死者を思う・ネアンデルタール人論4


 人は、歴史意識で生きている。これもまた、人類最初に埋葬という行為をはじめたネアンデルタール人の遺産です。
 人類史において知能が発達すれば埋葬をするようになるとか、そんなものじゃない。死者を思う心の切実さは、知能の問題じゃない。定住生活をしながらたくさんの死者を見送ってきたという歴史の問題です。ネアンデルタール人のこの切実な歴史意識は、移動生活をしていたアフリカのサバンナの民にはなかった。
 歴史意識とは、死者を思う意識です。そしてそれはまた、ジェネレーションの意識でもある。この社会は、そういう幾重にも重なった歴史意識の上に成り立っている。
 何はともあれ親がいて自分が生まれてきたということはひとつの歴史であり、人間の社会はジェネレーションの関係で動いている。親と子、教師と生徒、会社の上司と部下、老人の介護、そして同じ世代どうしという意識で友達になったり恋をしたりしている。これらはすべて、ひとつの歴史意識であるはずです。
 そのようにして生きている存在だから、遠い昔からの歴史を考えるようにもなってきた。
 しかし人間が歴史意識を持っているからといって、時間を過去から未来に向かう飴のように伸びたものとして意識しているかというと、それはちょっと違う。人間ほど「今ここ」に深く憑依してしまう存在もいない。過去はもう戻らない。過去は、失った時間です。歴史意識は、そういう喪失感でもある。そういう喪失感を持ってしまうほどに人間は、「今ここ」に深く憑依している。
 過去はもう戻らないという喪失感抜きに歴史意識なんか成り立たない。
 人間はそういう喪失感を深く抱いてしまう存在だから、歴史意識を持つようになった。  歴史意識を持つほどに人の心は「今ここ」に深く憑依している。
 まあ意識のはたらきの根源そのものが「今ここ」に憑依してゆく現象であるのだが、それとともに人類の歴史は、人がかんたんに次々と死んでゆく状況の連続だったのであり、であれば過去も未来も忘れて「今ここ」に憑依していないと生きていられなかったのです。
 また人類は、そういう状況から逃げるどころか、あえてそこに飛び込んでゆくような歴史を歩んできた。そうやって地球の隅々まで拡散していった。
「今ここ」に憑依し、我を忘れて何かに熱中してゆく……その体験のカタルシスが人間を生かしている。人間はそうやって他者に深く豊かにときめいてゆく存在であり、そのときめいていった多くの他者の死と日常的に遭遇し続けているのが原始時代の歴史だった。その喪失感が歴史意識になり、その喪失感とともに「今ここ」にさらに深く切実に憑依してゆく存在になっていった。
 人類史上、ネアンデルタール人ほど深く切実にそのことを体験している人々もいなかった。人類の歴史意識は、ネアンデルタール人からはじまっている。
 歴史意識は、死者を思う意識でもある。それはまあ無意識の問題なのだが、われわれは、死者を思うようにして歴史を意識している。人間はそういう心の動き方をする、ということです。



 たとえば、民俗社会の語り伝え(民話・説話)は、ひとつの歴史意識の上に成り立っている習俗でしょう。
 多くの民俗学者はこれを、村の秩序を守るための教訓として語り伝えられていった、と解釈しています。しかしそれではつじつまが合わないことがいっぱいあります。そんな教訓的な意味などない他愛ない話やとんちんかんな話や、村の秩序を破ることをおもしろがる話だってあります。まあ理屈と膏薬はなんにでもくっつくのたとえ通り、こじつけようと思えばいくらでも可能だが、民衆はほんとうにそんなことのために語り伝えをしていたのかという疑問はどうしても残ります。
 基本的に民衆の語り伝えに善も悪もないのであり、ただ面白ければいいのです。面白いからそれは何度でも語られ語り継がれながら後世まで残ってきた。
 まあ村の秩序などというものは時代によってどんどん変わってゆくのだから、そのための話なら残ってゆくはずがないのです。
