祭り・ネアンデルタール人論10


 20〜15万年前にアフリカ中央部で発生したホモ・サピエンス
 ヨーロッパの先住民であるネアンデルタール人
 「多地域進化説」は、世界中すべての先住民がそのまま進化していっただけだといい、一方「集団的置換説」は、アフリカのホモ・サピエンスが世界中に拡散していって先住民と入れ替わったと主張する。
 たぶんこれが現在の古人類学のいちばん大きな論争なのでしょう。
 日本列島ではほとんどの研究者やジャーナリストが「集団的置換説」に立っているが、このページではひとまず「多地域進化説」を支持しています。まあ、孤立無援です。
 ただ気に入らないのは、「多地域進化説」の研究者でもアフリカのホモ・サピエンスの出アフリカはあって、世界中で混血している、といっていることです。
 世界中の人間がホモ・サピエンス化していったといっても、べつに、アフリカ人が旅をして世界中に拡散していったのではない。遺伝子だけが集落から集落へと手渡されながら世界中に伝播していっただけです。
 4万年前以降にヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。このことにおいては、やっぱり孤立無援です。いちばんラディカルな「多地域進化説」の提唱者であるM・ウォルボフでさえ、ヨーロッパで混血している、といっています。
 僕がいうことなど、50年後か100年後にしか認められないでしょう。まあいずれわかるさ、と思っています。状況証拠として、アフリカ人がヨーロッパに移住してゆくことなど、まったく考えられない。ましてや大集団でヨーロッパに乗り込んでいったなんて、あるはずがない。そのころのアフリカ人は、歴史的に大集団など組めない人たちだったし、拡散していきたがらない人たちだったのです。
「多地域進化説」の研究者も、「集団的置換説」の研究者も、人類が拡散するとはどういうことだったのかということをちゃんと考えていない。原始人が集団を組んで道なき道をはるばる旅をしてゆくということなどあるはずがないのに、みんな、そんなことがあったと当たり前のように考えている。変ですよ。
 集団からはぐれていった者たちがもとの集団の外で出会ってそこにあたらしい集団をつくってゆくということが果てしなく繰り返されていったのが人類拡散です。僕は空想とか妄想ということが好きじゃないから、そういうかたち以外には考えられない。
 人類拡散ということに関しては、世界中の研究者があまりにも安直に空想的に処理してしまっている。「狩の獲物を追いかけて」とか「住みよい土地求めて」などというのは、何も考えていないのと一緒です。この点においては、世界中が敵です。
 そして、ネアンデルタール人がどんな人たちだったのかということを考える際にも、人類拡散はとても重要な問題です。なんといっても彼らは、拡散の果てに登場してきた人たちだったのだから。



 人類の集団は、猿の群れのようなボスを頂点とした順位制の秩序がなかったから、最初からとても流動的だった。かんたんにはぐれて出てゆくものが出てきてしまったし、よその集団から紛れ込んでくるものもいつもいたし、猿と違って人類はそれをときめき歓迎していった。
 まあ、二本の足で立ち上がること自体が、集団からはぐれてしまう心模様になりやすい姿勢だった。
 そして猿なら出て行っても戻ってくるのだが、人間は戻ってこないでもとの集団の外に新しい集団をつくっていった。そしてそこでも集団が大きくなってくると、また次々にはぐれて出てゆく者がでてきた。
 けっきょく行き止まりの北ヨーロッパにたどり着いて、はじめて大きな集団が生まれてきた。それ以上どこにも行けなくなったというのではなく、以前にも増して往来が活発になり、どんどん人が集まってくる集団が生まれてきた。
 知らないものどうしが他愛なくときめき合って寄り集まってゆく、というのが人類拡散をもたらした生態だった。拡散すればするほど、そういう生態がダイナミックになっていった。
 拡散の果ての北ヨーロッパは、氷河期になれば寒すぎて人間が住める土地ではなかったが、そうした他愛なくときめき合ってゆく生態で住み着き、生き残っていった。
 ネアンデルタール人だって拡散の遺伝子を濃密にそなえた人々だったのだから、その集団はとても流動的だったはずです。なりゆきで無際限に大きくなってゆく集団もあれば、かんたんに消滅してしまう集団もあった。
 集団からはぐれてしまう、これが彼らの基本的なメンタリティだった。そのメンタリティで大きく活発な集団を形成したりもした。
