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>中でも現在の人類の命綱となるのは、私権闘争から評価競争に移行中の、同類闘争を止揚する社会統合の共認圧力である。

私権統合の崩壊後、人々の意識は共認不全の顕在、私権から評価への移行などから、どうする?が見えない状況へと進んでいる。これらの不全は、本源(共認)収束を生起させる。

こうした状況と並行して、ネットのインフラは相当に普及し、昨今ではブログも盛んで誰しもが発信可能であり、評価競争は必然的に高じている。しかし、現在は一部にアルファブロガーなどと言われる「人気者」はいても、これらが連携して組織的に行動したり、評価軸を共有化して誰が(或いはどの記事が)より優れているかを明確に競い合う状況には至っていない。

本来生存圧力への適応能力をめぐる個体差は厳然と存在している。これがはっきりしないというのは、共認動物である人類にとっては、互いの位置関係が分からず不安にもなる(=評価共認の不全)。そして、こうした不安が高じれば、改めて共認欠乏が生起して、不明確な位置関係を無闇に競い合ってますます訳が分からなくなることより、何らかの評価軸で順位を確定する=「統合」されることへ意識が向かうものと思われる。こうした「統合(共認)欠乏」が、結果として、不明確で疲弊する同類闘争を止揚すると同時に、新たな活力源に直結する整理された(統合された)競争関係を構築していくことになる。

先の参院選でもネット発の言論は相応にあった。しかし、統合されない言いっ放しの個人の意見はさほどの影響力を持ち得ない。対して新聞、テレビなどの既存のマスコミ勢力は組織的で明確だ。更に思い当たるのは、選挙制度における個人の重さが何万票分のたった1票でしかないことだ。そのように過小にしかも格差なく評価された「1票」というものに、(改めてであるが)有権者として全く活力を感じ得なかった。

現代社会は既に相当程度評価闘争に移行している。これから必要なことは、自由(=ばらなら)で平板的な評価空間ではなく、すっきりと統合された評価競争の空間(若しくは仕組み)であろうと思う。

※こうしたことが既存の政治家の誰からも提起されないことが、現在の政治のまったく期待はずれなところだし、マスコミに至っては自ら進んで評価に服従することなどありえないと思うほどに絶望的である。


斎藤裕一
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