人間的な集団の起源・ネアンデルタール人論6


 ネアンデルタール人は滅んでなどいない。人類学者の妙なこじ付けでそういうことになってしまっているだけです。ネアンデルタール人論とはつまり、起源論です。ここから人類の文化や文明の歴史がはじまっているともいえる。
 人類の言葉はもう数百万年の歴史があるのかもしれないが、本格化してきたのはおそらくネアンデルタール人のところからで、彼らは、洞窟の中で火を囲みながら豊かな語り合いの場を持っていた。そしてそれは、人間的な集団性の起源でもある。
 猿とは違う人間的な集団性はどこにあるかといえば、集団の規模の大きさだけでなく、連係プレーの質にもある。
 まず、言葉を生み出すという連係プレーは猿にはない。言葉が集団や地域によって違うということは、それがひとつの連係プレーから生まれてきたということを意味する。そして火を囲んで語り合うというようなことを猿はしないし、集団のみんなで死者を埋葬するということもしない。
 人間的な集団性は、ネアンデルタール人のところから本格化してきた。しかしそれが猿よりも高度だからといって、人間は集団をつくり運営しようとする意欲が旺盛であるということを意味するのではない。そういう意欲はむしろ猿のほうが旺盛で、彼らは人間よりももっと秩序が確立した集団をつくり運営している。
 原始人の集団は、もっとなりゆきまかせのあいまいなものだった。だからこそ、その後の歴史で無際限に大きな規模にもなってゆくことができた。
 人間が二本の足で立ち上がって人間になったとき、集団はすでに存在していた。そのすでに存在する集団の鬱陶しさを和らげるように、二本の足で立ち上がっていった。したがって人間に集団をつくろうとする衝動はない。しかしつくろうとする衝動がないからこそ、人と人が出会う場では、他愛なくときめき合いながらいつの間にか集団になっているということが起きる。
 二本の足で立っている姿勢は、集団の鬱陶しさを和らげる姿勢なのだから、集団の中に置かれていてはじめて成り立つ姿勢でもあります。集団の鬱陶しさから押されるようにして、誰もが二本の足で立ち上がっていった。それは、強い者が率先して立ち上がり、ほかの者がそれに従ったというようなことではない。それは戦いの身体能力を失うことだから、強い者ほど立ち上がりたくないはずです。にもかかわらず、気がついたら誰もが立ち上がっていた。これが、人間的な連係プレーの起源だといえるのかもしれない。
 それは、集団の鬱陶しさを和らげ、集団を成り立たせる姿勢だった。人間は、集団からはぐれながら集団をつくってゆく。



 べつに意図したわけではないが、人類が最初に集団をつくってしまったのは、人類拡散の起源として、集団からはぐれてきたものどうしが出会ってもとの集団の外に新しい集団をつくっていったことにある。
 そのとき、ただ他愛なくときめき合い、寄り集まっていっただけです。集団をつくろうとするような意志や欲望はなかった。知らないものどうしなのだから、気が合うかどうかなどわからないし、一緒にやってゆくためのルールもなかった。それでも、なりゆきで集団になっていった。こんなことは、猿にはできない芸当でしょう。
 人間は、先験的に集団の鬱陶しさをやわらげ合う連係プレーを持っている。それは、どんなに密集した集団であっても、心はどこか集団からはぐれてしまっている、ということです。自然に、おたがいがくっつきすぎない関係をつくってゆこうとする。はぐれている心を共有しながら集団になってゆく。猿のように、順位関係で相手を支配しようとしたり押しのけようとしたりしない。ひたすら相手の動きを察知しようとし、それによって自分の動きを按配してゆく。
 たとえば原初の人類の集団で、何人かが木に登って枝をゆすって木の実を落とし、ほかの者はそれを拾い集め、あとでみんなで分ける、というような連係プレーは猿にはないでしょう。
 ひとりひとりが別の行動しながら連携してゆく。そうやってたがいの心がはぐれてゆきなから、なおも関係の中に身を置いている。これはもう、二本の足で立って相手と向き合っているのと同じコンセプトの関係です。向き合いながら、離れた関係を按配している。向き合っているほうが離れていられる。相手からはぐれながら、ひたすら相手の存在を感じている。人間はそういう作法を無意識のうちに持っているから、集団をつくろうとする意図なんかないのに気がついたらいつの間にか集団になってしまっている、ということが起きる。そうしてこの連係プレーのダイナミズムが、住みにくい新しい土地での暮らしを可能にしていった。
