啓示11章には、二人の証人が登場します。この二人の証人は、思いのままに預言をします。預言をするという行動は、神のご意志にかなっています。ところが、この二人の証人は、大いなる都市、つまり南の王の領地に捕らわれになるという災いを受けることになります。
二つの燭台で象徴される二人の証人とは誰を表すのか
まず、この二人の証人とは誰でしょうか。なぜこの二人の証人は、神のご意志であるはずの預言の業を行って捕らわれになるという良くない結果になるのでしょうか。
今回の記事では、以上の点での解釈に挑戦してみます。
預言の業を行うというのは、基本的に神のご意志にかなっています。(マタイ28:19,20)ところが、底知れぬ深みから現れる野獣が預言の業を行う二人の証人と戦い彼らを征服して殺すことになっています。(啓示11:7)そして、大いなる都市の大通りにその遺体が置かれます。(啓示11:8)しかし、このような結果になるのは、ある意味、良い結果とは言えません。
わたしはまだ自分のこの解釈に絶対的な自信を持っているわけではありませんが、一応、ダニエルの預言も参考に解釈を試みてみます。しかし、聖書の解釈者が最初に解釈したことが、必ずしも大正解でない場合もあります。
もし、聖書の預言にこの解釈と調和しない記述を発見したら、また、わたしのこの解釈を変更しえると考えながら、お聴きください。
(1)この二人の証人とは誰か
この二人の証人とは誰を表すのでしょうか。イザヤ書の中で、「イスラエル」国家がエホバの「証人」であると言明されたことがありました。(イザヤ43:10)ですから、ひとつの国家が、神の「証人」として表現されることもあります。
さらに、この二人の証人は。「二つの燭台」によって象徴されています。(啓示11:4)さらに、「七つの燭台」は「七つの会衆」を表しているとあります。(啓示1:20)ヨハネは、霊感によって「主の日」に来ていました。(啓示1:10)ですから、イエスが天で王権を与えられる終わりの時の前後をヨハネの預言は扱っていると思います。
そして、イエスは、「天と地におけるすべての権威」を与えられているのですから、イエスの権威や影響力は全世界に及ぶはずです。(マタイ28:18)そして、当然、このことが起こる時代は、ダニエル11章が予言している終わりの時と重なるでしょう。
この七つの会衆とは、主の日における全世界に存在するクリスチャン会衆の七つの類型を表しているのではないかと考えています。ですから、この二人の証人は、現代世界の二つの大きなキリスト教の国家を中心とした宗派でないかと考えます。
Seven churches of asia.svg: Jonadab (talk ・ contribs)
七つの会衆はイエスが王になる時代の全世界の七つの会衆の類型を表しているのではないか
それで、ダニエル書を考慮すると、この二人の証人は、終わりの時の主に二つの国家である世界的に大きなキリスト教の組織を意味するのではないかと思います。それで、結論から言うと、この二人の証人は、イタリア、あるいはバチカン市国、また、ギリシャ正教を奉じるギリシャでないかと思います。以下になぜこのように解釈するかを説明します。
(2)イエスは預言の業を行うだけでは是認されない場合があることを話された
預言をすること自体は、ある程度神に是認される業ではありますが、「主よ。主よ。わたしはあなたの名において預言しなかったでしょうか。」と主張する人々に対してイエスが「不法を働く者たちよ」と述べて退ける場合があることを言われました。(マタイ7:23)不法とは罪を意味しています。(ヨハネ第一3:4)
神やイエスの名を呼び求めること、クリスチャンであると自称すること大切ですが、それだけで神やキリストに是認されるわけではありません。神の律法を守って罪を避ける必要があります。
イエスは、クリスチャンが剣をとって戦うことを禁じられました。(マタイ26:52)また、聖書は殺人を禁じています。(ルカ18:20)ですから、二人の証人が、たとえ、預言の業を行っても、神の律法に違反して、剣をとって戦って殺人をするならば、キリストから見捨てられて、神の保護を失い他国から軍事攻撃を受けて、他国に捕らわれになってしまうという結果になることはあるでしょう。
