世界の終わり・かなしみとときめきの文化人類学1


僕は、原発反対でも賛成でもありません。その善悪を判断する能力を持っていません。まあ「判断留保」ということでしょうか、それはもう「仕方がないことかなあ」と思ったりします。人間はすでに原発をつくることをおぼえてしまったし、歴史は後戻りできない。先進国がやめても、途上国はこれからもどんどんつくってゆくのでしょう。それをやめさせることが果たしてできるのか。
それは、善か悪かの問題ではない。
いったんおぼえてしまったのならもう、それとの上手なかかわり方を工夫し続けてゆくしかない。失敗したら「世界の終わり」がくるといっても、それはもうしょうがないことです。人間にとって「世界の終わり」は許容範囲のことで、「世界の終わり」を実感するところから生きはじめるのが人間です。心は、そこから華やいでゆく。
この国の伝統である「あはれ」とか「はかなし」とか「わび・さび」の美意識は、いわば「世界の終わり」の表現であり、そこから心が華やいでゆく体験とともに生まれ育ってきたのです。
原初の人類が二本の足で立ち上がったのは、ひとつの「世界の終わり」を体験することだった。それは、とても不安定な姿勢で、猿としての身体能力を喪失する体験だった。しかも、胸・腹・性器等の急所を外にさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢だった。まさしく「世界の終わり」そのものの体験です。なのに彼らは、それでもその姿勢を常態化していった。おそらく、それによって心が華やいでいったからです。それによって見晴らしがよくなったし、他者に対するときめく心の動きも豊かになっていった。
猿が二本の足で立ち上がることなんか、かんたんなことです。しかし。人間以外の猿はみな、いったん立ち上がっても、すぐにそれを止めてもとの四足歩行の姿勢に戻ってしまう。それは、それが「世界の終わり」の体験だからです。
そのとき人類は、「世界の終わり」引き受け、そこから心が華やいでいった。
原発は「世界の終わり」だからやめないといけないというのは、猿の論理なのです。それに対して人間の本性は、「世界の終わり」を抱きすくめながら、そこから華やいでゆく心の動きをすでに持ってしまっている。それによって、人類の知能や文化は進化発展してきた。



人類は、火との親しい関係を持ったことによって、知能や文化が爆発的に発展していった。この時期がいつごろかということはまだはっきりしていないのですが、とにかくこれによって、より豊かに感動する心の動きになってゆき、より大きな集団で暮らせるようにもなっていった。
火に対する親しみが、人の心の動きを豊かにしていった。
「知能の発達」というと、一般的にはお勉強の脳みそが発達することのように考えられがちだが、もっと総合的に心の動きが豊かになる現象だと考えるべきです。たとえば、必要以上に痛いとか苦しいとか暑いとか寒いとかと感じるようになることだって、知能の発達の結果でしょう。人類はそうやって知能を発達させたことによって、動物的な視覚・嗅覚・聴覚等の五感の能力を後退させてしまった。
人が人を好きになることだって、知能なのです。知能なんて、お勉強ができる人だけのものじゃないのですよ。いや思考能力ということだって、「おまえら本当にお勉強ができない俺よりも思考能力があるつもりでいるのか?」といいたい思いはないわけではないです。
人間なんか、誰もがそれぞれの関心領域でそれぞれ大差ない知能をはたらかせているだけです。お勉強の能力だけが知能指数ではない。仕事の能力だけが知能指数ではない。この世の無能・無用の人間にだって、あなたたちと同じだけの知能指数を持っている。
猿にはない人間的な知能とは、ようするの心の動きの問題です。そして心の動きが豊かになったきっかけは「世界の終わり」を抱きすくめていったことにある。
「わからない」ということは、ひとつの「世界の終わり」です。だから猿は、そんなことについて考えもしない。しかし人間の心はそのとき、「なんだろう?」と思う。人間は「世界の終わり」を抱きすくめてしまう存在だから、そこから「なんだろう?」という心の動きを持ってしまう。
現代社会では、お勉強や仕事の知能指数が高い人でも、「わからないことは考えない」という思考態度の人はけっこう多い。彼らは、わかっていることだけを考え、わかっていることの量を自慢する。
その答えは本などの資料を調べればわかる、というのは、すでにわかっていることについて考える態度です。彼らは調べたことしか知らないし、調べて知ったことを自慢する。彼らは、「わからない=世界の終わり」を抱きすくめてゆく心の動きを喪失している。そこから「なんだろう?」と問うてゆく心の動きを喪失している。すでにわかっていること(情報)の量があふれ、それを知っていることが生きるのに有利な社会になっているからでしょうか。そしてそうやって「わからない=世界の終わり」を抱きすくめてゆく心の動きを失うと、死ぬことがどんどん怖くなってゆく。これを、近代的な自意識というのでしょうか。
原発は「世界の終わり」になるからつくってはいけない、というのも、ようするのそういう思考態度です。その主張には、病的な死の恐怖がまとわりついている。「世界の終わりになるからつくってはいけない」なんて、病気です。つまり「なんだろう?」問う人間的な思考能力を喪失している状態です。
原発は今のところ制御不能の対象だからこそ、そこに「なんだろう?」と問わずにいられない部分がたくさんある。制御不能で「世界の終わり」をもたらす対象だからこそ、人の心は「なんだろう?」と引き寄せられてゆく。
「世界の終わり」から生きはじめるのが人間なのです。だから原発を生み出してしまったのであり、それはもう「仕方がない」ことです。
とくに日本人は、「世界の終わり」を文化の基礎にして歴史を歩んできた民族であり、だから原爆体験以来、放射能の怖さを世界でいちばんよく知っている民族だありながら、それでも原発のそばで「仕方がない」と思いながら暮らしている人たちがたくさんいる。それは、電力会社から流れてくる金に目がくらんだとか、それだけの問題じゃない。日本人は、文化の伝統として「世界の終わり」を抱きすくめてゆく心の動きを色濃く持っているのであり、それはまた人類の原初以来の普遍的な心の動きでもあります。