 原始時代の集団性が語られるとき、必ずのようにアニミズム(呪術信仰)が持ち出されます。アニミズム(呪術信仰)は、集団の秩序を確立するための装置です。しかしネアンデルタール人は集団からはぐれてしまうメンタリティが濃密な人々だから、アニミズムのコンセプトはなじまない。おそらく彼らの集団に、アニミズムなどというものはなかった。
 彼らの集団を成り立たせていたのは、あくまでも他愛なくときめき合ってゆく関係性のダイナミズムです。アニミズムで集団を運営していたのではない。集団を運営しようとする欲望そのものが希薄な人々だった。そんな欲望など持たなくても、すでに他愛なくときめき合いながら集団になっていたし、集団の出入りも活発で流動的だった。
 ただ、他愛なくときめき合う人々だったのなら、歌や踊りの祭りは好きだったのだろうか。彼らは、動物の骨に穴を開けてフルートのような楽器をつくったりもしていた。まあ寒ければ、歌ったり踊ったりして体を温めたくなる。
 彼らは、集団で大型草食獣の群れに向かってゆくという命知らずの狩をしていて、手足を骨折したり命を落したりすることも珍しくなかった。なぜそんなことをしていたかといえば、ただ経済的な理由だけでなく、それが大いに心躍る行為だったからでしょう。ひとつの祭り、もともと集団からはぐれてしまうメンタリティの人々だったのだから、氷河期の冬を集団に閉じ込められて暮らしていれば、どうしてもそうしたガス抜きの行為は起きてくるでしょう。



 人類の祭りの本質的なコンセプトは、死と親密になってゆくということにあります。この国にも岸和田の「だんじり祭り」や諏訪の「御柱祭」をはじめとする命がけの狂騒を生み出す祭りがたくさんあるし、世界中の祭りにそうした要素がある。
 原始時代の祭りはアニミズムとして神や霊魂を祀るのではなく、「もう死んでもいい」という熱狂とともに死と親密になってゆくイベントだった。神や霊魂を祀るイベントになっていったのは文明の発生以降のことです。
 人間の祭りが死と親密になってゆくことにあるのはもう、アニミズム以前の問題です。人間は、死との親密な関係を結んでいないと生きられない存在です。二本の足で立ち上がったこと自体が、死との親密な関係を結ぶ行為だった。そうやってこの生からはぐれていないと生きられない。はぐれていることによって心は華やいでゆく。
 なんのかのといっても祭りは、心が華やいでゆくイベントです。人類は、アニミズムを持つ以前からそうした祭りをしていた。二本の足で立ち上がったこと自体が、死と親密になってゆくひとつの集団の祭りだった。みんながいっせいに立ち上がっていったのです。
 アニミズム(呪術)は、氷河期明けに発生してきた人類の観念行為で、おそらくエジプト・メソポタミアなどの文明社会からはじまったのだろうが、たちまち世界中の未開社会にも広がっていった。
 ただ、海に囲まれた日本列島までは伝わってこず、1500年前の仏教伝来のときまで待たねばならなかった。だから日本列島の住民は、いまだにあいまいな宗教心しか持っていない。しかし、本格的な祭りはいくらでもある。それはもう、仏教伝来とともにアニミズムを持つ以前からずっとやってきた人類史の伝統だからです。
 祭りの本質は、アニミズムにあるのではない。アニミズム以前の、もっと本質的な人類史の伝統です。
 人の心は集団からもこの生からもはぐれてゆく。そうやって心は華やいでゆく。その心模様とともに祭りが生まれてくる。現代人がスポーツやコンサートに集まってくるのも、心がこの生からはぐれて非日常の世界に入って華やいでゆく祭りです。祭りの本質はアニミズム=宗教にあるのではないから、それ以外のところからもいくらでも生まれてくる。
 ネアンデルタール人だって、アニミズムとは無縁に祭りをしていた。この生からはぐれて華やいでゆくという心模様は、人類史上もっとも豊かに切実に持っていた人々だったのだから。



 心がこの生からはぐれて死と親密になってゆくということ、人間はそういうことをしていないと生きられない。ことにネアンデルタール人はもう、誰もがいつ死ぬかわからない環境で暮らしていたのだから、死と親密になっていないと生きていられなかった。人は誰もが本質的にはそういう存在であり、それが人類史においていったんネアンデルタール人のところで極まったのです。
 人類の祭りや葬送儀礼の起源をかんたんにアニミズムで語ってもらっては困ります。アニミズム以前の純粋な人間性が問われねばならない。その純粋な人間性が、ネアンデルタール人のところで極まっていた。