 村人にとって村は「憂き世」であり、語り伝えは、そこからの解放の娯楽としての役割も果たしてきたのです。
 眠れない夜に囲炉裏を囲んで話を聞く。それは、ネアンデルタール人が洞窟の中で焚き火を囲みながら語り合っていたこと以来の人類史の伝統です。
 生きてあることはしんどいことであり、生きてあることや村の秩序などを称揚して何を積極的に生きる必要があろうか、このしんどさのせめてもの慰めこそもっとも大切なものだ……という思いがこの国の民俗社会の伝統にもネアンデルタール人にもあった。
 生きようとすることよりも、「もう死んでもいい」と思うこと、じつはそれこそが人間という存在を生かしている。そこから人の心は華やいでゆく。そういう体験の場として民俗社会の語り伝えが機能してきたのであり、それはどんなに他愛ない話でも、本質的には「死者を弔う」という歴史意識の上に成り立っているのです。何が教訓なものか。人が魔物に食われてしまうとか魔物を退治するとか、それらは、教訓ではなく、死および死者に対して親密になってゆく話なのです。
 民俗社会の語り伝えの根源的な主題は、生きてあることのしんどさを忘れて「もう死んでもいい」という感慨を共有してゆくことにある。そうやって人びとは死者に対して親密な感慨を寄せてゆき、死者を弔っていった。
 自分たちのこの生は死者から引き継いだものであり、死者はもう帰らない……そういう「喪失感=歴史意識」を共有しながら人と人は寄り集まって暮らしているわけで、そこから民俗社会の語り伝えもネアンデルタール人の洞窟での語らいも生まれてきた。彼らの生きてあるかたちそのものが「死者への弔い」だった。彼らのその切実な思いに推参することができないで民俗学ネアンデルタール人論も成り立たないのです。



 人類は、歴史の無意識として死者を弔う思いを共有しながら集団をいとなんでいる。それが、人類の集団が無際限に大きくなってゆく契機で、逆にその思いを共有しながら家族や村という小さな集団をつくっていったともいえる。
 集団が無際限に大きくなってしまうと、死者を弔う思いが希薄になってくる。人は「今ここ」の目の前の親しい人の死を嘆き弔うのであって、存在するのかどうかもわからない人の死は実感がなく弔いようがない。そうして死者を思ってこの生からはぐれてゆくという心模様が希薄になって、どんどんこの生や自分に執着してゆくことになる。そうやってこの生や自分に執着しながら、世界に対する反応がどんどん鈍くなり無表情になってゆく。昔の人と現代人のどちらが表情に乏しいかといえば、現代人のほうでしょう。表情の乏しい大人たちが増えているのも現代社会の病理のひとつになっている。何かいきいきしていないというか、下品だったり荒んでいたりする。それは「死者を弔う」という歴史意識が希薄で、意識が自分やこの生ばかりに張り付いているからでしょう。
 人が自分をわすれて何かに夢中になってゆけるのは、死者を思いながらこの生からはぐれてゆく歴史意識であり、地球の隅々まで拡散していった人類はそういう「漂泊」の意識を持っている。
 今どきの大人たちは、そういう他愛ないときめきを失っている。他愛ないといってもそれは、「死者を弔う」という人類の歴史の無意識なのです。「かわいい」といって無邪気にときめいている若者たちにはそれがあって、大人たちにはない。自分やこの生を称揚してゆけば豊かなときめきが生まれてくるなどというものではない。人の心は、この生や自分からはぐれてときめいてゆくのです。
 人類は、死者を思い、死者を弔いながら歴史を歩んできた。そうやってこの生からはぐれながら、地球の隅々まで拡散していった。この生からはぐれて「もう死んでもいい」という思いになっているから、どんな住みにくいところにも住み着いてゆくことができた。死者のことを思えば、「死にたくない」と思うわけにはいかない。
 原初の人類は「死にたくない」とは思わなかったのであり、それが人間の歴史のダイナミズムになっていったのです。
