今月19日に行いました麗明堂の心の勉強会『ひまわり会』の中で、テキストに書いてあったとても良かった内容の最終回です。家族との関わりの中で、心にジーンとくる部分がありましたので、今日は皆さんにご紹介したいと思います。
今回のテキスト:心を育てる月刊誌 『ニューモラル』特別編集号 “老いに寄り添う”より
皆さんも、身近な家族、特に自分の親に老いの兆候が見られるようになったときには、その事実をきちんと受けとめることができず、戸惑ったり、悲しんだりする場合もあるでしょう。
「誰でも同じように年を取る」ということを頭では理解していても、自分の親のこととなると、どうしても元気だったころの姿と比較してしまいがちです。特に物忘れなどの症状が現れると、親が変わってしまったかのように感じられて、なかなかそれを受け入れられないことがあります。
励ましのつもりでつい強く言い過ぎてしまったり、いらだちをぶつけてしまったりということも、そうした戸惑いから起こるものではないでしょうか。それは「親にはいつまでも元気でいてほしい」という、子としての願いの表れなのかもしれません。
しかし、自分の体が思い通りにならなくなっていくことに対して一番苦しむのは、当の本人ではないでしょうか。
身近な人の「老い」に直面したとき、家族をはじめとする周囲の人たちが手を差し伸べたり、時には専門家の知識や技術を活用したりすることも必要でしょう。しかし、まず何よりも大切なことは、相手の状況を自分のことのように感じ取り、その気持ちに寄り添おうとする心の姿勢ではないでしょうか。
一般的な人間関係にもいえることですが、本人が感じている不安は、たとえ家族といえども、本当のところは分からないものかもしれません。しかし、相手の心を完全には理解できないとしても、「喜びも苦しみも分かち合っていきたい」という気持ちで向き合うことで、心の絆を強めていくことができます。
そうして心と心を強く結び、いたわりに満ちた温かな人間関係を築くことで得られる安心の多い日常こそ、お互いにとっての「人間としての幸せ」につながっていくのではないでしょうか。
また、人の苦しみや弱さに寄り添おうとするとき、自分自身(ケアをする側)の思いやりの心が養われていくことになります。それは、人間的成長のための大切な機会となることでしょう。
私も両親がまだ健在ですが、77歳の父と76歳の母の歩く後ろ姿を見ながら、自分が子どもの頃に見ていた体力があった頃の両親との違いを感じながら、何とも言えない悲しさが込み上げることがよくあります。しかし、これが現実で、これが自然なのだと自分の心に言い聞かせています。
たとえ体の自由が利かなくなっても、物忘れが多くなっても、両親の本質が変わるわけではなく、これまでの人生が失われるわけでもないのです。だから、どのような状況に置かれても、その中で喜びと生きがいを感じることができるよう、心に寄り添いながら、支えていきたいと思っています。
~読者の皆さんへのお願い~
不妊治療で頑張っていらっしゃる方、子宝(赤ちゃん)を待っているすべての皆さんの願いが叶いますよう、一緒に祈っていただけたらうれしく思います。
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いつも、私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。このブログが、皆さんの心の栄養剤になって、心が少しでもホッコリ!となってもらえたら・・・ と思っています。
このブログをご覧いただいている皆様のもとに、大きな大きな喜びとたくさんの幸せが訪れますように…