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マンガチック その後

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2016.04.29
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今年に入ってから、数十年ぶりに生(なま)で落語を聞くようになった。
笑いのない生活は楽しくないからだ。
今日は「桂米朝追善」の一門会だった。
数十年前に最後にライブで聞いたのが米朝、枝雀、ざこばの3人の会で、ざこば(当時はまだ違う芸名だったように記憶しているが、その芸名そのものは覚えていない)がほとんど前座のような立場だったが、今日の一門会では当然のことながら彼がトリだった。

それにしても近年はクラシック音楽のコンサートは老人会かと思うような客層ばかりであるが、今日の客層も似たようなものだった。
いや、むしろ、クラシックの場合は出演者によっては十代ぐらいの若い聴衆が目立つときもあるが、今日は僕の目には若くても40歳ぐらいの人しか見つからなかった。
たまたま僕の隣の席に、見た目40歳ぐらいの人物が一人いて、僕らが大笑いしている古典物の時にはあまり笑っておらず、僕が反応に困っていた新作の時には、前の席の人が思わず後ろを見るほどの声を出して笑っていた。
どうも40歳ぐらいでも、僕ら以上の世代とは笑いのツボが異なるようだった。
だとすれば、もっと若い人たちが落語を敬遠するのは無理からぬのかもしれない。

それはともかく、実際の噺に入る前に、ざこば、南光、米團治(小米朝から襲名したことすら僕は知らなかった)の3人による挨拶があり、そのなかで思いもかけない話を聞いた。
南光は米朝の形見分けで「本来無一物」の掛け軸を貰ったそうであるが、この掛け軸は元々、薬師寺元管長・故高田好胤師にその師匠であった(もちろん故)橋本凝胤師自らが書いて与えたものを、米朝が無理に貰ったものだったのだそうである。
(人物の評価はともかくとして)高田、橋本の両大物僧侶の名前を、落語会の場で耳にすることも奇なることであったし、
掛け軸の揮毫に、2012年9月8日の本ブログでも紹介した「菩提本無樹、明鏡亦非臺、本来無一物、何處有塵埃」の一部が用いられていたというのも、何かの縁を感じずにはいられなかった。

昨日が今月最後の平日であったことから必然的に今月中に最高裁判所の判断が僕のもとに届く可能性はなくなり、昨年の4月30日の控訴審判決から満1年たっても判決の確定されないことが確定した。
とは言え、最近とみに老境に入った僕は、せめて余生を「本来無一物」の精神に近づけるべく努力したいものだ。


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Last updated  2016.04.30 23:46:00


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