 まあ、原初の人類が二本の足で立ち上がるということが、すでに「死にたくない」と思っていたら実現しないことだった。それはとても不安定で、胸・腹・性器等の急所をさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢だったのであり、そうやってこの生からはぐれてゆくことによって実現したのです。
「死にたくない」などと思ったら、生きていられなかった。
 生きてあることなんかろくなもんじゃないけど、それでも生きてあるのならそれを受け入れるしかない。とりあえず死ぬまではそれを受け入れて生きているしかない。人間は、どうしてもみずからに与えられた運命を受け入れてしまう。受け入れながら心はいつの間にか華やいでゆく。受け入れる心が華やいでゆく。生きようとする心が華やいでゆくのではない。「もう死んでもいい」と思う心が華やいでゆく。
 因果なことに、そうやって現代社会に戦争が機能している。原発という危険な施設を持ってしまったのも、人類史の避けがたい運命なのでしょう。
 人間は、根源においてこの生からはぐれながら「もう死んでもいい」と思いながら生きている。つねに死者のことを思いながら歴史を歩んできたから、なおさらにこの生からはぐれてしまう心模様になっていった。



 氷河期の極寒の空の下のネアンデルタール人の社会には、たくさんの死者が堆積していた。彼らは、死者とともに生きていた。
 ネアンデルタール人がなぜ埋葬という行為をはじめたのかという問題は、世の人類学者が考えているほどかんたんなことじゃない。
 死者の霊魂を祀り上げるためとか、生まれ変わりを信じていたからとか、そんな安直なアニミズムの問題ではない。
 人間はなぜどのようにして「霊魂」という概念を持つようになったのかということに対する納得できる説明を、われわれはまだ知らない。人の心は自然に霊魂という概念を持つようにできている、などといわれても納得できない。だったら、人類の誰もがしんそこ霊魂を信じているのか。ほんとうは誰も信じていない、といったほうが説明がつくことはたくさんある。とくにこの国の人間の宗教に対する態度はじつにいいかげんであり、それはもう縄文以来の伝統なのです。
 この世の中には「霊魂」という言葉=概念が存在しているから人は、自然にいつの間にか霊魂を思うようになる。では「霊魂」ということば=概念が存在しなかった原始時代にも当たり前のようにそのようなものを思い浮かべたかというと、それはありえない話です。そうやって当たり前のように思い浮かべるのなら、現代人はもう、全員がしんそこそれを信じていなければならない。しかし、しんそこ信じているのではなく、この社会に流通するその言葉=概念によって信じ込まされているだけです。
 現代人の多くは霊魂を信じているが、その足もとは宙に浮いてしまっている。だからまあ、霊魂を上手に語る人がもてはやされたりする。
 とにかく霊魂などを持ち出さなくてもネアンデルタール人が埋葬をはじめる契機はたしかにあるわけで、その切実な契機を問うなら、それはもう彼らの時代に霊魂などという概念は流通していなかったことの証明にもなっているはずです。
 彼らは、ひたすら死者のことを思った。その死をひたすら嘆き悲しんだ、それがすべてです。
 もしも死んで霊魂が離れていってしまうのなら、基本的に埋葬をする必要なんかないのです。どうせあとに残った死体なんか死者その人ではなくただの物体なのだから、どこか遠いところに捨ててきてもかまわないでしょう。
 彼らの世界に、霊魂という概念などなかった。
 彼らは、そこに死者がいるという事実をそのまま受け止め、いつまでもやまない嘆きをどう収拾しようかと思いあぐね、洞窟の土の下に埋めて死者と一緒に生きようとしていった。
 その死を深く嘆き悲しんだ、それが彼らの埋葬の契機だった。それ以上でも以下でも以外でもなかった。