イエスが預言を行う人を退ける場合があるのはなぜですか
クリスチャンが剣をとって戦うならば預言の業を行ってもイエスから退けられる
(2)二人の証人は霊的なエジプトつまり米国を強く非難するのかもしれない
啓示11章によると、二人の証人に関して「彼らには,天を閉ざして,その預言するあいだ雨を降らせないようにする権威があり,また,水を制してそれを血に変え,あらゆる種類の災厄をもって何度でも望むだけ地を撃つ権威がある。」と述べられています。(啓示11:5)ですから、この二人の証人は、預言者エリヤやモーセに似た預言を行います。
バアル崇拝を行うアハブと戦った預言者エリヤはイスラエルに対する不興の表れとして、雨を降らせないようにしました。(ヤコブ5:17。列王第一18:20)バアル崇拝を行うアハブとイゼベルは、エホバの預言者を殺害し、偶像崇拝を行い、淫行を行いました。(列王第一18:4)
二人の証人はモーセとエリヤに似た業を行う
また、二人の証人に関して、「彼らを損なおうと思う者がいれば,火が彼らの口から出て,その敵たちをむさぼり食う。」とあります。(啓示11:5)この記述で思い出されるのは、預言者エリヤが五十人の長と五十人を二度、エホバ神に願って天からの火で滅ぼしてしまったことです。(列王第二1:10-12)
また、モーセは、エジプトのナイル川の水を血に変え、十の災いをエジプトにもたらしました。(出エジプト7:20)モーセは、エジプトの王ファラオと立ち向かいましたが、聖書は「エジプト」を「大いなる都市」、つまり「大いなるバビロン」と結びつけています。 (啓示11:8;16:19;18:21)
All Gizah Pyramids
霊的にエジプトは大いなる都市と結び付けられる
Panorama of the Detroit International Riverfront…
Crisco 1492 - Own work
大いなる都市は大いなるバビロンと結び付けられている
それで、米国が昔のバアル崇拝の特徴を強く表すようになる時、二人の証人は、霊的なエジプトつまり米国を強く非難することになるのかもしれません。啓示の書や箴言は比ゆ的に口から火を吐く、つまり他の人々の悪いことを非難することについて述べています。(啓示9:18。箴言16:27)
確かに、二人の証人が米国について言うこと自体は、間違っていないかもしれません。しかし、二人の証人が自ら、神の律法を守らないという立場で、そういうことを言ったとしても、神からの保護を得ることができません。
二人の証人は口から火を吐いて霊的なエジプト強く非難することができるのかもしれませんがイエスの是認を得ないようです
例えば、詩編には、 「その忠節な者たちは皆,エホバを愛せよ。エホバは忠実な者たちを保護しておられる。」とあります。(詩編31:23)ですから、エホバ神が保護されるのは神の律法に忠実であろうと努力をする人々です。
そして、エホバ神は罪を許してくださる方ですし、イエスの贖いの犠牲によって罪は許されます。しかし、神の律法を守ろうとする努力はやはり神の是認と保護を得るために必要です。聖書はエホバ神がご自分に依り頼む「義なる者」を保護されると述べられています。(箴言18:4)
エホバ神はクリスチャンが義の原則を守る時保護を与えてくださいます
(3)二人の証人は山に逃げないイエスに不従順なクリスチャンたちの組織かもしれない
また、この二人の証人は、1260日の間預言をします。しかし、啓示12章では、天の女が荒野に逃げる期間も、1260日です。(啓示12:6)山に逃げるようにという命令は、イエスの命令であり、クリスチャンにはそれに従う義務があります。(マタイ24:16)それで、二人の証人が、山に逃げるべき時に、預言をしているというのは、ある意味、間違っています。それは、イエスの命令に不従順です。
イエスはご自分の弟子たちに特定の時に山に逃げるよう命じられた
ですから、二人の証人とは、クリスチャンが山に逃げるべき時に、逃げないという、イエスの命令に不従順なクリスチャンたちを表しているのではないかと思います。