 住みにくいのなら力の強いものだけが生き残ることになってゆくはずだが、人間の集団の場合、誰もがそれぞれの領分で自分に仕事を見出してゆき、全員でひとつの成果を獲得してゆくという関係が生まれてくる。
 ここでいう「他者の動きを察知する」とは、他者が生きてあることに対する関心や感動が深く豊かである、ということでもあります。その心模様が発展して、ネアンデルタール人の「生きられない弱い者を生きさせようとする」という生態になっていった。
 ネアンデルタール人は、誰もがみずからの生からもはぐれて、ひたすら他者が生きてあることにときめいていった。
 今どきの学校のいじめとか会社組織のパワハラというようなことは、猿と同じで順位関係にこだわって人間的な「はぐれる」という心が希薄になっていることから起きているのかもしれない。
 原始人の集団は、「はぐれる」という心模様を共有しながら人間的な連係プレーをつくっていった。
 現代社会は、人間的な集団性と猿に先祖がえりしたような集団性が混交している。原始人の集団は、もっと純粋に人間的だった。
 その人間的な集団性が極まったところにネアンデルタール人の集団があった。彼らほどひたむきなもっとも弱い者を生きさせようと熱中してゆく連係プレーはもう現代社会に望むべくもないが、そこに人間の集団性の原点があるというくらいは承知しておいてもいいのかもしれない。
 ネアンデルタール人は、そういうルールをつくっていたというのではない。そういうなりゆきになっていたというだけのこと。集団をつくろうとしたら「秩序」が優先して、弱い者を助けるどころではなくなってしまうし、見ず知らずの訪問者にときめいて歓迎するということも起きない。
 なりゆきまかせの状況に飛び込んでゆくところに、人間的な集団性のダイナミズムがある。人間が集団をつくった起源は、つくろうとしたのではなく、見知らぬ者どうしが寄り集まって他愛なくときめき合っていったことにある。そういう集団は現在でも祭りやさまざまなイベントとして生まれてきているのだが、共同体という集団になると、どうしても秩序が優先して猿の時代に先祖がえりしてしまいがちになる。
 人が「憂き世」という感慨を抱くのは、まさにこの「共同体の秩序」に対してなのだろうと思えます。人間はけっして「なりゆきの混沌」を拒みはしない。そこから心が華やぎ、人間的なダイナミズムが生まれてくる。



 人の心は、集団からもこの生からもはぐれてしまう。その「はぐれる」ということに人間的な集団の逆説的なダイナミズムがある。
 ネアンデルタール人がこの生に執着していたら、氷河期の北ヨーロッパという極寒の地に住みつくというようなことはしない。みんなが散り散りになってより暖かいところへ逃げてゆくことでしょう。
 二本の足で立っている人間は、牛や馬の群れのようにみんなが同じ方向に走って逃げていたら将棋倒しになってしまうから、そんなときは必ず散り散りになる。
 肉食獣や灼熱の日差しから逃げるということばかり繰り返してきたアフリカのサバンナの民は、その結果として家族的小集団ごとに分かれて暮らすという習俗になっていった。彼らは、逃げるための身体能力やミーイズムは進化発展したが、知らない者どうしが寄り集まって他愛なくときめき合いながら大きな集団になってゆくという歴史は歩んでこなかった。
 そういう集団性は、サバンナの暮らしに適合できなくてサバンナの外へと拡散していった者たちのところで育ってきた。その拡散の果てに人類は、氷河期の北ヨーロッパにたどり着いた。
 ネアンデルタール人には、みんなが散り散りになって逃げるという行動習性は希薄だった。人類拡散の果ての種族である彼らは、逃げようとするミーイズムとは無縁だった。ほんとに、この上なく生きにくい土地だったのに、誰も逃げてゆこうとせず、他愛なくときめき合い寄り集まって暮らしていた。その集団のかたちそのものが、人間的な連係プレーになっていた。