火のきらめきには、「世界の終わり」が宿っている。その「世界の終わり」に人の心は引き寄せられてゆく。そこから人類の知能や文化の進化発展の歴史がはじまった。
物体は、火のきらめきとともに消えてゆく。焼け野が原は、ひとつの「世界の終わり」の光景でしょう。原初以来人類は、その光景と無数に遭遇してきた。
東日本大震災津波が通り過ぎた跡だって「世界の終わり」そのものの光景だったはずです。そしてそれは、なんだかさっぱりとして美しい光景でもあった。なんのかのといっても、誰もがその美しさに感動していた。「廃墟の美」は、現代社会のちょっとしたブームでもある。
火のきらめきにせよ水のきらめきにせよ木漏れ日のきらめきにせよ、人間にとってそれは「世界の終わり」を感じさせる現象であるらしい。
熱で体が火照るとか、心がときめいて鳥肌が立つとか、悲しくて涙があふれてくるとか、それもひとつの「きらめき」であり、「世界の終わり」の体験であるはずです。
世界は「きらめき」とともに消えてゆく。
人が火のきらめきに対して親密な感慨を寄せるとき、「世界の終わり」が抱きすくめられている。つまり、「もう死んでもいい」という感慨、二本の足で立ち上がった人類だって、いったんそういう感慨に浸っていったのです。そしてそこから心が華やいでいった。
ネアンデルタール人が洞窟の中で火を囲んでいるとき、火に対する親しみとともに、誰もが「もう死んでもいい」という心地に浸されている。そうしてそこから心が華やいでゆき、豊かな語らいが生まれていった。
氷河期の北ヨーロッパの苛酷な環境は、ほんらいなら原始人が暮らしてゆける場所ではないのであり、しかも建物も何もない原始時代の白夜の荒涼とした景色など、「世界の終わり」そのものの景色であったはずです。そんなところに置かれたら、「もう死んでもいい」という感慨とともに「世界の終わり」を抱きすくめてゆく心の動きを持たなければ暮らしてゆけるはずがない。じっさい、誰もが明日も生きてある保証なんかなく、乳幼児は次々に死んでゆく環境だったのです。「死=世界の終わり」に対する親密さを持たないで生きていられる人間なんかひとりもいなかった。
彼らが毎晩火を囲んで語り合うことは、「死=世界に対する」親密さを確認しなおす作法でもあった。まあ、昼間は、じっとしていたら凍え死んでしまうような厳しい環境に抗して半分興奮状態で活動しているのだから、その興奮を鎮めてしまわなければ眠りにつくことができなかった。
基本的に人間は二本の足で立っていることの興奮状態で生きている存在だから、心を鎮める作法もまた、原初以来ずっと追求されてきたのです。
心を鎮める作法として、火に対する親密さをおぼえていった。火は「死=世界の終わり」をもたらす対象であり、その事態を抱きすくめてゆくことによって心は沈静化していった。そうしてそこに立ってはじめて、世界や他者に対するときめきが豊かに生まれてきた。
世界や他者と戦う興奮状態では安らかな眠りは得られないし、世界や他者に対する豊かなときめきも生まれてこない。
原発反対の「世界の終わりはあってはならない」という興奮状態からは、安らかな眠りも世界や他者に対する豊かなときめきも生まれてこない。彼らは世界や他者に対する関心がつよく、そうやって世界や他者を裁いてばかりいるのだが、いったん「世界の終わり」に立ったところろから世界や他者に「反応」してゆくという心の動きは希薄です。世界や他者を裁く自己意識=ナルシズムばかり旺盛で、自分が消えてゆくというかたちで「世界の終わり」を抱きすくめてゆくタッチを持っていない。人は、そこに立ってこそ豊かに世界や他者に「反応」してゆくという心の華やぎを体験するのだが。彼らの心は、興奮しているわりには、「ときめき」という「反応」は希薄らしい。