(4)ローマカトリック教会と東方正教会の歴史的な成立過程
キリスト教の宗派は、非常にたくさんあります。初期クリスチャンの拠点は、エルサレムでした。しかし、パウロは、ローマにも宣教を行い、後になって、ローマ皇帝は、キリスト教を受け入れました。ローマの教会はペテロが立てたとされ、ローマの司教は法王と呼ばれペテロの後継者とされました。
サンペトロ寺院はペテロを記念して造られた
ローマ教皇(英語でPope)は一般に「ローマ法王」とも言われ、ローマ=カトリック教会の最高指導者です。現在では正式には「ローマ司教・イエス=キリストの代理・使徒の頭(ペテロのこと)の後継者・全カトリック教会の首長・ヴァティカン市国主権者」などの肩書きを持っています。中世には、政治の権力よりも権勢をふるったりしました。ローマ帝国の皇帝がキリスト教を受け入れ国教にしました。
しかし、ローマ皇帝が受け入れたキリスト教は、武器をとって戦うというキリスト教で、最初から背教していました。カエサレアのエウセビオスは『教会史』にこう記しています。312年、コンスタンティヌスは、空に逆十字とギリシャ文字XとPを合わせた幻を見て、「この印とともにあれば勝てる」という文字が浮かんでいるのを見ました。彼は神がこの幻を見せたとみなしました。
Golradir (トーク ・ 投稿記録)
神は特別な文字で戦争に勝てると保障されるはずがありません
そして、コンスタンティヌスは、ライバルと決戦し、その戦いに勝利し皇帝の地位を得ました。そのため、コンスタンティヌスはキリスト教を国教としました。
しかし、聖書は一世紀にすでに奇跡的な賜物が過ぎ去ることを預言していました。(コリント第一 13:8)そして、聖書は悪魔サタンが、「強力な業と偽りのしるしと異兆」を見せることができると述べています。(マルコ13:22。テサロニケ第二 2:9 )ですから、コンスタンティヌスが見たという幻は、聖書の神が見せたものではありません。
さらに、すでに述べた通り、イエスご自身は、クリスチャンに剣をとって戦うことを禁じられていますから、コンスタンティヌスの見た幻の音信は殺人を禁じる聖書の命令とも調和しません。(マタイ 26:52) ですから、その音信は聖書の神からもたらされたものではありません。
そして、キリスト教はローマ帝国の国教となりました。バチカンのカトリック教会は世界的な影響力があり、世界中の多くの国々にカトリックの信者が数多く存在します。カトリック教がその主要な宗教である国家は多いです。
Jean-Pol GRANDMONT |
A map of Catholicism by population percentage.…
Starfunker226
カトリック教会員の人口に占める割合―色が濃いほど割合が高い
上記のカトリック教徒の影響を示す地図によるとヨーロッパ、南米、アフリカの中央部を中心とした地域、北米、オーストラリアなどはカトリック教会の影響力がとても強いです。
そして、後になって、最初のローマ帝国は、ローマ教皇を首長とするカトリック教会と、東方正教会に分裂しました。これはある人々は11世紀半ばだとみなしています。
一方、東方正教会の 総主教庁の所在地は現在のトルコの最大の都市イスタンブールにある聖ゲオルギオス大聖堂です。
Klearchos Kapoutsis from Santorini, Greece - Ἅγιος Γεώργιος ἐν Φαναρίῳ
トルコイスタンブールにある東方正教会の総本山聖ゲオルギオス大聖堂
正教会には、ギリシャ正教会、グルジア正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会などがあります。
正教徒の人口分布 正教徒が多数派を占める国 正教徒が人口の10%以上を占める国…
そして、残念ながら、ローマカトリック教会も東方正教会も聖書の教えに不従順に剣をとって戦うよう信者に勧めてきたという歴史があります。たとえば、ローマの法王はドイツのヒットラーと契約を結びました。ドイツのカトリック教徒の兵士は武器をもって米国と戦いました。