 彼らは、サバンナの民のような逃げようとするメンタリティが希薄だった。逃げることは散り散りになることであり、それはそのまま死を意味する環境だった。極寒の環境のもとに置かれていれば、自然に寄り集まってゆこうとするメンタリティや行動習性になってゆく。
 しかし、ここのところがちょいとややこしい。彼らは寄り集まっていったが、集団をつくろうとする意思はなかった。人間とって集団は鬱陶しいものだから、そんな意思は最初からない。それでも彼らが大きな集団になってゆくことができたのは、そんな意思がなかったからであり、すでに集団の鬱陶しさを和らげる作法を持っていたからです。
 彼らの心は、すでに集団からもこの生からもはぐれていた。はぐれながら大きな集団になっていった。他者に寄ってゆき、他者を生かそうとしていった。他者が生きていてくれないことには、寄ってゆくということができない。そうやってたがいにこの生からも集団からもはぐれながら、たがいに他者を生かそうとする連係プレーを育てていった。



 人間性の自然というか、人間の根源的な行動習性は、「逃げる」ことにあるのではなく「消える=隠れる」ことにある。原初の人類は、二本の足で立ち上がることによってその行動習性を特化させていった。すなわち「はぐれる」ということ、それは「逃げる」ことではない。人間の集団は、たがいにはぐれながら、しかも他愛なくときめき合っている。
 原初の人類が「枝をゆすって落とした木の実を拾い集めてみんなで食べる」ということをしていたとすれば、そのとき「みんなで食べる」ということに対する志向を共有していなければならない。猿はもう、我れ先にとそれぞれが勝手に食べてしまう。「みんなで食べる」ことに対する志向の根本の心模様は、「弱いものに食べさせたい」ということにあります。それが実現することによって、「みんなで食べる」ということが愉しいものになる。
 ネアンデルタール人があんなにも命知らずの狩を敢行していたのも、「死にそうな弱いものに食べさせたい」という思いがあったからでしょう。寒いときは洞窟の中で、暖かいときは洞窟の前の広場で、みんなで食べた。
 人間はこの生からはぐれてしまっている存在だから、食べることも、「みんなで食べる」というかたちにしないと積極的になれない。「美味しい」と感じないと、夢中になって食べることができない。そうやって心が華やいでゆく体験をともなっていないと、生きるといういとなみができない。他者や世界に対するときめきをともなっていないと生きられない。



 人間的な連係のダイナミズムの基礎は、他者に対するときめきにある。
 ネアンデルタール人が集団の連係プレーで狩をするとき、草食獣の群れを窪地に追い込んで動きを封じてしまうとかの基本的なマニュアルがあるとしても、その現場はたえず流動的で、そのつど他者の動きと自分の動きとの関係に気を配っていないといけない。みんなで一か所に集まってしまったら逃げられてしまうし、他者の危険な動きはサポートしてやらないといけない。他者の存在をより鮮やかに感じることが、人間的な連係プレーの基本です。そうやってつねにときめき合っていないと連係プレーは成り立たない。誰もが他者を生かそうとしてゆくことによって連係プレーが成り立つ。誰もが、他者の動きがより有効になるようにというモチベーションで動いてゆく。つまり、他者を生かそうとする、ということです。
 身も心も集団の中に入り込んで集団と一体化してしまったら連係プレーはできない。誰もが集団からはぐれた存在になりながら、しかも他者の動きを鮮やかに感じてゆかないといけない。どう動くかは、決まっているのではない。そのつどそのつどの「今ここ」の他者の動きが教えてくれる。他者にときめいていないと連係プレーはできない。
 そしてネアンデルタール人のそうした連係プレーの基礎的な心模様は、「死にそうな弱い者に食べさせてやりたい」というときめきにあった。そういう基礎があって、はじめて狩の連係プレーが育ってゆく。
 人がかんたんに死んでゆく環境だったからこそ「死にそうな弱い者に食べさせてやりたい」という思いも起きてくる。しかし、そんなふうに思うなんて、自分がみずからの生からはぐれてしまっているからです。はぐれてしまっているのが人間であるらしい。とにかくそのような環境を原始人が生き残ってゆくためには、そうした人間的な連係プレーが育ってこないことにはありえないはずです。