 ネアンデルタール人ほど心がこの生からはぐれ、死と親密になっている人々もいなかった。
 彼らにとっては生きてあることそれ自体がひとつのお祭りだった。集団の秩序をつくり運営するなどということは二の次だった。彼らはアニミズムなどというものも発想しなかった。だからこそ集団は無際限に大きくなってゆくこともあれば、かんたんに消滅してしまうこともあった。そこでは地域社会がひとつの集団のようになって、誰もが自由に往来していた。彼らの社会に固定された集団の秩序などというものはなかったし、家族という単位もなかった。
 ネアンデルタール人が乱婚社会を生きていたということはそういうことを意味するのであり、乱婚それ自体がひとつのお祭りだった。
 フリーセックスという習俗は北欧のほうが発達しているらしいが、ネアンデルタール人以来の伝統なのでしょう。寒さに閉じ込められて、心はこの生からはぐれていってしまう。そこで乱婚=フリーセックスのお祭りが起こる。それは集団の秩序を無化してしまうことであると同時に、集団のダイナミズムでもあった。原初の人類は、拡散を繰り返しながら、そういう他愛なく人と人がときめき合ってゆくという生態を育ててきた。
 人間社会で新しい町や村が生まれてくるのは、いつだってどこからともなく人が集まってきて祭りの場が生まれてきたところからはじまっているはずです。みんなでどこかからここに移住してきたとか、集団の結束のためにそれぞれいろんな語り伝えをつくってはいるが、じっさいのところはそこで知らないものどうしのお祭り騒ぎが起きてきたというのがはじまりであったはずです。なんのかのといってもそれが人類拡散以来の普遍的な生態なのだから。
 われわれ現代人だって、お祭りやスポーツの観戦やコンサートの会場では、そういう生態になっている。そこに、人間の集団性の本質が潜んでいる。
 人間はもともと他愛なくときめき合ってゆく存在であり、それは、心がこの生からはぐれてしまうという無意識を持っているからです。
 べつにそう振舞ったほうが生きてゆくのに有利だからとか、集団の秩序に奉仕することだからとか、そういう目的があるからではない。他愛なくときめいてゆくのは、この生からはぐれてしまっている者の属性=自然だからです。目的なんかなくても、自然にそうなってゆく。
 人類拡散は、そういう心模様を育てていった。それがネアンデルタール人のところで極まった。



 まったく、一般的にいわれている「住みよい土地を求めて」とか「狩の獲物を追いかけて」とかいう人類拡散の解釈なんて、ほんとにいいかげんです。そんな単純なものじゃない。人間性の根源・自然は、そんなところにあるのではない。
 人類は、拡散とともに死に対する親密な感慨を深くしていった。死に対する親密な感慨が人類拡散をもたらした。
 われわれが人にときめくことだって、心の底でこの生からはぐれながら死に対して親密になってゆく無意識がはたらいているのです。なのに現代社会は、そういう人間的な感慨を否定して「生の尊厳」などと、いかにも正義ぶって合唱している。「生の尊厳」などということは、現代人の肥大化した自意識よって生み出されているたんなる観念(概念)であって、人間性の普遍・本質でもなんでもない。
 人間がこの生からはぐれてゆく存在だということを否定して、人と人がときめき合う社会など生まれてくるはずがない。この国の大人たちは、やさしいふりをして人とかかわっていても、けっきょくは自分をひけらかそうとする自意識でやっているだけのことで、他愛なく他者にときめいてゆく心模様は希薄です。彼らにとって「ときめく」とは、「愉しく自分をまさぐる」ということらしい。話をしても、頭の中は自分が何をいおうかということばかりで、相手が何をいっているのかということにはあまり深く考えていない。まあ、ほめられたときだけ敏感に反応する。ただのお世辞でも、過剰によろこぶ。そんなとき、どう反応していいか戸惑ってしまう、というようなことは彼らにはない。そのときこそチャンスとばかりに自分をひけらかす。みんなが自分を見せびらかし合って、ひとまず楽しんでいる。そしてそういう仲よしこよしのコミュニティからこぼれていった者たちはもう相手にしない。もともと他者に対する関心なんか希薄だから、気にもしない。
 まあプレゼンテーションの世の中だからそうなってゆくのは仕方がないのかもしれないが、そうやって自意識を満足させるために「生の尊厳」などと合唱されても、そこに人間性の本質・根源があるとは、われわれは認めない。