ですから、イタリアあるいはバチカンとトルコなどの二つの国家のクリスチャンたちを二人の証人とみなすことも可能でないかと思います。さらに、ローマカトリック教会や、東方正教会は、自分たちの本拠地を持っているので、なかなかイエスの助言に従って拠点を移すということをしないのではないかと思います。カトリック教会の信者の方々は一般的に、聖書の知識が非常に乏しい方が多いです。
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(4)ローマカトリック教会と東方正教会の現在の状況
ローマの法王は、児童虐待を行う聖職者を免職しています。ですから、聖書の教えを完全に捨てているわけではなく、聖書の教えに従うよう、努力を払っているところもあります。
第一次世界大戦の後にバチカン市国は、成立しました。東方正教会のギリシャは参戦しました。そして、バチカンは第二次世界大戦では、中立の立場を保っています。それは、聖書の原則に従ってのでほめられるべきたこだと思います。 ところが、現在、ローマカトリックは同性愛者の聖職者を受け入れています。
それで、ローマカトリック教会はすでに聖書の律法や原則を捨て去っています。ですから、将来も、国際紛争が生じた時に、ローマカトリックも東方正教会も中立の立場を放棄し、キリストの教えに逆らい、兵士として剣をとって戦うという立場をとる可能性が高いです。
(5)ダニエル書はローマとギリシャが剣をとって戦うことを預言しているようです
さらに、ローマカトリックとギリシャ正教会が、将来武器をとって戦うことになる可能性が高いのは、ダニエル書に北の王が南の王を二度目に攻撃する時に、北の王は「キッテムの船」によって失望させられることになっているからです。(ダニエル11:30)
「キッテム」とは、「ローマ人」と訳している聖書の訳があります。また、「キッテム」とは「キプロス」であり、キプロスはおおむねギリシャ正教徒が八割近く存在します。ですから、二度目の北と南の抗争の時に、ローマカトリックと、ギリシャ正教会は、兵士として戦闘に参加することを選び、北の王と戦い南の王の勝利に貢献することになることが予想されます。
そのため、ローマカトリックとギリシャは北の王の敵意を受けることになるでしょう。さらに、正しくはあっても米国を厳しく非難することによって米国をも怒らせることになるのではないでしょうか。
(7)キリスト教の本拠地が荒廃し神への常供の犠牲が捧げられなくなることをダニエル書は預言
ダニエル書には、聖なる所が、神への常供の犠牲が捧げられなくなり荒廃し、「定まった所」が打ち捨てられることを預言する預言があります。(ダニエル8:11)そのようになるというのは、クリスチャンがよっぽど、神の律法をないがしろにしたからです。ダニエル書は、「違反」のために、キリスト教の拠点が荒廃することを予告しています。(ダニエル8:12,13)
昔、ユダのエルサレムは七十年の間荒廃して人が住まない所となりました。それは、ユダの王を初めとして、高官や一般の人々が神の律法をないがしろにして、エルサレムで流血や淫行、偶像崇拝がまんえんしたからでした。それで、エホバ神は、エルサレムがバビロンから軍事攻撃を受けて荒廃することを許されました。
ローマカトリックにしても、ギリシャ正教会にしても、聖書の神の名をになっているのですから、エホバ神は、聖書の神の基準を守ることをとりわけ期待されます。もし、神の律法をないがしろにすれば、ローマカトリックやギリシャ正教会の拠点が軍事攻撃を受けて荒廃してしまうという可能性は高くなるでしょう。
もし、キリスト教の拠点が荒廃してしまうならば、キリスト教が世界的に弱くなることが考えられるでしょう。しかし、預言の説明がなされるならば、聖書の正しさは、さらに立証されることになるでしょう。
(8)洞察力のある者たちの中につまずかされて剣と捕らわれを経験する者がいることが預言されている
ダニエル書には、洞察力のある者たちの中につまずかされて剣ととらわれを経験する者たちがいることが予告されています。(ダニエル11:35)もし、洞察力があるならば、米国が武器をとって諸国家を攻撃してきたことや、また、その時はっきり現れている北の王が武器をとって諸国家を攻撃したことを声を大にして非難するかもしれません。
