行には、淫行は関係していなかった可能性もあります。そうであれば、なおのこと、ヨハネがヘロデ王の個人的な罪に関して言い立てるのは賢明ではありませんでした。 もし、最初からヘロデ王の人道に背く行いについて指摘していなければ、もっと長く証言して、バプテスマのヨハネも、王国の成員になる機会を差し伸べられる結果になったかもしれませんでした。


一方、パウロは、近親相姦をしていたヘロデ・アグリッパに証言した時、パウロはそのことを指摘せずに、真理について証言しました。パウロは冷静に識別力を働かせてことばを控えました。(箴言17:27)その結果、パウロの証言はうまくいきました。


ですから、結果を考えた時に、クリスチャンは政治的に立場の高い人に証言する場合に、その人の個人的な道徳上の悪行については口を閉ざしていた方が賢明だと言えます。少なくとも、そのことについて話すのは、その他の真理について大分証言してからがいいです。


 次に、クリスチャンのステファノについて考えます。彼は立派な人でした。しかし、彼はその証言の中で、「かたくなで、心と耳に割礼のない人たち、あなた方はいつも聖霊に抵抗しています。・・・彼らは、義なる方の到来について前もって発表したした人たちを殺し、あなた方は今、その方を裏切る者、また殺害する者となりました。」と語りました。(使徒7:51-53)



 ステファノの厳しい言葉を聞いていた人々は、「心臓まで切られるように感じ、彼に向って歯ぎしりをし、彼を石打ちにして殺しました。(使徒7:54)



 彼は、エホバ神の是認を得てはいましたから、復活します。しかし、「痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす」というのも事実です。(箴言15:1)ですから、神の裁きの音信について真実を語る場合、それによって迫害者により命を奪われる危険があるというのも事実です。ステファノが神の裁きについて言及する際に、もっと、冷静に受け止めてもらえる言い方をしたら、結果は違っていたかもしれないと思います。



Paolo Uccello - Stoning of St Stephen (stephen4)
ステファノはユダヤ人を厳しく断罪して石打で殺されてしまいました



 もちろん、ステファノは神の是認を得ていたのですから、私たちは命を落とす危険性があっても、神の裁きの音信について真実を語らなければならない場合があるかもしれません。しかし、いつも裁きの音信を厳しい仕方で語っているなら、命が幾つあっても足りないでしょう。通常は温和に受け止めてもらえる仕方で、語ることができます。(箴言15:4)



 一方、預言者ダニエルは慎重な仕方で話をして命を守りました。ダニエルは、バビロンに連れていかれて、神の律法に反する食事を強制された時、バビロンの高官たちに、反抗するのではなく、そのことについて、敬意を込めて「繰り返し願い出た」と述べられています。(ダニエル1:8)その結果、ダニエルの要望は入れられる結果になりました。



 また、ダニエルは、王に預言の説明をした時、「あなたは王の王なる方です。天の神は王国を、威力を、強さと尊厳をあなたにお与えになりました。」と述べて、王の持つ権威を認めて王に誉れを与えて語っています。(ダニエル2:29,30.37)



 ダニエルはバビロンがいつか終わることに言及しましたが、ダニエルは王に敬意をこめて語っていたので、王の怒りを買うことはありませんでした。(ダニエル7:37-39)そのようにして、ダニエルは口を見張っていました。思慮深く語りました。その結果、ダニエルは、神の預言的な真理を宣明しても、命を失うことはありませんでした。




  God helped Daniel interpret the dream of King Nebuchadnezzar of Babylon (Daniel 4)
  ダニエルはバビロンに王に証言する際敬意を込めて話して自分の命を守りました



  クリスチャンは、時には、神の裁きの音信を率直に語らなければなりませんが、物を言う時、また、聖書の預言を語る時、できる限り、冷静に受け止めてもらえるように、思慮深く語る必要があることが分かります。(箴言21:23)


  
  真理を率直に正直に語ることは、必要なことですが、証言している相手に対して、できるだけ敬意を払って語りましょう。(ペテロ第一3:15)そのようにして、唇を見張って、自分の命を守るようにしましょう。