 なぜそんなにも嘆き悲しんだかといえば、そこは人がかんたんに死んでしまう環境であったために、死んでしまいそうな者をなんとか生きさせようとする心も切実で、そうした習俗が発達していたからです。けんめいに生かそうとする対象だからこそ、その死に深い挫折感や喪失感がともなう。
 彼らは、誰もが「もう死んでもいい」と思って生きていたが、他者はけんめいに生かそうとした。
「もう死んでもいい」ということは生きてあることを受け入れることであり、「死にたい」と思うことではない。生きてあることはしんどいばかりだからこそ「もう死んでもいい」と思うし、他者が生きてあることの奇跡に感動せずにいられない。「もう死んでもいい」と思うから、自分を忘れて他者にときめいてゆく。
 彼らが他者を生かすことにどれほど切実だったかということが埋葬をはじめる契機だったのであって、霊魂という概念を持ったからではない。
 考古学の証拠としての人類最初の埋葬の遺跡は、スペインのシマ・デ・ロス・ウエソスの洞窟で見つかっています。これは35万年前のもので、三十人くらいの骨がまとめて埋められていたのだが、骨が散乱していていないのは埋められていた証拠で、それを認めたくない置換説の研究者たちはただそこに投げ込んでいただけだというのだが、それだけなら肉食獣に食い荒らされて散らばってしまうし、骨も風化してしまって何十万年も後の世までは残らない。ただキツネがかじったあとだけはわずかに残っているらしいのだが、キツネやオオカミは嗅覚が発達していて土を掘る習性があるからでしょう。キツネだけがかじったというのは、埋葬していたという証拠でもある。そして見つけた人間は、キツネを追い払って埋めなおしたりしていたのでしょう。



 自分が死んだらどうなるのかと思うことと、目の前の死者を思うことは別のことです。
 自分のことばかり考えているから、死んだら霊魂が離れて天国に行く、などという都合のいい空想・妄想をする。
 しかしネアンデルタール人は、自分のことを忘れて世界や他者のときめいてゆくことを生きる作法として暮らしていた人々です。
「もう死んでもいい」と思えば、自分が死ぬ未来のことなど考えない。死は「今ここ」のことです。死んだら自分の意識がどうなるかということなど考えない。死んだら意識がなくなってしまうに決まっている。意識がないから、動かない。そう考えるのが普通でしょう。死ぬことは意識がなくなってしまうことであり、意識がなくなってしまった死者がそこにいる。死者はもう何も思わないし、何もしない。生き残ったものたちはそのことを思って嘆き悲しみ、そのことの尊厳・崇高に感動していった。
 生きている者は、苦しがったり怒ったり泣きわめいたり、右往左往して生きている。死者はもう、そうした悪あがきのいっさいから解放されている。そのことの尊厳がある。
 生きている者の悪あがきは、表情にあらわれる。とすれば、動かない死者の表情こそ、もっとも崇高で美しい。だからネアンデルタール人は、死者の生首の肉と皮を剥いだしゃれこうべにして祀るということを葬送儀礼にしていた。頭部崇拝の習俗、人類学者はこれを何か野蛮な行為のように解釈しているが、これほど死者に対する敬虔な行為もないのです。  
 ネアンデルタール人は「今ここ」の目の前に死者が存在するという事実にどのような感慨を抱いたのか。その直截な感慨はどのようなものであったのかと問われなければならない。現代人の霊魂観を幼稚なというか原始的なレベルのアニミズムに当てはめて解釈してゆくなんて、まったく傲慢で怠惰な思考です。世の人類学者なんか、そんなことばかりのうてんきに吹聴しあっている。
 われわれ現代人だって、どうして葬式をするのかとか葬式のときにどんな感慨を抱くのかということの基本的な心模様は、霊魂がどうとか死者を極楽浄土に送るとかということ以前のところにあるはずです。ただもうひたすら悲しいとか、死者が生きていたとき以上にいとおしいとか、そういう思いが胸にあふれてくるばかりでしょう。