そのために、ローマカトリック教会とギリシャ正教会は、北の王と南の王の両方の怒りを買うのかもしれません。
しかし、正しいことを語っていても、自分たちが剣をとって戦うならば、聖書の神エホバ神の是認と保護を失い自国が荒廃する可能性があるでしょう。
(9)二人の証人は命を失う前に聖書の預言の説明を受けるのかもしれない
二人の証人は最後に天に昇っていきます。(啓示11:12)これは、天国に行くことを意味してはいません。
二人の証人が天に上っていくのは何を意味しますか
ヨハネは天に上って預言を理解するように勧められたことがありました。(啓示4:1)ですから、これは、預言を理解することを意味しています。しかし、二人の証人の多くは最後に命を失うようです。最後に預言の十分の理解を与えられ、自分たちの間違いを悟るのでは遅いです。
ヨハネは天に上って将来についての啓示を得たので天に上るとは預言の説明を受けることでしょう
確かに、カトリック教会の人々の中にも、聖書の預言をある程度知っている人たちや、神の律法に従おうと努力をしている成員も存在すると思います。しかし、殺人を避けるというのは聖書の神の非常に基本的な重大なご要求であり、それにはなはだしく違反するなら、エホバ神の保護はなくなるでしょう。
それで、啓示11章の二人の証人とは、ローマカトリックと東方正教会のとりわけギリシャ正教会を意味しているのと現時点では考えています。そして、それらの諸教会と同じ立場をとるキリスト教教会の拠点にも同じことが起こりえます。もし、剣をとって戦う立場になるならば、エホバの証人を初め、プロテスタント教会にも同様のことが起こりえます。
ですから、クリスチャンたちは、剣をとって戦うことを断固として拒否し、イエスが預言された「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が設立されるという兆候が見られたなら、山に逃げるという行動が世界的に求められることになると思います。
(10)一部の忠実なクリスチャンは故国に帰還し真のキリスト教を復興する
使徒ヨハネは啓示17章で七人のみ使いから預言の説明を受けることになっています。使徒ヨハネはクリスチャンたちが大いなるバビロンから大勢殺害されるのを見ながら、その説明を受けます。使徒ヨハネはパトモス島の捕らわれから解放され、クリスチャン会衆を築き上げる業を晩年行ったことで知られています。
そして、啓示18章では、大いなるバビロンにいる神の民に大いなるバビロンから出るようにという命令が与えられます。(啓示18:4)ですから、一部の忠実なクリスチャンは大いなるバビロンから出て、故国に戻る機会があるようです。それは、大いなるバビロンから出る本当に最後の機会です。
そして、ゼカリヤ書は「ギリシャ」で真のキリスト教が復興することを預言しているようです。(ゼカリヤ9:13)また、エゼキエル書の中にも骨が生き返り埋葬所からイスラエルに帰還するという預言もあります。(エゼキエル37:12,13)また、神が「バビロンに人を遣わして,獄のかんぬきを下ろさせる」というイザヤ書の預言もあります。(イザヤ43:14)
このことも、大いなるバビロンに捕らわれになった神の民の一部には、故国に帰還して、神の崇拝の復興に携わる機会が与えられることを裏付けているのではないかと思います。誰かが大いなるバビロンに行って、何らかの形で一部の捕らわれのクリスチャンたちが解放される結果になるのかもしれません。
しかし、望ましいのは、神の律法に違反して、剣をとって戦うことを避け、必要な時には、イエスの命令に従って、山に逃げることだと思います。
それは、北の王の攻撃を避ける唯一の手段であり、また、南の王による捕らわれも避ける方法です。
確かに、南の王の土地に捕らわれになり、故国に復帰することまで、聖書の預言の成就を経験したら、熱心にキリスト教の復興に取り組みたいと考えることになるでしょう。
自分の解釈に完全な自信を持っているわけではありませんが、現時点における啓示11章の二人の証人に起きることに関する預言についてのわたしの解釈は以上のとおりです。