MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

医療通訳の歴史を振り返る

2016-12-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
RASCコミュニティ通訳支援センター(Cots)の西村さんと話していたときのこと。
「医療通訳の歴史は大事だよね」という話になりました。
医療通訳学習テキストの中にもちょっとだけ日本の医療通訳の歴史についての標記があります。
そのことについて、今日は書いてみたいと思います。

日本の医療通訳を西暦にたとえると「BC(紀元前)」と「AD(西暦)」がある気がします。
さだかではありませんが、潮目が変わってきたのは2000年くらいかなと感じます。
医療通訳を派遣する団体MICかながわと多文化共生センターきょうとができたのがこの時期です。
このふたつに並べるのは申し訳ないですが、神戸でMEDINTが誕生したのも2002年10月です。
もちろん80年代、90年代にも医療通訳はあったし、
医療通訳をしている通訳者や支援者、家族や友人たちは存在しています。
それを団体としてまとめたり、「一般通訳」と「医療通訳」を区別し始めたのが
ちょうどこの時期かなと思います。
同じ頃、さきほどの西村さんの「言葉のプラクティス」がでています。
これはばらばらだった各地の団体を横軸として繋いだはじめての報告書だと思います。
また、CLAIRが医療通訳テキストを作って配布してくれたのもこの頃です。
その後、それまでは単語としてWikipediaにも掲載されていなかった「医療通訳」ですが、
2007年に連利博先生の「医療通訳入門」が発行されてやっと「医療通訳」という言葉が定着しました。
今はありませんが、パブリックサービス通訳(PSIT)翻訳学会がコミュニティ通訳の団体として
司法、医療、行政通訳の関係者が一緒に議論したのもひとつの流れだったと思います。

それからまだ10年たっていない段階で、
今の流れは本当にすさまじいなあと思いながら眺めています。

今、議論されている医療通訳は
訪日外国人が年間1000万人を超えたあたりから考えられているとか、
メディカルツーリズムを経産省が推奨しはじめてからと思っている人もいるかもしれません。
でも、それよりずっと前から日本の中には医療通訳の系譜があります。

私は人の名前を覚えるのが苦手なので歴女ではありませんが、
ものごとの流れを考えるときには
どのように進んできたかを振り返ることは大切です。
日本の医療通訳はなぜ議論されるようになってきたのか、
どうやって声をあげていったのか、
派遣制度を作るときにどんな問題があって
それをどう克服していったのか、
医療通訳者はその時何を感じていたのか、
医療者は、外国人患者はどう思っているのか。

そうしたことを議論することで
未来が見えてくる気がします。

医療通訳制度が
自分の研究やビジネスの我田引水にならないように。
広い視点を持つことがなによりも大切です。

今年は身体を壊すくらい辛くて、でも充実した1年でした。
バランスをとることの難しさも痛感しました。

今年の反省から、来年はじめは一時的に、
自分の専門の多文化ソーシャルワークの勉強とFP資格更新に
シフトするつもりです。

2016年はいろいろお世話になりました。
よいお年をお迎えください。
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1 コメント

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医療通訳と言うことば (しん)
2018-07-25 22:20:24
最近うちが思うに、「医療」通訳と言うと、医者の言葉を訳すみたいな、高度な技術のように感じる人が多い気がします。病院の通訳は、「臨床通訳」とした方がいいのではないかと思います。
みんな学会で話されるような、単語をバンバン使うように思っている方も多いのでは?臨床=clinical は患者ありきで動いているので、そこなんかな?と思います。各専門職の個性や文化はあるけど、職域超えたメンタルモデルが出来上がってる。そんな気がします。

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