 ネアンデルタール人のかなしみとときめきの基層には、この生からはぐれながら死と親密になってゆく心模様があった。そこにこそ人間性の本質・根源があるのではないでしょうか。



 集団からはぐれてきた者たちが出会ってときめき合い、そこに新しい集団が生まれてゆく。これが人類拡散のはじまりであり、祭りの起源でもあります。
 この、ときめき合い心が華やいでゆく場から人類の歌や踊りが生まれてきた。
 まあ最初から歌や踊りがあったとも思えないが、セックスの関係がよりいっそう活発になっていったということは考えられます。
 人類が一年中発情している猿になっていったのは、この拡散の動きとともに進化してきたことかもしれない。
 男たちは、他愛なくときめき勃起していった。
 いつの時代であろうと、男のペニスの勃起のもっとも大きな原動力は「他愛ないときめき」です。だから、若いときほど勃起がさかんで、年を取ると鈍ってくる。それは、けっして体力の問題ではない。若い男だって、疲れ果ててもっとも体力が衰弱しているときにこそ、もっともダイナミックに勃起するのです。
 とすれば人類が一年中発情する存在になっていったのは、疲れ果てていたからだ、ということになります。
 直立二足歩行は、とても疲れる姿勢です。二本の足で全体重を支えているのだから、疲れないはずがない。長く歩き続ければ、足が棒のようになってしまう。しかしそれは、足が棒のようになるまで歩き続けられる姿勢でもあるということです。歩いていると心が華やいで足のことなど忘れてしまう。またそれは、体の重心を少し前に倒すことによって、自動的に足が前に出てゆく。猿やライオンは意図的に四本足を動かして歩いているが、人間はほとんど自動的に歩いている。だからいつまでも歩いてゆけるのだが、その代わり足が棒のようになって疲れ果ててしまう。心だって、それは生き物としてとてもストレスフルな姿勢なのだから疲れていないはずがない。
 その身も心も疲れ果てている状態で女と出会って、他愛なくときめき勃起してゆく。このような体験を繰り返しながら人類は、一年中発情している猿になってゆき、地球の隅々まで拡散していった。



 しかし、いくら男がその気になっても、女にその気がなければセックスははじはじめられない。
 猿の世界では、セックスなんか年に一度か二度のことだし、ボスがセックスの権利を占有している予定調和の行為です。メスは受け入れ可能であることを示す赤く充血した性器を外にさらしているし、まれにボス以外のオスにやらせることがあるとしても、いつだっていきなり後ろからずぶりと当然のようにしているだけです。
 しかし人類が拡散していった先の出会いの場では、誰と誰がすると決まっているわけではなく出会ったときのなりゆきで起こることだったし、人間の女の性器は猿のようなあからさまなしるしはなく、しかも尻の奥に隠れてしまっている。
 とうぜん、いきなりというわけにはいきません。おそらく、鳥の求愛ダンスと同じような前段階の行為があったはずです。
 後ろからしたのか前からしたのかは知らないが、とにかく女にその格好になってもらわないとできない。そのためには、女に「やらせてあげる」という気になってもらう必要がある。とにかく人間の女の性器は、猿と違っていつでも受け入れ可能な状態になっているわけではない。
 新しい土地にやってきた人間の男も、そのとき求愛ダンスをしたのでしょうか。まあ、そのような表現をしたのでしょう。それで女も「やらせてあげる」という気になる。
 原始人のセックスだって、人間的な共感の上に成り立っていたはずです。そのとき、女に「やらせてあげる」という気にさせる男の気配や振る舞いがあった。まあ、必死のようすにほだされて、ということもあったでしょう。必死になるのは、途方に暮れて疲れ果てているからです。人類の男は、いつのころからかそういう気分を心の底に恒常的に抱えている存在になっていった。
 そしてネアンデルタール人の場合は抱きしめ合うことが先にあり、そのとき男のペニスが勃起していれば女だってやらせてあげてもいいという気になってゆく。そうして勃起したペニスで膣の中を引っ掻き回されれば、「もう死んでもいい」いう心地になってゆくし、最後はほんとに死んでゆくような心地になって安らかな眠りに堕ちていった。
 そういう死にたいする親密さが、ネアンデルタール人はとても深かった。
 人間のセックスはべつに観念や自意識でするわけでも、猿のような安直な予定調和の行為でもない。ほんとにただもう他愛なくときめき合ってするだけだが、そこに深い死に対する親密感が流れている。