 人類学者はよく、こうした連係プレーのための有効な道具として言葉が生まれ育ってきたというのだが、いわれてから動いていたのでは遅い場合も多いし、聞こえないときもあるし、そういう伝達なら身振り手振りのほうがずっと有効です。まあ「伝達」以前に、自分から気づいて動いてゆくことが大事です。気づいてゆくためには、はぐれた存在になっていないといけない。「伝達」で高度な連係プレーができるのではない。「伝達」などという手続きを無化したそれ以前の、「自分から気づいてゆく」ところで高度な連係プレーが成り立つのです。
 誰もが他者の役に立とうという前提がはたらいているのなら、誰もが他者の役に立つかたちで率先して動いてゆくでしょう。それが、人間的な連係プレーであり、その基礎にあるのは、他者の存在に気づいてときめいてゆくという心模様です。
 


 人類は、集団からはぐれていった者たちの拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパにたどり着いた。したがってネアンデルタール人は、そのころの地球上でもっとも集団からはぐれてしまう傾向が強い人々だったはずです。そしてそんな人々が、地球上でもっとも大きな集団を形成していた。人類の集団性は、そういう逆説の上に成り立っている。
 ネアンデルタール人の集団は、それほど固定されたメンバーではなく、かなり人の出入りが頻繁だったはずです。
 男も女も、ことに若者は、かんたんに集団からはぐれてよその集団に紛れ込んでいってしまう。それはつまり、どの集団もたえず近隣集団から人がやってきていた、ということです。そうして、どこでもそれを歓迎して受け入れていた。彼らは家族を持たない乱婚関係だったから、見知らぬ者が入ってきた方がそうした関係は活発になる。いつも同じメンバーでセックスしていたら、やがて飽きてくる。彼らが乱婚関係だったということは、集団の人の出入りが活発だったことを意味する。
 おそらく活発に人が行き来する地域社会というようなものがあったのでしょう。そこから発展して、氷河期明け以降のヨーロッパで無数の都市国家が形成されていった。彼らの行動範囲はおよそ数十キロくらいだったといわれているのだが、それが彼らの地域社会で、その後のヨーロッパ的な都市国家のスケールでもある。
 ネアンデルタール人の時代から、その地域社会がひとつの集団のように機能していたのでしょう。彼らは、集団からはぐれてしまう傾向と見知らぬ者に他愛なくときめいてゆく傾向は、地球上のどこよりもダイナミックだった。今でもヨーロッパ人は、見知らぬ者と笑顔を交し合ったり語り合ったりすることを、ごく当たり前のようにすることができる。
 まあ人類の二本の足で立っている姿勢そのものが、たがいに敵意がないことを前提にして成り立っている。
 ネアンデルタール人の社会では、すべての集団がまわりの集団との関係を持っていた。彼らは、アフリカのホモ・サピエンスと違って、ひとつの集団の中だけで固まっているということはしなかった。そうやって遺伝子も文化も、たちまちヨーロッパ中に広がっていった。
 人類学では、ネアンデルタール人は遺伝子も文化もヨーロッパ中で均質だったといわれています。だから多くの人類学者が「停滞した社会だった」というのだが、それは違う。往来が活発だったからこそ均質だったのです。
 それに対してアフリカでは、今でも、隣の部族と会話ができないくらい言葉が違ってしまっていることも多い。それくらいたがいに孤立した歴史を歩んできた。そうして、おなじ地続きのアフリカなのに、高身長のマサイ族や尻の大きなホッテントットや低身長のピグミー族など、著しい形質の違いがあらわれてしまっている。それほどに彼らの社会はたがいが孤立して、遺伝子の交換をしてこなかった。
 


 ネアンデルタール人がいくら寒さに強い形質だったといっても、氷河期の北ヨーロッパでは、集団の人口が減少してゆくということは起きていたはずです。それでも滅びなかったのは、地域社会の連携で、人口が減りすぎた集団どうしがひとつになるというようなことをしていたのでしょう。