ある原発反対者は、こういう。われわれは人類史上はじめて「世界の終わり」と遭遇している、と。
冗談じゃない。人類はもう、二本の足で立ち上がったときから「世界の終わり」と向き合ってきたのであり、「世界の終わり」を抱きすくめてゆくことそ人間の本性なのです。
世界の終わりはあってはならないと叫ぶことなんか、近代的自我によるただのナルシズムであり、倒錯であり、病理なのです。
まあ、終戦後すぐの「ゴジラ」の映画から始まって、アメリカの「渚にて」という映画や70年代の「アキラ」という劇画のブームなど、戦後社会はずっと「核放射能による世界の終わり」のイメージを繰り返し再生産し続けてきたのです。原発反対なんて、べつに今にはじまったことじゃないし、「われわれは今、人類史上はじめて世界の終わりと遭遇している」なんて、ただの自意識過剰の思い上がりに過ぎない。そういう興奮状態で社会を裁き、「世界の終わりはあってはならない」と叫んでみせても、この国では誰もがそれにつき従ってゆくということは起きない。ひとまず先進国にはそういう合意があるとしても、この国はもうちょっと原始的なのです。そうやって世界のどこよりも深く「世界の終わり」を抱きすくめてゆくことを文化(美意識)の基底にして歴史を歩んできたのです。
たとえば、中世の「末法の世」とか「厭離穢土」とか「下克上の乱世」とか、そのころの人びとは現代人よりももっと深く「世界の終わり」を実感していたことでしょう。それは、現代のようなあるかないかわからない「未来」についての話ではない、「今ここ」の世界がそういうありさまだったのです。そしてそれでも人びとは、「無常」の感慨とともにその「世界の終わり」を抱きすくめていったのであり、そこにこそ中世の健康な感性があった。
現代人の「世界の終わりはあってはならない」というヒステリックな叫びなど、ほんとうに人間として不健康です。
中世の隠遁は、「世界の終わり」から生きはじめる作法であり、彼らは世界=世間にとどまって世界=世間を変えようとはしなかった。彼らにとって「世界」はもう、すでに終わっていた。そして心はそこから華やいでいった。
能は「世界の終わり」を表現する芸能であり、茶室もまた、武士たちが「今ここで死んでもいい」という境地を得るための空間だった。そして列島中の民衆が琵琶法師の語る平家物語に涙していったのも、それが「世界の終わり」を語るものだったからです。
中世には、「世界の終わりはあってはならない」と思っているものなどいなかった。誰もが「世界の終わり」から生きはじめていった。そうして中世こそ米の生産高が飛躍的に伸びた時代であり、現在の衣食住の和風文化の基礎のほとんどはこの時代につくられていった。そういう健康な時代でもあった。
中世の連歌という表現形式は、宗祇によって完成された。連歌とは、短歌を二つに分けて、前の句で世界の生起を詠い後の句で世界の終わりを詠うということを繰り返してゆく形式である、と宗祇はいっています。
宗祇の連歌の一節です。
■霜まよふ道はかすかにあらはれて
枯るるもしるき草むらのかげ
これなどはもう、まさに核放射能のあとの世界の終わりの風景でしょう。
ただ彼は、こんなことがあってはならないとはいっていない。むしろここから心は華やいでいったのであり、ここにこそ美や救済があった。
芭蕉俳諧だって、この精紳を継いでいったのです。
■世にふるもさらにしぐれのやどりかな
これは宗祇の句で、芭蕉はこれを追想して次のように詠った。
■世にふるもさらに宗祇のやどりかな
「世界の終わり」を詠い、そこから生きはじめるというのが彼らの美意識であり、それが日本列島の文化の伝統だった。



まあ人類発生以来の原始時代の初期は無意識のレベルで生態がつくられていたのかもしれないが、火との親密な関係持ってからの人類は、自覚的に生や死を思う存在になってゆき、それによって知能や文化が爆発的に進化発展してきた。
火のきらめきは、「世界の終わり」をあらわしている。そしてそのことを抱きすくめてゆく心の動きこそ、原初以来の人類の人類たる由縁だった。
女がオルガスムスに堕ちてゆくとき、心は大いにきらめき揺れている。オルガスムスとは、「世界の終わり」の体験であるはずです。「世界の終わり」を抱きすくめてゆく心の動きは、女のほうがずっと本格的にそなえている。だから女は、きらめくものとしての金銀宝石が好きなのでしょうか。
人類の文化の歴史は、「世界の終わり」としてのきらめくものとの親密な関係を結んでゆくこととともにあった。
われわれが死んでゆくとき、世界はきらめき華やいで立ちあらわれるのだろうか。日本列島では、伝統的に死をそのようにとらえ、死に対する親密さの文化を育ててきた。
死に対する親密さの文化を伝統としてを持っている民族に「世界の終わりはあってはならない」と叫んでも、全体的なムーブメントにはけっしてならない。
世界の終わりは、けっして愉快なことではない。それは「かなしみ」ととも受け止められる事態であるのでしょう。しかしその「かなしみ」から人の心はときめき華やいでゆく。
火のきらめきは、「世界の終わり」の「かなしみ」とともにある。
人間はどうしてこんなにもきらめくものが好きなのだろう、というのがこのシリーズのテーマです。
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