 霊魂が極楽浄土に旅立ってゆくなどということは、たんなる社会的なたてまえにすぎない。それが葬式のときの思いの中心=基層になっているのではない。そんなことを考えているのは葬儀屋と坊主だけで、親しい人はもう、おいおい泣いているだけじゃないですか。
 他者の死に対する嘆きこそ、人類の葬送儀礼の起源です。
 知能が発達したから葬送儀礼をはじめたのではな、嘆きが深くなり極まったからはじめたのです。
 


 そしてもうひとつ大事なことは、人類の葬送儀礼の本質は、個人的なことではなく集団の儀礼だということです。
 ヨーロッパに遺跡や博物館にあるネアンデルタール人の埋葬をあらわした絵画やジオラマは、すべて少人数の家族でなされているように表現されているが、これは変です。どうして安直にこんな発想をしてしまうのだろう。
 ネアンデルタール人の最初の埋葬の対象は、おそらく乳幼児です。なぜなら乳幼児の死ほど傷ましいものはなく、まわりの人間の深い悲しみを誘うからです。
 彼らは、何はともあれ洞窟で共同生活をしていたのであり、その洞窟の土の下に埋めたということは、みんなで悲しんだということでしょう。
 彼らの社会に家族という単位はなく、子供はみんなで育てていた。この国でも昔はよく少女が幼い子を負ぶって子守をしていたが、ネアンデルタール人の社会にも似たような習俗があったのでしょう。大人たちは毎晩抱き合ってセックスしていたから大人だけの社会があり、子供には子供だけの社会があった。
 というわけで、ひとりの乳幼児の死は、集団のみんなで悲しんだ。
 みんなの合意がなければ洞窟の土の下に埋めるということができるはずがない。
 人類は、その起源から現在まで、基本的に葬送は集団の儀礼として続けてきたのです。
 新聞の死亡欄だって、死が集団の儀礼であることの証しです。
 しかしよくいわれるような、集団(共同体)にとって死は穢れであるからそれを浄化するるために葬送儀礼をするとか、そういう問題ではない。
 人は他者を生かそうとする存在であり、基本的に集団は個人を生かそうとする装置であるからです。すくなくともネアンデルタール人の集団は、そのように機能していた。とにかく極寒の空の下だったのだから、精神的にも肉体的にも、身を寄せ合っていないと生きられなかった。彼らは、毎晩語り合い、毎晩抱き合って眠りについていた。猿のレベルを超えた人間的な集団の歴史はそのようにしてはじまり、人の死は集団で悲しむということが現在でも葬送儀礼の基本的なコンセプトになっている。
 死の穢れを洗い流すために葬送儀礼をするだなんて、まったく死者に失礼な話だし、程度が低く愚劣極まる思考です。
 現在の共同体がどんなに個人を抑圧するものであったとしても、基本的には共同体にとっても人の死は「悲しみ」の対象なのです。
 そうして葬送儀礼が集団の儀礼であるということは、人類史においてアフリカのサバンナの民からはじまったということはまずありえないことで、集団でけんめいに個人を生かそうとしていたネアンデルタール人のところにしかそれがはじまる契機はなかった。
 ヨーロッパの洞窟でなぜたくさんのネアンデルタール人の骨が出土されるかといえば、人類学者のいうような骨が残りやすい地質の問題以前にちゃんと埋葬していたからで、その習俗は数十万年前の北ヨーロッパネアンデルタール人のところからはじまっており、それがやがてヨーロッパ全域から中東地域まで広がっていった。
 おそらく北ヨーロッパは、35万年前よりももっと以前から埋葬をしていた。クロマニヨンの時代には北の方が埋葬や美術の文化が発達していたことがわかっています。状況証拠として考えれば、それはもうネアンデルタール人の時代からそうだったはずです。 
 厳しい環境であえぎあえぎ生きていた人々が最初に埋葬をはじめたのです。
 とにかく、洞窟の土の下に埋まっている骨が埋葬の証拠でなくて、いったいなんだというのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