 なんといっても、寒ければ寒いほど大きな集団になって寄り集まっていたほうが具合がよかったはずです。また、乱婚社会なら、誰もが大きな集団に入り込んでゆこうとするのが自然ななりゆきです。
 極寒の氷河期になれば、人の往来は少なくなってくる。とくに雪に閉じ込められる白夜の冬になればもう、身動きできない。小さな集団ほど人がはぐれてゆき、はぐれたものはより大きな集団に身を寄せようとする。そうやって小さな洞窟の集団は消滅してゆき、大きな洞窟には人が集まってきて人口減少に歯止めがかかってゆく。
 で、温暖期になればまた、大きくなりすぎた集団から人がはぐれていって、小さな洞窟にもそれなりの人が集まってくる。そういう繰り返しで歴史を歩んでいたのでしょう。
 ネアンデルタール人は、誰もがこの生や集団からはぐれてしまう心を持っていたことによって生き残ってきた。それによって集団のダイナミズムが生まれてきた。彼らは、集団をつくろうとしたのではない。集団は、なりゆきまかせで生成していた。
 人間が集団をつくろうとすると、自家中毒を起こしてしまう。そのもっとも典型的な例がナチスドイツや現在のイスラエルということになるのでしょうか。
 集団のダイナミズムは、風通しがよくないと生まれてこない。集団と一体化するのではなく、集団からはぐれた心が豊かな連係プレーを生む。心は「世界の終わり」から華やいでゆく。
 集団をつくろうとしてはいけない。誰もがときめき合っていれば豊かな連係プレーが生まれ、自然に集団になってゆく。集団のことを忘れてしまわなければ、集団は大きくも豊かにもならない。人と人はただときめき合いながら、集団のことは集団自身の生成にまかせる。原始人の集団は、そのようなものだった。人は、集団をつくろうとしてつくるのではなく、集団からはぐれてしまっている心を共有しながら集団になってゆく。祭りやコンサートやスポーツなどのイベント会場は、そうやって見知らぬものどうしが寄り集まって集団になってゆく。
 人はみな、集団からはぐれてしまった心を持っているのであり、それを共有しながら人間的な集団のダイナミズムが生まれてくる。



 なんといっても、ネアンデルタール人という原始人が、極寒の北ヨーロッパで数十万年のあいだを生き残ってきたのはすごいことでしょう。生き残ることができたその集団性は、けっして稚拙とか原始的という言葉だけでは片付けられないものがあるはずです。ある意味それは、人間的な集団性の勝利だともいえる。何はともあれその集団は、人間として本質的だったのです。
 とすればわれわれ現代人は、人間の集団性に対する認識がかなりいびつになってしまっているのではないでしょうか。現代人は、人間は集団をつくろうとする存在であるという前提に立ち、そこで正義を争っている。そうやって個人も家族も学校も社会も自家中毒に陥っている。
 つくろうとしてつくった集団など、いずれにせよ本質的ではないのです。
 人と人がときめき合い、心が華やいでいった結果として、気がついたら集団=社会になっていたというのが、ほんらいのかたちなのでしょう。
 人間は集団をつくろうとする存在ではなく、集団からはぐれてゆく存在です。集団からはぐれながら、気がついたら集団の中に置かれている。「はぐれる」というそのことが、人と人の関係や集団のダイナミズムを生む原動力になる。
 人間は「世界の終わり」の喪失感から生きはじめる。それが「はぐれる」ということであり、そこから心は華やいでゆく。
 ネアンデルタール人の生きる環境なんか、ほんとにひどいものだった。誰もがいつ死ぬかわからない状況に置かれていた。彼らの世界はすでに終わっていた。氷河期の冬の北ヨーロッパの荒涼とした原野を前にすれば、誰だって「世界の終わり」を思わずにいられないでしょう。それでも彼らは、そこから心は華やいでゆき、人と人が他愛なくときめき合っている社会をつくっていった。
 いいかえれば、彼らが生きてあることのよりどころは、人と人が他愛なくときめき合っているということしかなかった。それが、彼らを生きさせていた。
 人類の歴史にネアンデルタール人が存在していたということは、われわれに、人と人の関係や人間の集団性の本質を教えてくれる。 
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