●前世で迎えた最期の時
私は家のベッドに横たわり、ベッドの周りには私の大切な家族がいます。
息子や娘、そして、その子どもたち何人かが心配そうに、目を閉じている私を見おろしています。
部屋は薄暗くはないのですが、それほど陽がさしている訳でもありません。
そして今…
私は人生の最期の時を迎えようとしています…
心には、これまで生きてこれたことと
夫と共に過ごした時間と
私の元に産まれてくれた子供たちへの感謝の気持ちがあふれてきています…
そして私は、最後の力を振り絞って…
とても満ち足りた気持ちでこう言うのです。
「みんなのおかげで幸せだったわ…
あ・り・が・と・う…」
そして、この一言を伝え終えると…
私は静かに…息を引き取りました…
~~☆~~☆~~
驚かせちゃってごめんなさい!
これは、以前私が「前世療法」(催眠療法と言う心理セラピー)を受けた時に体験した、
いくつかある(と言われる)前世のうちの1つで、人生の幕を閉じる最後の場面です。
この時、セラピーが終わり、目を開けてから感じたのは
「あ~、私は今生きている人生を、こんな風に終わることを望んでいるんだな~。」
「こんな風に最後の時をむかえられたらきっと満足なんだろうな~。」
ということでした。
ところが、昨日。
私は、図らずも私の理想の最後のシーンを、義理の母に見せてもらうことになったのでした。
持病もあり、最近は食が細くなってきたり、横になっている時間が増えていた義母が突然、93歳で天寿を全うしたのです。
夜半に連絡があり、私達が病院に駆け付けた時には、かすかにあった意識でこちらからの声掛けに、うなずき・・・。
言葉にならないけれど、返事を返したい気持ちのみがかえって来るばかりでした。
が、それも束の間。
たった数時間で、まるで坂道を転がるように、義母はあっという間に旅立ってしまったのです(泣)
その間、病室には駆け付けた5人の子供全員と、それぞれのパートナーと孫たちがベッドの周りに集まり、
1人が手足をさすりながら名前を呼んだり
他の1人が声を掛けたり
頭をなでたりし
最期の時間を大切に、愛おしみながら過ごしました。
誰もが覚悟はしていましたが、せめて痛むことなく、苦しむことのないようにと祈るばかりでした。
そんな中…
あろうことか、私は義母のベッドの周りにいる、夫や儀兄弟達を見ている内に、ふと思い出したのです。
これって、あの時(前世療法を受けている時)に感じた、私の理想の最期と同じシーンが目の前に繰り広げられているということを!
「ちょっと…!!
なんで今そんな事を思い出すのよ!?」と、
正直その不謹慎さに怒れて来てしまった自分でした。
その後…とうとう、母は…。
帰り支度にしばらく時間がかかると言う看護師さんの言葉で、私達は病室を出ました。
義母の準備を待つ間。
私の頭の中は、何であんな事を思い出してしまったのだろうと、自責の念に駆られていました。
ところが…。
病院の待合のイスに座りながら、あること気が付いてしまったのです。
私の理想としていた最期のシーンで「ある事」が、どうしようもなく叶わないことに!
その「ある事」とは…
それは…
この続きは今夜20時にお送りするメルマガに書きました。
「ある事」って何だろう…?
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