ピピウが生まれてから11 〜容態悪化〜 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

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イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪


イタリア、フィレンツェにて、イタリア人の夫と暮らしています。

2017年春に第一子となる息子ピピウ(仮名)を出産。

ただ、26週というかなりの早産で生まれてしまった息子。

息子が生まれてからNICUを卒業するまでの過去の出来事を当時の日記をもとに書いています。




〜容態悪化〜

祈りも虚しく、緑の手術着を着た外科医局長のDr.Nが、ピピウの保育器の前にいる私のところへやってきました。

「何を言われるんだろう…。」

もう、嫌な予感しかしませんでした。

Dr.Nは…

「今朝のレントゲンを見る限り、腸から空気が漏れている。繋げた腸がうまくくっつかなかったのかもしれない。
今はピピウの手術をすることはリスクが高すぎてできない。
とりあえず、これからチューブを入れて、漏れている空気を体外に出す処置をする。
処置が終わるまで外で待っていてほしい。」

と言いました。




どうしよう。


どうしよう。


どうしよう。


涙がまた出てきました。




ピピウの保育器のそばを離れる前にDr.Nに

「お願いです、私の息子を助けてください。」

と泣きながら声を絞り出して言いました。



Dr.Nの返事は

「できるだけの事はする。
…でも、残念ながら
私は奇跡は起こせない。」

でした。


おそらく、Dr.N の言葉は真実だったと思います。

でも、保育器の中で苦しそうにしているピピウを前に、一人で聞くには辛すぎる真実でした。

そして、本当は言われなくても分かっていた真実でした。

それでも、「私の息子を助けてください」とは言わずにはいられませんでした。



泣きながらNICUを後にしました。



この日以来、緑の手術着を着た人がNICUに入って来ると、私の方へ近づいて来ると、Dr.Nを見ると、しばらくの間恐怖を覚えるようになりました。




✴今はDr.Nも大好きで、信頼のおけるドクターの一人です。長い期間お世話になるにつれ、ピピウをどれだけ心配し、ピピウのためにどれだけ頑張ってくださったか分かりました。
今では病院で会うと私もDr.Nも笑顔でお話しします。



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