 人類の歴史をつくってきたのは、生きのびるための食糧確保の問題ではなく、心が華やいでゆく体験にある。それは、セックスの問題であり、人と人の関係の問題です。
 拡散してゆく人類集団には、つねに死に対する親密感と他愛ないときめきが共有されていた。
 人の心は、「世界の終わり」から華やいでゆく。世界からもこの生=自分からもはぐれ、我を忘れて夢中になってゆく。
 猿は、外敵などの世界から身を守ろうとする意識をつねにどこかに持っている。だから直立二足歩行を常態にしないのだが、人間は、そういう意識をすっかり忘れて何かに夢中になってゆく。その心模様が人類を一年中発情している存在にし、知性や感性を発展進化させた。



 われわれ日本人は、ネアンデルタール人の末裔であるヨーロッパ人が持っている「孤独」というものに対する認識が間違っているのではないかと思ったりします。
 それは、たんなる「自己意識」とか「近代的自我」というようなものとはちょっと違うものであるような気がします。
 彼らがネアンデルタール人以来その胸の底に疼かせてきたのは、この生やこの世界からはぐれてしまっている疎外感・孤立感のことであり、それはまたこの国の伝統の「あはれ」や「はかなし」や「わび・さび」や「無常」といった世界観・美意識ともどこかで通じているのではないかと思えます。
 すくなくとも戦後のこの国インテリたちがよく肯定的に語る「自己意識」というようなものとは似て非なるものでしょう。彼らが語る「自己意識」なんか、ただもう自分をまさぐっているだけの肥大化した自我の別名にすぎない。彼らよりはヨーロッパ人のほうが無邪気です。つまり「他愛ないときめき」というものを持っている。それはつまり、「死に対する親密さ」を持っているということです。ヨーロッパ人は、この国の戦後のインテリほどには軽々しく「生命の尊厳」などとはいわない。そしてこの国の伝統もまた、死に対する親密な文化風土があった。
 人類史は、死に対する親密さとともに進化発展してきた。
 人の心は、生きてあるという現実=日常からはぐれてゆく。
 はぐれてしまった心で人と人はときめき合ってゆく。
 まあそうやって人類拡散がはじまったわけだが、新しく生まれてくる集団は、つねにもとの集団よりも豊かにときめき合う関係が生まれてきた。これが人類拡散の法則で、だから最終的には人が住めないような氷河期の北ヨーロッパにも住み着いていった。そこではたくさんの乳幼児が死んでゆき、大人だっていつ死ぬかわからないような環境だったのに、それでも住み着いていった。
 ネアンデルタール人がそんな環境を生き残っていったのは、寒さに強い身体形質を獲得していったということ以上に、たくさんの子を産み続けたことにあります。それほどに他愛なくときめき合い、さかんに繁殖していった。
 どんなに寒さに順応した身体形質になっていったといっても、たくさんの乳幼児が死んでいったし、大人の男も女も、無謀な狩やお産をはじめとして、いつ死ぬかもしれない危ない生き方をしていた。本当ならとっくに滅んでしまってもいいはずなのに、それでも生き残っていったのです。それはもう、たくさん繁殖してゆくという、集団のというか男と女のダイナミズムがあったからです。
 他愛なくときめき合うということ、けっきょくこの論稿は、そのことを繰り返し語っているだけです。そういうネアンデルタール人へのオマージュです。
 ここで、ネアンデルタール人に関する人類学的な知識を並べ立ててもしょうがありません。僕は研究者でもジャーナリストでもない。ただもう、かつて氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境でネアンデルタール人という人々が生きていたという事実を通して人間の自然・本質を問い直したいだけです。そのことに対するリスペクトがみんななさ過ぎますよ。贔屓の引き倒しでいいかげんなことを書いてしまうのもみっともない話だが、薄っぺらな思考で「集団的置換説」を合唱している連中の語るネアンデルタール人論よりはましです。彼らはもう、たんなる知識を語っているだけで、ネアンデルタール人の心模様に推参できるだけの熱意も直観力も想像力も何もない。
 研究者の語ることなんか、いちいち不満です。これはもう、世界中のネアンデルタール人論に挑戦しているつもりで書いています。
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