BRCA遺伝子変異の方の知識・意識調査 | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

本論文は、BRCA遺伝子変異の方の知識と意識を調査し、PGDとPNDに関する知識が重要であることを述べています。

 

Hum Reprod 2017; 32: 588(オランダ)

要約:2012〜2013年にBRCA遺伝子変異のある方191名(男女含む)にインターネットによるアンケート調査を行いました。回答者の9割弱は生殖年齢の女性であり、半数は将来お子さんをご希望の方でした。BRCA遺伝子変異について、PGD(受精卵の着床前診断)が可能であることをご存知だったのは66%であり、PND(妊娠中の遺伝子診断)が可能であることをご存知だったのは61%でした。PGDに関する知識は中程度(5.5点/9点)であり、PGDを受け入れると回答した方は80%、PNDを受け入れると回答した方は26%でした。なお、高学歴の方ほど、PGDとPNDに関する知識が豊富でした。PGDの許容度は、PGDの知識と正の相関を示しました。また、実際に癌になられた方ほど、PGDとPNDの実施を真剣に考えていました。

 

解説:BRCA遺伝子変異(BRCA1あるいはBRCA2)をお持ちの方は、70歳までに乳癌になる確率は27〜57%、卵巣癌になる確率は6〜40%と報告されています。オランダでは、年間13,000人が乳癌に、1,400人が卵巣癌に罹患しますが、このうち5〜10%でBRCA遺伝子変異が関与しています。BRCA遺伝子変異は、常染色体優生の遺伝形式を取りますので、50%の確率でお子さんへ遺伝します。これを防ぐには、PGD(受精卵の着床前診断)あるいはPND(妊娠中の遺伝子診断)を行うしかありません。オランダでは、1995年からPGDが実施され、BRCA遺伝子変異に応用されたのは2008年からです。本論文は、患者さんが意思決定をする際に、BRCA遺伝子変異、PGD、PNDに関する正確な知識を持つことが必要であることを示しています。当たり前のことですが、正しい知識があって初めて正しい判断が可能になります。

 

PGDは病気の遺伝子が特定されている疾患において、特定の遺伝子を調べることであり、全ての染色体の数や構造を網羅的に調べるPGS(着床前スクリーニング)とは異なります。何れにしても、世界の動向はPGDやPGSに向いています。もちろん、PNDでも遺伝子診断が可能ですが、異常の場合には中絶を選択する以外にありません。誰しも自分のお子さんは、五体満足かつ健康であって欲しいと願いますが、これは人として親として当たりまえの考えだと思います。日本でPGDやPGSが進まない背景には、日本人特有の優生思想に対する漠然とした罪悪感があるからだと私は考えています。もう一つは、建前上胎児異常での中絶は行われていないことになっているからです(母体保護法には胎児適応の条項はありません)。つまり、PNDで異常と診断された赤ちゃんは、母体保護法の書類上は中絶されていないことになっています。建前上の資料だけで議論していては正しい判断には到底なりえません。したがって、学会やいわゆる有識者だけで議論するのではなく、当事者の声にもっと耳を傾けて欲しいと思います。