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マンガチック その後

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2016.04.17
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最近どうも些細なことで腹を立てることが多くなった。
腹を立てた直後に鏡に映った姿を見たら、あまりに人相が悪くなっていて我ながら驚いた。
なんとかしなければいけないと思っているところに、グループ瞑想会の案内が届いた。

「ホット・ヨーガ」だとか「何とかヨーガ」といった名前の体操が人気を集めるなど、いまやヨーガは本来がインド由来の瞑想体系であることを忘れるほどに世俗化している。
近年それを追うような形で世界中で人気を集めつつあるのが、テーラヴァーダ仏教に由来する瞑想法のヴィパッサナーだ。
「ヴィパッサナー」は「見る、観察する」を意味する動詞から派生したパーリ語*の単語で、「鎮める」を意味する動詞から派生した「サマタ」と並ぶ、仏教における瞑想テクニックの一つである。
*テーラヴァーダ仏教が用いる経典に使われている言語。テーラヴァーダ仏教に属する人たちはブッダ(お釈迦様)が実際に用いていた言語だと主張するが、実際にはブッダの時代よりも後にインド中西部で用いられていた方言と考えられる。
この二つは大乗仏教でも重視され、その双方を実習しなければ悟りは得られないとされる。
中国では「サマタ(Skt.シャマタ)」と「ヴィパッサナー(Skt.ヴィパシュヤナー)」を合わせて「止観」と漢訳された。
むろん「ヴィパッサナー」が「観」である。
しかし大乗仏教では独自の瞑想法が発達しすぎて、「ヴィパシュヤナー」の名で呼ばれる瞑想テクニックの実態がかえって分からなくなっている。
それと比べるとテーラヴァーダ仏教の「ヴィパッサナー」は比較的異論が少ない。
そして、そのテクニックが心理療法やビジネス・シーンなどで効果を上げ、近年「マインドフルネス瞑想法」などの名称で喧伝されるようになった。

そのマインドフルネス瞑想法の主流は、「ラベリング」と言おうか「自己モニター」と言おうか、それを中心とするテクニックである。
しかしテーラヴァーダ仏教の伝統のなかで、やはり「ヴィパッサナー」と主張するもう一つの瞑想テクニックがある。
それは「感覚スキャン」とでも言えるテクニックである。
僕が(十数年前に)習ったことがあり、今回、参加したグループ瞑想会で行ったのは後者である。

昔の日記を調べてみたところ、以前グループ瞑想会に参加したのは既に6年も前のことだ。
その後、5年前の脚の骨折のために参加できなくなってから、何となく会から足が遠のいていた。
地元にその瞑想テクニックの指導者がいないなか、同好の士のみで集まっていたのが従来の瞑想会だった。
ところが今年に入って、指導者も参加するようになった(もともと在住の人が指導者資格を得たのか、指導者資格を持っている人が引っ越してきたのか、どちらであるのか僕は知らない)。
しかも今日の日程は全く僕の他の予定と一切重ならない。
というわけで6年ぶりではあるが、喜んで参加してきた。

その瞑想会はこれまでは比較的中心街に近い古い建物の和室を借りて行われていた。
ところが今回初めて、少し外れたところのコミュニティセンターが会場となった。
幹事によると、指導者が参加するようになってから一般の参加率も上がったそうで、以前の会場では手狭になったため、初めての試みとして今回の会場になったのだそうだ。
僕にとっては、新会場は自宅から2.5キロしか離れておらず、逆に便利な場所である。
会終了後の他の参加者の感想によると、旧会場は自動車等の音もうるさく、オカリナ(!)を練習する音も聞こえてくるし、長唄(!)も聞こえてきたが、今回はそれと比べると静かで、物足りないくらいだったそうである。

会は午後だったので、瞑想の最中に居眠りしないよう、家を出る前にあらかじめコーヒーを飲んでおいた。
最初の1時間は禅宗で言うところの半跏趺坐で行った。
同じ姿勢を続けて痛みが出たら嫌だったので、次の1時間は(お尻の下に持参のクッションを置いて)正座で行った。
長らくサボっていたので不安だったが、久々の爽快感を味わうことができた。
指導者の話も腑に落ちる内容だった。
われわれは快感に対して執着をいだき、不快感に対して嫌悪をいだきがちであるが、快感にしても不快感にしても自分でコントロールできるものではなく、自分でコントロールできないものに対して嫌悪あるいは執着をいだくことは無益である。それゆえ瞑想を通じて、無常のことわりを身をもって体験しつつ平静な態度をだんだんに養うことができる。云々。

人生は短い。
今回こそ三日坊主にならないように実践していきたい。



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Last updated  2016.04.17 22:29:25


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